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ちび

ちび

その猫は「ちび」と呼ばれていた。
父母、といっても夫の父と母で、私には義理の親だ。父母二人の住む家の小さな庭には、毎日のように野良猫がやってきていた。ちびは痩せて、顔がとても小さかった。野良猫どうしで喧嘩でもしたのだろう。顎に傷があり、口がうまく閉まらない。いつも口元からピンク色の小さな舌を出していた。
父は毎朝雨戸を開けると、縁側で胡坐をかいてちびのことを待っていた。ちびはどこからともなくやってきて、遠慮する素振りも見せず、ぴょんと父の膝に乗った。
「ちび、五分だけだよ。切がないからね」
ちびは母猫に甘えるように、父の太ももに身体をなすりつける。金属加工の職人である父の手は驚くほど分厚くて大きく、ちびの小さな顔がすっぽりと包みこまれてしまう。
「ちびはお父さんにしか懐かないのよ」
母はそう言いながら笑っている。母は座りもせずに家の中で忙しく動いていた。私には美味しい日本茶を出してくれた。母ほど美味しい緑茶を淹れる人を私は知らない。私は義母の前で居眠りするほどリラックスする。それは母が優しく、柔らかな雰囲気を持っていたからだと思う。


父が病に倒れてあっという間に逝ったのは、10年以上前の三月のことだ。突然の出来事を母は受け入れられず、ああしてあげればよかった、こうしてあげたかったと口にしては泣いた。
私たち家族は、人が亡くなると事務的な片付けにこんなにも追われるのかと驚くばかりで、気がつけば庭にはたくさんの雑草が生い茂るようになっていた。ちびのことを気に掛ける余裕などなかった。
ちびは時々やってきては庭の隅を沿う様に歩いた。そして縁側から家の中を眺めた。その姿は父を探しているように見えた。


ちびが庭で倒れていたのは、その二か月後のことだ。日差しが強くなった梅雨明けの七月末、雑草が膝丈より高く太陽に向かって伸びていた。その草の中でちびは倒れていた。母は慌ててちびを抱え、動物病院へ走った。腎臓が悪く脱水症状を起こしていると診断された。ちびはしばらく入院することになった。
ちびの入院中、母は毎日のように見舞い、
「ちびちゃん、頑張れ。早くよくなるのよ」
と声を掛けた。管理された温度と高栄養の点滴で、ちびは一週間ほどで元気になった。退院の時は目の飛び出るような治療費を支払い、バスタオルで包まれたちびをゲージに入れた。
「ちびちゃん、これからはもうお家の中で暮らしましょうね」
母はそう言い、私たちを驚かせた。
その日からちびは母の家の猫になった。母とちびは意思疎通ができているかのように会話をする。なんとも微笑ましいコンビだった。父のいない寂しさを、ちびが埋めてくれている、そんなふうに私たちには映った。家の中で過ごすようになったちびは小さな身体が少しだけ丸くなった。ほんのほんの少しではあったけれど。


華道の先生をしていた母は、月に数回着物を着ては丸一日外出をする。和装の母は凛としてとても美しかった。父が亡くなってからしばらくは着物を着るのも億劫がったが、あの頃は季節に合わせた着物が欲しいとまで口にするようになった。普段と違う母の姿にちびは何かを察するのだろう。しつこいくらいに足にじゃれついた。
「ちびが待っていると思うと帰り駅から走ってしまうのよ。足袋が真っ黒に汚れちゃうの」
夕暮れに家路を急ぐ母の姿が目に浮かぶようだった。
母の生活に張りがでてきたのが目に見えてわかるようになった。広い家を綺麗に掃除し、三度の食事をきちんと作るようになった。庭の雑草を抜き、胡瓜や茄子の苗を植え、夏になると一人で食べきらないほど収穫した。「食べきれないから取り来て」と連絡をもらい息子が自転車で向かう。驚くような大きなきゅうりを抱えて帰ってくる。そんな日々に私は安堵していた。
ちびは相変わらず痩せていて小食だったが、猫用のフードを悪くなっている歯でカリカリと一生懸命音を立てて食べていた。柔らかいフードは口に入れると口内炎に張り付き痛いらしい。カリカリがいいのよと母は言った。まるで私はちびのことわかっているのと胸を張るように。
ちびは母に寄り添い、母はちびを心から慈しむように暮らしていた。

そんな生活が3年ほど続いた。
一変したのは東日本大震災の後だ。お花を教えに神奈川県の橋本まで出かけていた母は、その日帰宅するまでに相当の時間と体力を使った。母はそれ以来外出を嫌うようになった。
近くのスーパーに行くだけの短調な毎日が続く。人に会わない日々は身なりさえも気にしなくなる。髪を黒く染めるのをやめると、あっという間に老けた印象になった。私たち家族が訪ねても生気のない顔を見せ、会話が弾まなくなった。いつも煎れてくれる美味しい日本茶が苦いだけの飲み物に変わってしまった。何より母自身は食事がきちんとできているのか心配だった。
母は自分の生活の全てを見られるのを嫌がり、私たちを客間に通すようになった。台所のあるリビングダイニングがどんな様子なのか見ることができなくなった。
「いやねー、三度三度ちゃんと食べているわよ。ちびが台所で、じいっと見ているから食事を作らないわけにいかないのよ、ね、ちびちゃん」
そんなことを口にした。

