yasuko

地域情報紙のライターをしながら「おおみやラジオ」を不定期に配信しています。

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最近の記事

最強のともだち

金曜日、朝SONGSを観てから岡村和義のライブへ。時間がたっても噛み砕こうとしても感想がうまく書けない。人に聞かれたら「すごかった」という言葉しかまだでない。若くまだ売れもしない頃わずか30秒の場所にくらしていたという2人。知ったのはこのロケ。お互い、順調に歳を重ねたわけではないだろうが、この数年で近づき、2人で歌をつくるようになった。 『サメと人魚』ができたとき震えたというけれど、私も初めて聴いたとき震えた。岡村さんが本気だして曲を作ったから、斉藤さんもそれに応えて歌詞を

    • 志田一穂さんと大林千茱萸さんのトークイベント 隣町珈琲

      昨日の隣町珈琲での映画イベントは素晴らしかった。まさに志田さんと千茱萸さんと、観客と千茱萸さん曰く「ここに来ていると思う」の言葉通り大林監督がその場にいたように思った。志田さんの喋りは原稿もなく2時間続く。志田さんと千茱萸さんの掛け合いに大林家との付き合いの長さや深さを思う。それは、志田さんが若かりし頃、情熱だけで監督にたどり着いたからこそできたきずななのだ。貴重な映像、画像を見せていただき、あっという間の2時間だった。 2018年秋だったと記憶している。関わっていた蒲田映

      • エノモト

        池上の老舗洋菓子屋が、3月17日をもち閉店する。 今もSNSを見たら大勢の人が並んで開店を待っているようだ。 その様子を見て、私の思い出を簡単に残そうと打っている(推敲の時間もなく誤字脱字ゆるしてください) あれは、私が小学生の時だった。8歳上の従姉妹が修学旅行に出かけて夜になってのこと、担任から連絡を受けた叔母は、 「やだあの子、パジャマ忘れたんですって」 と言った。 あの頃我が家は歩いて5分のところにある祖父母の家でお風呂を借りていた。もらい風呂っていう言葉がその当時は

        • 街の灯 映画の灯

          昨日は池上日和の後、二子玉川へ。 たまがわLOOP「名作映画探検隊」に友人から声かけいただき行ってきた。登壇者はDJで、映画や映画音楽について各地で話をされている志田一穂氏。チャップリン『街の灯』についてのお話しでした。チャップリンの生い立ち、半生、そして時代背景をわかりやすく説明いただきに、格差のある社会の中でもがき生き抜いてきたチャップリンが、晩年には反戦への想いを強くし、それを作品に落とし込むまでがとてもよく理解できた。巨匠黒澤明監督や大林宣彦監督らが同じ道を辿ったとい

        最強のともだち

          遠雷

           米寿の祝いは恥ずかしいからやらないでほしいと母は言った。昔から照れ屋で人の中心になるのを嫌がるところがあった。当時八十八歳の母は、父が二十年前にこの世を去ってから、一人で暮らしてきた。幸い私の住むところからも近く、孫の顔を見がてら行き来があった。多くの友人とのおしゃべりを楽しみ、教師をしていた時代から続けていた機関紙を作り、絵を習い、映画館に足蹴く通っていた。家事は昔から苦手な人で、私が通いで行った。義理の母の世話もあったので、毎朝おかずをタッパーに詰めて、通学途中の息子に

          ちび

          ちび その猫は「ちび」と呼ばれていた。 父母、といっても夫の父と母で、私には義理の親だ。父母二人の住む家の小さな庭には、毎日のように野良猫がやってきていた。ちびは痩せて、顔がとても小さかった。野良猫どうしで喧嘩でもしたのだろう。顎に傷があり、口がうまく閉まらない。いつも口元からピンク色の小さな舌を出していた。 父は毎朝雨戸を開けると、縁側で胡坐をかいてちびのことを待っていた。ちびはどこからともなくやってきて、遠慮する素振りも見せず、ぴょんと父の膝に乗った。 「ちび、五分だけ