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生きる意味を考えてしまうとき・死にたくなってしまうとき(精神科の主治医の先生と話してきたことメモ)

抗うつ剤を飲み始めてもう2年目? 3年目?  あれもしかして4年目……? とにかく、寛解までの道のりは遠い。

精神科でも心療内科でも必ず「家庭環境はどうでしたか」「子どもの頃の両親との関係はどうでしたか」と聞かれてきて、「私は良好すぎるほど良好な家庭で育ったんだけどなぁ」と不思議な思いだった。

だけど今月主治医の先生と話してみて合点がいったことがあった。私は自分の理想の「お母さん像」「家族像」をとても高いハードルで設定していたということに気付かされた。恵まれた、良好な、家庭で育ったゆえに。でもこれは、誰も悪くない。

受診したあとのメモをそのままnoteに残しておく。

受診メモ

・前提として、「死にたい」「死ぬしかない」という思考になるときは相当追い込まれている

・つらい→逃げ出したい→でも逃げ場がない、というとき、自分が自分に課している責任を全うできないことが許せず、究極の選択肢である「死ぬ」が出てきてしまう

・普通の人は、つらい→じゃあどうしよう?→そこから複数の選択肢を検討(たとえば、今日は諦める、親を呼ぶ、ヘルパーを頼む、延長保育する、旦那が帰るまで避難、など)できるが、完璧主義で理想の高い私の場合、「こんな親じゃダメだ」「こんな自分は許せない」「もうつらい」「逃げ出したい」「でも逃げ出すわけにはいかない」「死にたい」へと思考が飛躍してしまう

・そもそも心が健康な人は「生きている意味」や「生まれてきた意味」を考えない→そんなことを考え始めた時点で自分は相当心が参っていると認識する

・心を病む人は家族(特に親)との関係性に問題がある場合が多い。私の場合、家族関係は良好だったが、自分自身の思考の癖として自分に厳しい、自分への理想が高い、完璧主義などがあり、それが理想の家族像・母親像と現実の自分との乖離を許せないという悪い流れになっているのでは?

・まずは幻想のお母さんとの比較をやめる(若い綺麗なママ、毎日お化粧、家の中いつも綺麗、親の手を借りずに育て上げる、外食せずにほぼ毎日手料理、子どもの前で泣かない、頼りになる親らしい振る舞い)

・「今の私と同じ歳の時のお母さんはこんなんじゃなかった」と思ってしまう癖をやめる

・今思うと、高校も母のおすすめに入り、大学もおすすめに入り、学部も母と同じ英語系を選び、子ども嫌いのくせに若いママになりたいと中学時代から思い続け、勝手に憧れて勝手にお母さんの後を追い、自分と比較し続けてきた

29年間の考え方の癖は簡単に治せるものではないので、その都度「あ、自分また比べちゃってるな」と認識することから始める

・完璧主義をゆるめていく(たとえば自分が80できていたとしても、20のできない部分ばかり目について自己評価を下げてしまうタイプ。できなかった20ではなくできた80を認めてあげるところから始める)

・自分に対する理想が高いタイプなのでまずは理想のハードルを下げてみる(そのために自分のできるところを認めたり、キャパの狭さを把握したり、苦手なことを再確認したりする)

・頼るのが苦手でも家族には心置きなく頼ること。子育ては大変だから頼らないでできる人は1人もいない。他のママもできてるように見えてもできてなくて誰かに頼ってるはず。周りと比べて落ち込む必要はないと認識しておくこと

ママが泣く姿を見せてしまっても子どもの情緒が不安定になることはないので、泣きたいときは泣く、で◎

まずは「自分はうつ病なんだ」と認識することが大きなステップだったなぁと振り返ってみて思うけど、今回もなかなか大きな気付きだったんじゃないかと思う。

ここ最近、「私が生きている意味ってなんだろう?」「意味を見出せないのに続けることは苦しすぎる」「でも死ぬのは怖い。こんなことなら生まれてきたくなかった……」という感じでぐるぐるぐるぐる考え続けてはドツボにハマり、絶望から抜け出せない感覚だった。

そっか、「生きてる意味」なんて、元気な人は考えたりしないんだ。(哲学的な思考として生きてる意味や人が生まれてくる意味を考え続ける営みならいいけれど)

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