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苦手を認め捨てると、子供を愛おしいと思う!


この間は
子供の自由を尊重するポイント
対等
本心を伝える事をお伝えしました。

私は楽しく、楽に生活するのには
【対等】とういう関係が不可欠
だったと感じています。

私の場合
【対等】を築こうとしても
できませんでした。

・自由になって→はじめて→対等
・本心を伝えて→はじめて→対等関係
が築け

体と心が楽になっていきました

どんな状態だったか
例えると

暗い海の中で
溺れそうで必死にもがいて
這い上がろうとしていた私は

気が付かないうちに
何枚もの服とおもしを
まとってしまっていた。

おもりや服を脱いだら、
必死こかなくても浮いてるやん。
という感じなのです。

生活していたり、
子育てしている時
いっぱいいっぱいで
溺れている時に
身にまとっているものが
多すぎると
気が付けば
おもしや洋服を捨てられるけど

必死だと気が付けないのです。

私は
努力は報われると信じ、
自分が生きて行くうえで
決断した事に対して
苦難は
努力して
なんとか乗り越えようとしていました。

でも以前お話したように
努力しても、頑張っても、
どうしようもない
事が
あるのです。

子供が生まれて
努力しても我慢してもどうしようもない事を
私は学んだのですが
その中の意外な一つを紹介します。

私は子供の友達の名前が
覚えられない
のです!

これって
子供をもつ親として
致命的です。
子供の友達の名前を覚えられない
つまり
ママ友の名前も覚えられない。

いやいやおかしいでしょ?
自分でもこの現象を認めるまで
数年かかりました(;'∀')

子供が公園デビューしたり
   学校に入学する。
すると友達ができ徐々に
親子共々交友関係を築いていきます。
するとお友達の名前や顔が少しづつ
インプットされて記憶入るとおもうのですが

私は何度会っても会話しても、
関係が深まっても
名前が覚えられないのです。

必死に努力して覚えようとしました。
年度初めに配られる
給食当番表などで(;'∀')
入学式の写真と照らし合わせながら
よしよし、これでばっちり覚えた~OK。

でも
何度やっても
しばらくすると
名前が出てこなくなってしまうのです。
「あーあのあのあの子」
ってなちゃう
手帳に挟んで事あるごとに復習し
把握をし直してもダメなんです。

私は病気か?
とも思いました。
でも
仕事で部署が変わって
メンバーが変わっても
一日で
仕事の同僚の名前は覚えられるんです。

名前が覚えられないと
どんな感じになるか?

買い物中ばったり
ママ友と遭遇。
こんな感じです

Aさん「久しぶりー」
   「最近○○くん、学校休んでたって聞いて大丈夫?」
      ↑うちの子の名前


わたし「ありがとう。心配してくれて。。。」
とうちの子について話した後

さて、Aさんのお子さんの話をしなくては!
話を振ろうとした瞬間

「頭がフリーズ」( ;∀;)
名前が出てこない(;'∀')
「・・・・・・」

お子さんの顔が映像として浮かぶものの
「・・・」
お子さんの名前もママ友Aさんの名前も
思い出せない・・・

この時どうするかと言うと

私はもう微笑むしかないのです。

穴があったら入りたいと思うような
同じような出来事が何回か続きました。

もう無理。
私は子供の友達の名前と
ママ友の名前が
どうしても覚えられない。
事を自分で認めました。

これは何度トライして努力しても無理。
名前が覚えられないって

ママ友との関係を築くうえで
致命的です。

親として失格じゃないかと
思ったこともありました。
でも
どうしても無理だったんです。

当然出来て当たり前と思っていたことが

必要だと思っても
どんなに努力しても無理な事がある。
         苦手な事がある。
   人には   弱点がある。
のです。

自分が出来ないことを
認めると
いろんな事が楽になりました


これは
自分の苦手を
どんどん捨てて行くような感じです。

ママ友の名前が覚えられない→OK
ママ友と関係が築けない→OK
片づけが苦手→OK
子供と一緒に遊ぶのが面倒→OK

一般的に出来て当然かもしれないけど
私は無理だったからやらない

無理な事は捨てるのです。

それはダメな人間ではなく

使えない武器を使うのではなく
使える武器を使えればなんとかなる


名前が覚えられなくても
なんとかなります。

微笑んでごまかす武器があるじゃないか!


すると
子供にやさしくなれました

それまでは
片づけが出来ない子供に
なんで片づけできないの、
ちゃんと片づけなさい!

宿題がどうしてもできない子供に
どうして宿題やらなの
早くやりなさい!

とガミガミ怒っていました。

でも自分が苦手な事を捨てられると
子供に対して
こんな感じでに変わります。

いつまでも
ちょうちょ結びができない子供に
なんで出来ないの?
何度も教えているのになぜ?

何度も練習すればできるはず。
とイライラちょうちょ結びを教えます。

でも自分の苦手を克服せずに
出来ないことを捨てる事ができると

私もどんなに頑張っても
出来ないことがあった。

だから
あなたも出来ないことがあって当然。
と思えるようになったのです。

出来ないことがある
あなたも私も同じ人間
対等で世の中を生きる同志

ちょうちょ結びが何度やっても出来ない
あなた。
宿題が出来ないあなた。
出来ない事もあるけど
出来る事も必ずある。

出来ないことがあるあなたが
なんだか分からないけど
たまらなく
可愛くて 愛おしい。
と思えるようになったのです。


今日のまとめ

自分の出来ない事や苦手を認め
見切りをつけ捨てることが出来ると
子供と対等になり
子供が可愛くて愛おしいくて
たまらなくなります。

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