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食べることの喜びをもう一度

最近、食事が作業の一つになりつつあると感じています。
お腹が空いたから食べる、空腹はしんどいから食べる。
別に何が食べたいとか欲は無い。
ただ、何か作って食べる。
ただ、何か買って来て食べる。
別に何でも良い。
そして何が食べたいとかも無く、
それが好きだからとか美味しいからだとか関係なく、
空腹を凌ぐ為に食べる。
勿論、食べたい時に食べられる。飲みたい時に飲める事はとても幸せなことだ。
揚げ物ばかりだと身体に悪そうだからサラダも少し食べる。
別にドレッシングは有っても無くても良いし、何味でも良い・・・

何故こうなってしまったのだ!!!

少なくとも小さい頃は違ったはずだ。
毎日、学校でも「今日の給食は何かな?」とか、
家に帰っても、ただいまよりも、手洗いうがいよりも、
ランドセルを置くよりも前に、母親に「今日の夕飯はなに~?」と真っ先に聞くくらい楽しみだったはずだと記憶している。

もちろん私が大人になったという事の証でもあるとは思いますが、
大きな違いは自分で選択できるかどうかなのかなと思います。
大人になると自炊でも外食でも居酒屋でも自分で食べたいものを選ぶ。
それに対して子供の頃は自分で選択する余地がなかった、
作られたものを食べる。出されたものを食べる。
こう考えると選択する若しくは出来る方がより一層、食事への興味関心は高まりそうなものだが、何故か逆になる。

以前の職場ではランチとしてお弁当を注文することがあった。
今日は自分で持ってきているから、今日は外で食べるからと言って不要な日もあったが、稀に注文していた。
このお弁当屋さんは選択制ではない。自分で唐揚げ弁当や生姜焼き弁当のように選んで注文する方式ではない。
日替わり弁当一択なのです。毎日具材は変わるけど、1種類しかない。
そう。まさに学校の給食と同じでした。
その分、1食290円と破格の値段でした。
このお弁当を活用する時は少なからず楽しみにしていた自分が居ました。
今日は何かな?苦手な海鮮ばかりだったらどうしようとか。
何なら前日に翌日のお弁当の中身が分かるのでWEBで検索したりした。

あ、こういうことか。選択できる喜びより、選択できない喜び?
選択できないと何が出てくるか分からない楽しみがある。

今は数少なくなってきたが、私が小さい頃はミステリーツアーなるものがあった。
行き先は未定のツアー。分からない喜び。どこに連れて行ってくれるんだろうというウキウキ感や高揚感を得られた事を覚えています。

分かるより分からない楽しさや喜び。。最近、減ってきたなぁ笑

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