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待ってましたあ 正倉院展2023

今年も開催されます!正倉院展!
正倉院事務所から、2023年の正倉院展の概要が発表されました。


もうこのために生きていると言っても過言ではありません(まじめ)

2023年の正倉院展は、10月28日(土)から11月13日(月)まで。
朝8時から18時まで(金・土・日・祝は20時まで)
会期中無休

そして、今年も事前に日時指定券を買う必要があります。
当日ふらっと行って拝見することはできませんのでご注意ください。

この前売り指定券の発売は10月5日 午前10時からです。
必ず買いましょう!!

正倉院展とは

正倉院展は、今年で75回目を迎えます。
75年の歴史がある・・・ということは、戦後すぐから始まっていると言うことです。

奈良時代、大事なものをおさめておく倉庫のことを「正倉」と言いました。「院」はエリアのこと。
正倉が沢山ある場所を「正倉院」と呼んだのです。

そして、大事なものを入れる倉ですから、どこのお寺にもありました。

現在、東大寺の正倉院が正倉院を代表するようなかたちになっていますが、かつては一般的に使われていたのです。

お寺の衰退とともにどこにでもあった正倉院が無くなってしまって、現在は東大寺の正倉院が残るばかりになりました。

東大寺の正倉院ですから、『東大寺』で保管すべきものが入っている場所なのです。

しかし、ある出来事から東大寺の正倉院は特別なものになりました。

聖武天皇の決断

そもそも東大寺をお作りになったのは聖武天皇です。
奈良時代に生きて君臨した方で、平城京ができて即位した三番目の天皇になります。

当時、日本は大変な苦難に満ちていました。

その大きなものが伝染病です。

国民の多くを死に至らしめた「天然痘」が猛威をふるいました。

天皇を支えた大貴族の中で、もっとも力のあった藤原氏。その筆頭の4人が立て続けに死ぬという惨事もありました。
この4人は兄弟で、聖武天皇の奥さんである光明皇后の兄さんたちでもあります。

国民の多くがばたばたと死んでいき、親を失った子供や子供を亡くした親はどんなにか絶望したことでしょう。
働き手がいなくなれば、当然飢えることになり、国の活力も削がれます。
この状況を打破すべき人こそ天皇でした。

一個人になんとかできることじゃないよーと今なら思いますが、当時は国が健やかでないのは天皇の責任。
天皇に徳がないから、こんな事態を引き起こしたと考えられたのです。

聖武天皇は国民を、日本を救うために考え抜き、そしてある結論に到達しました。
それが仏教にすがること。

巨大な盧舎那仏を造立することで、この国難を乗り切ろうと考えたのです。

光明皇后の祈り

聖武天皇は元々熱心な仏教徒であったようで、この天然痘が猛威を振るう以前、自分の息子が死んでしまったときに、観音さまを177体作って祈ったという記録があります。

当時の仏教は救済のみならず、知識人が蓄えるべき教養のひとつ。
国家として仏教を推進することは、先進国のたしなみでもありました。
同時に、神道が嫌う病気や死の汚れを扱い、知識によって解決法を提示してくれるもの。

僧侶は医学薬学の知識も備えたエリートだったのです。
聖武天皇は、仏教への造詣を深めていく中で、いよいよ自分に欠かせないものだと確信していったようです。

西暦752年に盧舎那仏は完成。
現在「奈良の大仏さん」と親しまれているあの方です。
この大仏さんの前で、聖武天皇は自分を「三宝の奴」と宣言しました。

三宝とは、仏教が尊ぶべき「仏・法・僧」のこと。
奴とは奴隷。
日本の頂点に立ち、神の子孫であるはずの天皇が「仏教」の下につくと宣言したのです。
これは当時の人々の度肝を抜くことでした。

大仏さんの完成ののち、4年後に聖武天皇は崩御。

その死に際して、奥さんの光明皇后は盧舎那仏にお供物を捧げました。

それはかつて聖武天皇が生前愛用したものばかり。

天皇が身のそばに置き、親しんだものですから、当時の最高峰の工芸品や価値ある宝物ばかり。

それをすべて盧舎那仏に献上したのです。

これが現在正倉院の宝物と呼ばれるものです。

夫が人生をかけて祈った盧舎那仏に、夫の冥福を祈り夫が無事に盧舎那仏の世界に往生できるように、残された宝物をすべて「喜捨」して祈ったのです。

喜捨とは文字通り喜んで捨てること。
光明皇后は、夫の意志を継ぎ、仏教徒としての姿勢でもって夫の為に祈ったのです。

正倉院の宝物

大仏様に捧げられた聖武天皇の宝物は、正倉院に納められて保管されることになりました。
同時にここは東大寺の倉ですから、東大寺で使用していた仏具や経典なども一緒に保管されたのです。
奈良時代から現代まで、正倉院はずっと続いていますから、色んな時代の大事なものが入り続けてもおかしくはないのですけれど、なぜかほぼ奈良時代で固められることになりました。

今正倉院の宝物として、聖武天皇の持ち物だったものと東大寺の所蔵品が保存されています。

その数およそ9000点。校倉という建物がばつぐんの保管能力を発揮し、宝物を現在に残してくれました。

奈良時代はお隣の中国が唐という国の時代で、華やかな唐風の文化が咲き誇ったころです。

当時の唐は世界の中心地。

ギリシャ・インド、中東、東アジア。色んな文化圏との交流がシルクロードによって成され、その文物が日本に入ってきたのです。

当時日本にはいなかったはずの羊のモチーフや、その技術がなかったガラス製品などがもたらされました。

当時の日本が世界とつながっていたこと。そこから得た知識や技術で日本もまた独自の文化や技術を発達させたこと。そこから誕生した素晴らしい工芸品が、天皇の身の回りを飾っていたこと。

そういうことを教えてくれる宝物が、当時とほぼ同じ形や色や輝きをもって保管されているのです。
奈良時代のものが、当時と同じように見ることができる。
これがどんなにすごいことか!
正倉院の宝物は、何をさしおいても見るべき宝物です。

正倉院の宝物は、一度出陳すると10年は出てきません。
大切な宝物を保護するために、10年という休息期間が必要なのです。
ですので、去年と同じ宝物が並ぶことはなく・・・
たとえどんなにすてきな宝物も、「今年」見ないと生きている内に見れるかどうかはわかりません(*^_^*)

ぜひ2023年の正倉院展、忘れずに前売りを買って会場に足を運んでください。

冒頭のイラストはみんなのフォトギャラリーより俵屋さんのものを使わせていただきました。俵屋さんありがとうございました!

奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。