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マイノリティだけに囚われない生き方。|手と仕事#22


社会的少数者(しゃかいてきしょうすうしゃ)とは、その社会の力関係によって、少数者、少数派もしくは弱者の立場に属する者やその集団を指す。また、そのグループに属することによって社会的な偏見や差別の対象になったり、少数者の事情を考慮していない社会制度の不備から損失や被害を受けることを前提とした呼称。社会的弱者に似た概念。また単に数として少数に属する者や集団を指す。「マイノリティグループ」(英語: minority group)の意味、日本語では「マイノリティ」と略されて呼ばれることが多い。社会的マイノリティ、社会的少数派とも言う。

引用元:Wikipedia

近年でいうところの「個性」
個性的な、個性を、人それぞれ、という言葉と共にマイノリティという社会的に少数派の人たちによく焦点が当たっている気がする。

人はいいじゃないかと、私は私なのだから私らしく生きさせてくれなんて言うのだろう。

人と比べることをやめてオリジナルを求める時、あの人とは違うからとその他大勢から逃げるように個性に生きようとする人たちに会うことがある。
まるで少数派をヒーローみたいに祭り上げてるみたいで、ぼくにとっては違和感だ。


そんなぼくはどちらかと言うと少数派の人間で
学歴も中卒で20歳そこそこから旅をするように日本を回って、思考回路も少し変わっているのだとは思う。
今はシェアハウスの管理人とフリーランスのフォトグラファー、地域の仕事という感じ。

けど、最初からそうだったわけじゃない
昔のぼくは少し変わったところがあったにせよ、少数派であることを後ろめたく思う時もあった。

周りの人とちがう自分がいる。
周りの人とどこか波長が合わない自分がいる。
そんな違和感を昔は抱えながらも生きてきた。

学校へ行かない選択をしたのも、旅するように暮らしてきたことも、何もかもぼくが決めてきたはずなのにだ。

自分で決めたことなのに周りの環境や社会のせいにした時期もあった。
なんて身勝手なやつなんだろうか、今のぼくが昔のぼくに出会ったら一発背中からドロップキックをかますに違いない。

でもある日を境にぼくの中の何かが変わってきた。
いろんな大人に出会って、いろんな環境に身を置いて、いろんな同世代を見てきて、そうやって人間として生きていく術と、社会的に生きていく術を身につけていくと自然と人はぼくを人だと認めるのだ。

そして価値観の改変の瞬間は2020年のコロナの爆発

2020年といえばぼくが移住した年でもあり、コロナの流行によって世界の価値観が塗り替えられた年でもあるのだろう。

それまでマイノリティに属していた人たちは一段と自由を求めていき、その周りの人たちも流れるようにフリーランス事業を進めていく、そしてキッチンカーが流行して、飲食事業の個人化も進んでいった。
ぼくもその中で開業をして個人事業主の波に乗っかっていった一人でもあるが、同時期に開業したはずの人はいつの間にか周りからいなくなってコロナの収束と同時に個人の道から社会の中にまた舞い戻るという動きもあった。

そうしてマイノリティとマジョリティの価値観は何度も塗り替えられながらも、ぼくはまだマイノリティの中にいるんだと感じたのは「シェアハウスうら町base」を立ち上げた時、周りに集まるのは社会にひっそりと息を潜めて生活するマイノリティな人たち。

その中で生活して、人に交わり続け、ぼくは何も変わってないのだと安心したのだがその彼らから見れば、ぼくはそのマイノリティの中でもさらに異質。言ってしまえば変質者なんだ。

いったいいつからこんな考えなのかはぼくにはわからないけれど
昔から変?って母に聞いたら”そんなに走ったら転ぶって”と言う場面でちゃんと転ぶ男の子だったよって、全く関係ないことを言われた

そしてこの「手と仕事」は
少数派の写真であって、少数派の人たちにピントを当てているのだからぼく自身が少数派でないとはもう言わないだろう。

こんなことをいくつも繰り返してぼくは手と仕事を追い求めて、まだまだ人に会い続けるのだろうって。
ここから始まる仕事はいくつもあって、どれがどう作用するのかもわからなくて、けどぼく自身がマイノリティだからといってマイノリティに固執して囚われ始めたらいつか仕事を無くしてしまうんだろうなと思っている。

美味しいご飯に使わせていただきます