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不毛な議論から身を引きたいあなたへ

最近読んだ小説にこんな一幕があった。

ある1つの事件に対して

A
「加害者の人権も考えるべきだ」

B
「自分の家族だったとしても同じことが言えるのか」

こんな感じで対立していて、「私はそんな話をしてるんじゃない!」と双方が腹を立てていた。

おそらく誰しも、同じようなシチュエーションは経験した(あるいは遠巻きに目にした)ことがあるんじゃないだろうか。悲しいかな、SNSを眺めているとこのような衝突は日常茶飯事だ。終着駅が一向に見えないまま全員が気分を害している。

基本的にはみんな、ムダな言い争いなど望んでいないはず。そもそも100人の主張が全員一致するわけなどないのだから、議論していること自体はさして問題ではない。


ただ、もしも同じようなシチュエーションに遭遇したら1つだけ整理すると良いと思う。

なにかというと「軸がズレている」ということ。

上記の例をもう一度記載する。

A
「加害者の人権も考えるべきだ」

B
「自分の家族だったとしても同じことが言えるのか」

良くも悪くもAの主張は一般論、つまり抽象的な軸で語られている。一方でBは極めて個別な視点で、具体的な軸のもと主張されている。


似たような機会があったらぜひ見てみてほしい(ない方がいい)のだけど、不毛な議論のほとんどがこのように軸のズレから始まっている。

それ一生終わらないぞ、ということに気づく。

持ち家か賃貸か?レベルでゴールがない話に終始するが、「ああ、これは終わんないやつだ」と気づいておけるだけでだいぶ違う。


僕は起業する前にアパレル業界で働いていて、現場と本社は常に主張がズレまくっていた。あるいは社員と上司なんかも同じ。

とにかく話の軸が違うから交わるわけもないのだが、当時そんなことは知らなかったから

「なんて話のわかんないやつだ!」
「この人とは議論するだけムダ!」

みたいな感じで社員側・上司側どっちも経験した。

いずれにしても「価値観が合わない」といったよくわからない形で片付けていたが、仮にいまあの頃に戻ったらもう少しうまくやれそうな気がする。

対策なんてのはいつも、そもそもの問題がわかっていないと立てようがないから。


日本語しかわからない日本人が日本語で主張し、英語しかわからないアメリカ人が英語で主張している。

このときお互いに「なんで伝わんねえのよクソ!」とは思わないはずで、なぜなら「言語が違う」という原因に気づいているから。

そこからボディランゲージで伝えたり、何かしらの対策を練るのは比較的容易だ。


会社であれネット上であれ、不毛な議論に疲弊している人は本当に多い。

どう考えてもそんなストレスは低減されたほうがいいから、少しでもワンクッション置くためのヒントになれば嬉しいです。


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