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小説:コトリの薬草珈琲店 2-2

 洞川温泉街(どろがわおんせんがい)は、大峰山をはじめとした山岳で修験者が修業を行うための入り口の宿場町として、1300年前から栄えていた。もっとも温泉が見つかったのは昭和の時代ではあるけれど、綺麗な水が湧き出る場所としても有名でその水は日本名水百選にも選ばれている。愛称は「ごろごろ水」だ。

 木造二階建てのお宿が多く、夜には一階と二階に灯された明かりが狭い道の両側から漏れ出てきて、情緒豊かな温泉街の様相を醸し出す。随所に備わっている提灯も、その空気感によく馴染んでいる。夜には浴衣でブラブラと歩きたくなる街並みだ。

 この温泉街にはもう一つの特徴がある。胃腸薬で有名な陀羅尼助(だらにすけ)を購入できる店がいくつもあることだ。陀羅尼助は役行者である役小角(えんのおずぬ)が1300年以上前に生み出した胃腸薬で、薬木であるキハダが主原料として使われている。関西ではなじみ深い胃腸薬だ。昔ながらの陀羅尼助のお店に入ると、おばあちゃんと楽しくお話をしていたと思えば陀羅尼助を購入して店を出ていた、なんてこともあったりする。

 そんな洞川温泉街の中心地から車で15分の場所に、天河大辨財天という神社がある。日本三大弁財天の筆頭とされる霊験あらたかな神社とされる。神様から呼ばれないと辿りつけないという、スピリチュアルな言い伝えもあるようだ。

 この神社は琴音のお気に入りの場所でもあるのだけど、神社への参拝が主目的ではない。このようなパワースポットに住まう植物たちと言葉を交わすことが一番の目的だ。

 たいていの植物は、それぞれの植物が抱くささやかな願いを叶えるために生きている。芽を伸ばしたい。葉を広げたい。きれいに花を咲かせたい。鳥や虫に蜜を吸いに来てもらいたい。種を実らせて、元気な子孫を残したい。人間に育てられている植物にもなると、琴音のような植物と会話のできる人間と言葉を交わすことを楽しみとするくらいだ。

 しかし、天河大辨財天に生きる長樹齢の木々は全く様相を異にする。あくまで琴音の感覚ではあるが、これらの木々は他のパワースポットの植物たちとも繋がりあいながら、地球上で起こることを広く情報交換しているように感じられる。樹齢700年以上とされる大イチョウなどからは、手を触れずとも琴音の頭に夥しい事々が流れ込んでくる。そして、そのようなエネルギーのシャワーを浴びていると心が整い、色々と将来の展望も見えてくる。一般的に、パワースポットに開運・厄除け・縁結びなどが期待されているのも、こういったことに関係しているのかもしれない。

 神社の駐車場に車を停めた琴音は、すぐに境内を散策しはじめた。少人数のグループが大イチョウの近くにある小さな石碑に注目している。なんだろう。琴音も少し興味を惹かれたので、近づいて会話に耳を傾けた。30歳前後の4人の男女と恐らく未就学の小さな女の子がひとり。加えて、60歳前後の男性がひとり。そのシニアの男性は、どうやらガイド役を担っているようだ。

「あそこの小さな石碑はゼロ磁場を示しているんです。」ガイド役が解説を始めた。「みなさんご存じの通り地球は巨大な磁石でS極とN極があるのですが・・・、お嬢ちゃん、磁石は分かるかな?」少女が首をかしげる。しかし、ガイドの男性はそれにはお構いなしに話を続けた。「そのS極とN極の力がちょうど均衡した場所が、磁場のないゼロ磁場と呼ばれているんです。日本各地のいくつかのパワースポットも、ゼロ磁場と関係していると言われているんですよ。」聞いたことのない話題だったからか、大人4人は話に注意を向け始めている。

 が、パッと話題は変わり、「ここで祀られているイチキシマヒメは芸能の神様とも言われていて、有名なアーチストさんたちも多く参拝しているんですよ。アーチストの皆さんも、この霊験あらたかなパワースポットでインスピレーションをもらってらっしゃるんじゃないかと思うんですよね・・・」

