ギブアンドテイク、のその先



読書記録:世界は贈与で出来ている 〜資本主義の「すきま」を埋める倫理学〜

前回に引き続き、贈与シリーズ第2弾です。
私は元々、人間の行動は全て「自分の為」だと思ってました。最近になってようやく、純粋に「人の為」というのもあるのではないか?と、ぼんやり思うようになり、そんな時に出会ったのがこの本です。
「GIVE&TAKE」の方を先に投稿しましたが、こっちの方が先に読み始めました。ただ、理解が難しく何度も挫折してしまい。。。
ただ、個人的には、こっちの方が数倍好きです。「GIVE&TAKE」+αの内容で、哲学的・論理的に説明している為(だから難しかったのですが)、進化版と勝手に解釈してます。

この世には、お金で買えないものや無償の愛、いわゆる贈与というものが存在する。では、この正体は一体何なのか?そして、私たちの行動や生活にどのような影響を及ぼすのか。を論じる本です。



ギブアンドテイクの限界点

ギブアンドテイクには、限界があります。それは、「返さなければいけない」ことです。受け取った分、それと同等のものを返さなくてはいけません。
特に、この資本主義社会では持っている者が正義です。ギブアンドテイクの関係性のままだと、持っていない者は受け取ることを拒否し、助けを求めることが出来なくなります。
贈与の原理を知ることで、そのような人たちとの関係性を再構築し、新たな関係性をつくりあげることが出来ます。


全ての始まりは「気づく」こと

贈与は無償の為、基本的に一方通行です。(見返りを求めればそれは交換になります。)
また、贈る相手が不特定多数の場合など、届け先が明確でない場合もあります。なので贈与としての物や行為が届くまでには、数年かかる、もしくは届かない、ということもあり得るのです。



当たり前か、特別か

では、贈与が届かないとはどういうことか?
贈与には、以下の特性がある為気づかれにくいです。

・「これは贈与です」と、贈り手から伝えることがない。
・存在が当たり前すぎる。

コンビニに毎日商品が揃っている。道端にあったゴミがいつのまにか無くなっている。。。これを、当たり前のことと思うのか、他者からの贈与と感じるのか。私たちは、「無い」ことに気づくのは簡単ですが、「有る」ことに気づくのはなかなか難しいです。受け手が気づかなければ、何も無かったことになります。つまり、受け手が贈与と気付いた時点で、初めて贈与が成立します。



この世は贈与で満ち溢れている

今日過ごした1日は、いつもと変わらないつまらない日だったのか、それとも誰かのおかげで変わらない日常を過ごすことが出来ているのか。受け手の捉え方次第なのではないかと思います。
何かの本で読んだ一説、

″「幸せになる」ではなく、「幸せである」″

という言葉を思い出しました。

意識一つ。考え方一つ。
この本のタイトルである「世界は贈与で出来ている」は、この世の真理や、結論などではなく、考え方なのではないかと思います。

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