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エノモト


池上の老舗洋菓子屋が、3月17日をもち閉店する。
今もSNSを見たら大勢の人が並んで開店を待っているようだ。
その様子を見て、私の思い出を簡単に残そうと打っている(推敲の時間もなく誤字脱字ゆるしてください)


あれは、私が小学生の時だった。8歳上の従姉妹が修学旅行に出かけて夜になってのこと、担任から連絡を受けた叔母は、
「やだあの子、パジャマ忘れたんですって」
と言った。
あの頃我が家は歩いて5分のところにある祖父母の家でお風呂を借りていた。もらい風呂っていう言葉がその当時はあったと思う。その時私はお風呂上がりの濡れた髪を祖母にタオルで拭いてもらっていた。突然祖母が顔を覆って、
「あのこ、パジャマがなくて不憫な思いをしていないかね」
と泣き出した。突然の嗚咽に私は驚いてたちあがり、振り返り祖母の方を見た。叔母も叔父も悲しそうな顔をしていた。
「おばあちゃん、大丈夫だよ。パジャマを間違えて2つ持ってきた友達もいるよ。貸してもらっているって」
と不器用に笑って言った。なんだかその場は余計に鎮まり、おばあちゃんはもっと泣くことになった。


「もう遅いから康子は帰りなさい」
叔母にそう言われ、玄関でサンダルを履く。玄関の鏡にうつる私の髪がまだ濡れていたのを覚えている。
おばあちゃんを余計な一言で悲しませたかなと気にした私は、翌日エノモトにケーキを買いにいっった。誕生日のケーキはここでしか買わないから店員さんの顔も覚えている。でも親に預かったお金ではなく、にぎりしめた自分のお小遣いだとケーキ2個は買えないのだ。私は小ぶりのシュークリームを2つ買い、おばあちゃんに「食べよう」といった。おばあちゃんはうれしそだった。


ケーキにも、お団子にも、おばあちゃんはいつも日本茶を淹れてくれた。
修学旅行から帰った従姉妹はケロッとしていた。パジャマの話題もでないほどだった。


何年かすると、おばあちゃんは従姉妹の誕生日の翌日に亡くなった。従姉妹は
「私の誕生日待っていてくれたのかな」
と言った。私は、おばあちゃんがあの時顔を覆って泣いた話を従姉妹にした。
すると突然、従姉妹が顔を覆って泣きだすのだ。細身の従姉妹はどこかおばあちゃんに似てきていた。


あれから何十年も経って、私は40代、従姉妹は50代になった。
従姉妹は嫁いでも池上を離れなかったから、叔父を亡くした叔母は心強かったと思う。けれども、女の親子によくあるように顔をあわせれば喧嘩もよくしていた。
次女であるもう一人の従姉妹は蒲田に暮らし、わずか池上線2駅といえども、叔母との距離をうまくとっていたように私にはうつった。次女には孫がいなかったのもあるだろう。


そうすると、叔母にとっては私が一番なんでも話せる相手だった。
働いて忙しい母とあまり話せない私も叔母にはなんでも話した。偶然駅やスーパーで会えば、
「やっこ、お茶しよう」と浅野屋やエノモトに誘ってくれた。今から10年ほど前のことだ。

その数年前に叔母は腎臓癌を手術していた。70歳後半、進行もゆっくりで年齢が先か癌の進行が先かと言われていた。けれども、癌が股関節に転移してしまい、歩くのもつらそうだった。
エノモトの席はとてもゆったりしている。小さな庭に和洋きれいな花を眺めることができた。でもなぜか叔母は入り口近くのざわざわした席に座り、少し声をひそめて話すのだ。
これ以上ここに記すことはしないが遺産の話だった。
それはちょっと突拍子もない話で、私は面食らってしまった。

静かに目の前に紅茶とケーキが置かれる。叔母はモンブラン、私はかわらずシュークリームだ。
「もっと色々飾っているのを頼みなさいよ」
そう言われても、私は祖母と食べたシュークリームが一番好きなのだ。
「遺言には・・・・・・・と書いたの」
叔母はいう。紅茶を吹いてしまった。
「おばちゃん、まってまって、それはやめて、お願いだから。いなくなった後、そんな風になったら辛いよ」
しずかな喫茶室に私の声が響いたようで、叔母は
「しー」といった。
「ね、ね、お願いだからやめてね」
「やっこにそう言われると辛いわね」
といいながらも叔母は頑固になっていた。
今思うと進行してきた痛みを止める薬で、叔母の性格はすこしかわっていたのかもしれない。


しばらく無言でケーキを食べたあと、
「ちょっと待っててね」
と叔母はいい、足をひきずり目の前のケンタッキーへ行った。
絶対食べ切るのに3日はかかるという数のフライドチキンを当時高校生の息子にもたせてくれた。叔母はこれ以上なく息子をかわいがってくれた。娘も孫も私もみんな女だったからかもしれない。


叔母の遺言はその時思いついたものだったのか、のちに破棄されたのか、
叔母亡きあとも、のこされたものは皆比較的近くで仲良く暮らしている。



今でも従姉妹の家に寄るときはエノモトのケーキを買う時がある。
シュークリームを選ぶ人はまずいないのに、誰かに取られたらと私は2つ買ってしまう。

「もっと色々飾りがあるのにしなさいよ」

フルーツの名前もわからない叔母の言葉が蘇ってくる。