 上手く言葉にできないのだが、琴音はあまりこのタイプの話し手は好きではないと思った。薬草珈琲を提供していると、自然と、相手の心身について気遣うことが当たり前になる。そして、そういった考え方を相手にも分かってもらいたいという気持ちがあるから、説明も丁寧になる。そんな琴音からすると、切り貼りした知識を一方的に押し付けるような話し方のこのガイドは、そりが合わないと感じたのだろう。琴音はスッと横を通り抜けて、鳥居をくぐり、細い階段を上りながら周囲の木々にも挨拶して、拝殿へと足を踏み入れた。そこでは、先客の老夫婦が参拝していた。

 本殿を参拝するための拝殿。ここの空気も琴音の好みだ。1400年近くも過去から祀られ続けているという歴史の重み。本殿に向かって階段状に木が組まれている。そこを見上げると、五十鈴(いすず)と呼ばれる神器を目にすることができる。いわゆる、神社で鳴らす鈴なのだが、複数の鈴が立体的な位置関係で並びあったような特殊な形状だ。

 老夫婦が参拝を終えたところで、先ほどの女の子が拝殿へと元気よく入ってきた。老夫婦の近くへとまっすぐ向かってくる。鈴の緒(お)を揺らして、鳴らしたいんだろう。「こうするのよ」とジェスチャーで教えてもらい、それに倣って女の子も鈴緒を回す。少しだけ音が出て、「おじょうずね」と言われて満足したようで、やっと追いついてきたパパとママのほうへ嬉しそうに戻っていった。

 琴音は自分のペースで、もう少しだけその界隈を散策した。歩き、時々立ち止まり、触れてよい木には触り、その淡い輝きを確認し、また、山全体が発するオーラも心を澄まして感じ取る。木の香り。水の香り。そこには、途方もない昔から脈々と流れる、圧縮された時間も存在する。そして同時に、場所を異にするパワースポットとダイナミックに繋がりあう地球規模のエネルギーの流れも感じられる・・・ような気がする。

 静寂ながら、濃密。自分がちっぽけなものであり、同時に、この世のすべてと繋がってもいるような感覚。自分の足音。呼吸する音。鳥の音。森の音。あらゆる音が高い解像度で耳に入り、解析される。そこをただ歩くだけで脳が活性化し、そして、リラックスする。琴音にとってパワースポットとは、そんな場所なのかもしれない。

 ふと、一つの木が目に留まった。直径が1mほど、樹齢は数百年といったところだろうか。なぜかその木は会話ができそうな気がしたので、木の発する輝きに触れながら、琴音は声をかけてみた。「どうしたの?」
<サヘイジ、コナイ>
「さへいじ?」
<・・・>

 なんだろう、来ない、ということは人物名だろうか。サヘイジ・・・。時代劇の登場人物みたいな名前。あれ、でも、どこかで聞いたことがあるような気がする、と琴音は思った。スマホを取り出して、調べてみる。「さへいじ 奈良」などと色々と検索を進める。するとすぐに、琴音の記憶にあるサヘイジが検索結果に上がってきた。

 植村政勝。通称、佐平次。徳川第五代将軍吉宗の命を受けて、全国で薬草の調査を推し進めた人物だ。その調査に同行した森野藤助が宇陀に薬草園を開き、それは現在も森野旧薬園という名で、宇陀市の人気観光スポットとなっている。

 佐平次という名前の人物は昔の日本にはたくさんいたのかもしれない。でも、もしかしたら、この子の樹齢を考えると、そのサヘイジは植村政勝である可能性もゼロではない。彼が採薬師として奈良県を隈なく探索していたことは歴史的な事実である。・・・そう思い、琴音はその巨木に、もう一度、声をかけてみることにした。「佐平次って、植村政勝さんのこと?」