それが認知症特有の「取り繕い」だと気が付くのはそのあとのことだった。
冷蔵庫が壊れたのをきっかけに、リビングに入ると、台所には洗っていない食器が重なり大量の小蠅が飛んでいた。何ヶ月分の新聞が部屋中に散らかっていた。カレンダーは数ヶ月前のまま捲られていなかった。母がきちんと食事をしているようにはとても思えなかった。その日、冷蔵庫と台所の片付けを私たち家族で行うと大きなゴミ袋が40袋にもなった。その日からまもなく、母は
「金庫にあった通帳がない」
「おろしたお金がない」
と口にするようになった。家族はそれぞれ皆、戸惑い、どう対処していいか分からずにいた。母が風邪をこじらせ体調を崩した後、兄夫婦が同居の提案をした。母はそれを頑なに嫌がった。ヘルパーさんに家に来てもらうことも拒んだ。
「誰の世話にもならなくてもちゃんと生活できるわ」
何度もそんなセリフを口にした。本心なのか、遠慮なのか、いやそんな問題ではもうなかった。 

「老い」は一気にやってきてこれまでの普通の生活を奪うのだと思い知らされる。火事を起こさないように最低限のことを整え、あとは通いで様子を見ていくしかなかった。その年は六月からすでに真夏のような暑い日が続き、義母は日に日にやつれていった。


そんな中、またちびが倒れた。トイレの前の廊下に倒れていたという。前回倒れてからもう五年も経つ。ちびはもともと野良猫だったから、正確な年齢はわからない。でもそれなりに歳をとっていないわけがない。
ちびを急いで病院へ連れて行くと、状態はとても悪く、余命数日と告げられた。腎臓がすでに全く機能していないとのことだった。
「ちびちゃんはもう何日も食べてないと思いますが、いかがですか」
医者が問いかけても、母は曖昧にしか答えられなかった。
「一日だけおうちに連れて帰り、家で過ごさせましょう。あとはこちらで安楽死させます。もともと野良だった猫です。充分幸せだったと思いますよ」
医者は母を諭すようにやさしく語りかけた。
母がちびを家で看取るのは無理だ。気力が残っているとは思えなかった。つらい決断だがそれしかないと思った。しかし母はちびは家で看取ると言って譲らなかった。
「お母さん、それは無理です。お母さんの身体が心配です」
私たちの言葉に母は、
「ちびの世話をしたいのよ。家で死なせてあげたい。もう後悔するのは嫌なの」
絞り出すような声で言った。「後悔」と言う言葉が胸に刺さった。後悔とは、亡き父のことを言っているのは明らかだ。

ちびをもう一度家に連れて帰ることになった。


そこから十日間、ちびは少しずつ弱っていったが、義母の家で静かに時を過ごした。ある時は亡父の書斎の椅子で一日を過ごし、ある時はお風呂場のタイルの上で過ごした。東京はお盆を迎えていた。私が顔を出すと部屋が妙に暑いことと感じる。クーラーはやせ細ったちびの身体に悪いからと、母はうちわでちびをあおいであげたていた。母の方が倒れないかと心配したが、不思議なもので母はどこか生き生きしているように見えた。ちびの世話をすることが母にとって生きる力だったのだろう。ちびは苦しんでいる様子はないが、身体のどこにも力がなく、日に日に死期が近いことは見て取れた。


母はちびのためにきびきびと動いていた。まるで若い母親が赤んぼうを世話するようだ。肌艶があり、背筋も伸びている。その姿はどこか神がかっていた。突然この世を去った父のかわりにちびを一生懸命世話しているのだ。家族もちびの様子が気になり、毎日誰かしら顔を出した。
「ねえ、ちびちゃん、最近はたくさん人が来て寂しくないわね」
母はそんなことも口にした。やはり母は、父亡きあと一人で暮らすのは寂しかったのだと突きつけられた気がした。


ちびは家に帰ってから9日目、タオルが敷かれたダンボールの中にちびは自ら入り、あまり動かなくなった。 
夕暮れ、向いの家が送り火を焚いていた。うす暗い電球の下、部屋の隅で蚊取り線香の煙がゆるくたちのぼっていた。母はうちわでちびをあおぐ。どこからか盆踊りのお囃子がきこえてきた。

次の日の朝早く、ちびは天国に旅立った。
「ちびちゃん」
と母が最期に呼びかけると、ちびは
「にゃ」
と返事をしたという。


ちびはクッキーの箱に入り、新しいタオルがかけられた。どんなにか疲れているだろうと母を心配したが、母はとてもさっぱりした顔をしていた。ちびの最期の様子を語る姿も饒舌だった。
母は愛おしそうにちびを見ていた。そして、周りに私たちがいることなど目に入らないように、


「ちびちゃん、元気にお父さんのところに駆けって行くんだよ。まっすぐ、まーすぐ行きなさいね」


皆が驚くほど大きな声をあげた。

ちびの亡骸に触れると、生きていたころのぬくもりがまだ残っていた。


母は、そのぬくもりを記憶するかのように、何度も、何度も、撫でていた。