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崖っぷち放送作家、何とか生きてます

人生は山あり谷あり。今どちらだと言われたら谷です。フリーランスの放送作家ですが、生活できるギリギリのギャラで生きています。コロナで一度仕事がゼロになり、何とかここまで這い上がってきました。しかし悶々とした日々・・・

毎日ほとんど人に会わず、家で黙々と仕事する孤独な作業。孤独感に苛まれ、ヒトカラで発散させるもスカッとしない。仕事量を上手くコントロールできず体調不良にもなりました。

だけど何とか生きてます。まだ人生諦めるのは早い・・・こんなところでくたばってたまるか!長い人生で考えれば辛いのは今だけ。仕事があるだけ恵まれているじゃないか。頑張っていればきっとどこかで道は開ける。だから目の前にあることを一生懸命頑張ろう。そんなありきたりな言葉を自分に言い聞かせながら、いつかこの日々から抜け出せると信じてこのブログを綴っています。


仕事がゼロになった放送作家

私は放送作家をしている40代の女性です。3年ほど前まで大阪の放送作家の事務所に所属しながら、テレビ局でクイズ番組の作成や情報番組のリサーチをしていました。どちらも長寿番組で、毎月のギャラも一人で生活する分には困らなかったので、何不自由なく自由気ままに毎日を過ごしていました。

ところが、新型コロナウイルスで私の人生は一変したのです。新型コロナが蔓延し始め、世間ではコロナにかかって生死を彷徨ったり、助かっても後遺症が残ったり、職を失ったりする人が増え、大変な時期を迎えていました。そんな中でも私はコロナにかかることなく、仕事も通常通りできていました。コロナ禍でありながら、どこか他人事のように思っていたのです。

しかし、次第に雲行きが怪しくなっていきました。番組でも出演者やスタッフの数が減らされ、私は自宅待機組になりました。会議もオンラインで行われるようになり、現場へ行く機会も減っていきました。それでも、しばらくすれば状況が落ち着くだろうと思い、あまり深くは考えていませんでした。

一か月ほどすると現場への復帰が解禁され、また通常通り働けるようになったときは本当に嬉しかったのを覚えています。出演者やスタッフが感染予防を徹底し、全員マスクをしている光景は何とも奇妙でしたが、このまま徐々に日常が戻ればいいなと思っていました。

ところがそんな私の思いもむなしく、まずクイズ番組の終了が決まりました。悲しいことに、私はその知らせをネットニュースで知ることになったのです。でもまだもう一本の情報番組があり、最悪こちらだけでも何とか生活できるので私は希望を持っていました。しかし追い打ちをかけるように、この番組も終了が決まってしまったのです。こうして私は仕事がゼロになってしまいました。

40歳前にして東京へ行く

仕事がゼロになったことを親には言えませんでした。しかしニュースを見れば分かってしまいます。当時、私は40歳前。私はこの先どうすればいいのか路頭に迷いました。状況は最悪だけどこれには何か意味があるはず、新しいことを始めるチャンスなんだ!と自分に言い聞かせました。そして何を思ったのか、「よし!東京へ行こう」と考えたのです。まさに「そうだ京都、行こう」みたいなノリでした。

放送作家をしながら、私はドラマの脚本家も目指していました。こっそりシナリオスクールにも通っていて、コンクールにも何度かチャレンジしましたが、箸にも棒にも掛からない日々。東京に行った方がチャンスありそうやし、作家としての仕事の幅ももっと広がるんちゃう?という浅い考えで、上京を決意しました。事務所の先輩に話すとさすがに驚いていましたが、行動力があるのは凄いし偉いと言われ、快く見送ってもらいました。こうして、何の当てもなく勢いだけで東京へ行ったのです。

救世主現れる

自宅でも仕事ができる広めの部屋を探していた私は、予算を考えて神奈川に住むことになりました。というのも、大学時代、神奈川に住んでいたので土地勘があったのです。あとは、東京に苦手意識があり住みたくないという思いもありました。

さて、東京の放送作家事務所を探していたところ、大手が事務所を見つけたので早速電話を掛けました。しかし今は募集していないと断られました。諦めてきれなかったので、履歴書を送って再度電話したのですが、反応は同じでした。縁がないところに執着しても仕方ないので、他に事務所を探したところ、バラエティ番組やドラマ脚本に携わっている事務所を見つけました。これや!と思いメールを送ったところ、面接してもらえることになりました。まさに救世主!

面接当日、東京に不慣れな上に方向音痴な私は場所が分からず、あろうことか遅刻してしまいました。もちろん電話はしたのですが、この時点で終わった・・・と思いました。息を切らしながら何とか面接会場に辿り着き、開口一番に謝罪。すると社長に「場所分かりにくかったですか?」と柔らかい口調で聞かれました。私は「東京、慣れてなくて」と言いながらもペコペコ頭を下げました。

半ば落ちたとは思いつつも、面接では一生懸命思いを伝えました。社長は私とあまり年齢が変わらなかったのですが、私が勢いだけで上京してきたことに驚きながらも、最低限の生活ができるようにしないとねと親身になってくれました。こうして何とか拾ってもらい、無事に東京の放送作家事務所に所属することができたのです。

しかし安心したのも束の間・・・現実はそう甘くなかったのです。
②へ続く・・・



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