<マサカツ・・・>
 植物がそう呟いたかと思うと、琴音の視界が光で溢れ・・・そして、何も見えなくなった。

 -----光が和らぎ、やがて目が慣れてくると、琴音は何か別の世界を俯瞰しているような感覚になった。ただ、その世界に干渉できないことだけは直感的に分かる。自分はカメラのレンズ。その世界をただ傍観するだけの存在だ。

 目の前には、三人の男が見える。江戸時代を思わせる羽織り、裸足に草履。羽織はめくり上げられており、ひざ下を動きやすくしているのだろう。男たちは地面に座って休憩しているようだった。男たちの周りには藁(わら)の束がいくつかまとめられていて、それぞれ背負って歩けるようにセットされている。藁の束からは植物の葉がチラチラと見えている。

<これ、採取した薬草かも・・こうやって藁に包んで運んでいたのかな>と、琴音は思った。

 と、一人の男が立ち上がり、その場で一番貫禄のある男の元へと近づく。
「ねぇ、佐平次さん。そろそろ行きやしょうや」
「そうだな・・・おい、お前ももう行けるか?」
「はい、もう大丈夫です」ともう一人の男も立ち上がった。

 佐平次と呼ばれた男は藁の束を背負い、近くに根付き始めている若木に声をかけた。「いつも横で五月蝿くしてすまんな。この場所が休憩にちょうど良いのだよ。お前もたくさん光と水を受けて、元気に育つのだぞ。では、また。それまで達者でな。」そう言うと、男は少しかがんで、若木を愛おしそうに撫でた。

 そして、「お前たち、行くぞ。」と男が号令をかけ、三人は琴音の視界から消えていった-----

 琴音は白昼夢から覚め、・・・胸にあてた手で自分の鼓動を感じることで、現実世界に戻ってきたことを実感した。驚きが大きかったためか、鼓動も早い。「すごい・・・」と声が漏れる。植物の記憶へと入り込んだのだろうか。この時代では見られない光景を目にしたことは確かだ。これは琴音にとっても初めての体験だった。

 呼吸を整え、改めて目の前の巨木を見上げ、先ほどの映像を思い返す。たぶん、あの若木がこんな大きく成長したのだろうな。

 そしてやがて、琴音は全てを理解した。この子は何度も、佐平次と呼ばれた男性に可愛がってもらったんだろう。スキンシップが嬉しかったんだ。木にもそれぞれ好みがあるんだなぁと思い、琴音は少し微笑ましい気分になった。しかも、こんなパワースポットの中で暮らしながら、世界と繋がり合う木々に囲まれながら、スキンシップというすごい世俗的な、ささやかな願望を抱いた巨木。なんだか可愛い。

 でも、佐平次にも都合があっただろうし、そもそも、このような巨木と人間では寿命が違う。だから、いずれかのタイミングで・・・スキンシップに終わりが来たんだ。その事実をこの子はまだ知らずに待ち続けているのかもしれない。この子はさっきの記憶を何度も繰り返し、思い出しているのかな。そう思うと、少し切なくなる。

「ねぇ、君。私でよかったら、こっちに来た時には、会いに来てあげる。」琴音はそう言って、巨木の樹皮を優しく撫でた。
 巨木は優しく光り、<マタ、キテクレタ>と言葉を発する。
 私じゃないんだけどなぁ、と思いながらも、笑顔で「また、来てあげる。」と言い残し、その場を立ち去った。琴音は、こっちに来ないといけない理由ができちゃったな、とも思った。この佐平次が有名な植村政勝と同一人物だったかどうかは、結局、確認はできていない。でも、今の琴音には、そんなことはどうでもよくなっていた。

 さて、いま現在、朝の8時過ぎ。お店のオープンには間に合うけれど、真奈美さんと佳奈ちゃんに負担をかけすぎてはいけないから、できるだけ早く店に行こう。今日はすごい体験をしたけれど、このことは、また落ち着いたら整理して考えよう。恐らく、私の植物の言葉を感じ取る能力の発展版のようなものなのだろうけれど。そう思いながら、琴音は少し急ぎ足で駐車場へと歩を進めた。

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