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ロスジェネ女は氷河期の夢を見ない パート2

2週間ほど前にこんな記事を書いた。
感情を吐き出したかったので、わざと乱暴な言葉を多用したし、読み返すと赤面ものの恨み節だな、と素直に思う。

今回。もうちょっと心理的な距離を空けて、客観的に「あのころ(ロスジェネ)」を考えてみたくなった。

というのも、昨夜NHKで「事件の涙「たどりついたバス停で〜ある女性ホームレスの死〜」という番組を観てしまい、再び、どう生きたら正解の人生に辿りつけるのかな、と考えこんでしまったから。

客観的、と言ってもデータ分析は専門家の方がいろいろな文献や論文で済ませているだろうから、単純にこれはわたしの心の距離感の問題なのだけれど。


サンプルが偏っているのは承知で、私の周りの同い年の友人5人が2003年以降の人生を、どう過ごしてきたのかについて軽く触れてみようとおもう。登場人物は全て仮名で、具体名は避け、主旨が変わらない程度に話も改ざんしているが、大筋は記述の通りである。



・K美…女性。実家は会社を営む父親と専業主婦の母親。妹がひとり。私とは中学のときの塾で知り合い、高校、大学と同じ学校に進学。法学部卒業。職歴としては、メガバンクのうちの一行に内定をもらい、入行。しかし、第一子を妊娠したことでわずか2か月で辞職せざるを得なくなった。その時のパートナーとはその後別れ、残念ながら子も流産。保育士資格を取得後2年間保育所勤務、その後料理学校の講師になったり、メイクアップアドバイザーとして活躍するなどする一方、婚活を行うもののなかなか思うような相手とめぐり合えず。たまたま通っていた病院で知り合った3つ年上の医師と交際、30歳で結婚。2女をもうけ、現在は専業主婦。



・A男…男性。実家は大手製薬会社に勤める父親と専業主婦の母親。兄、妹がいる。K美ほどではないが、余裕のある中流家庭。私とは幼稚園がいっしょの幼馴染で中学校の同級生でもあった。兄妹のなかでも特に勉強のできたA男は難関国立大学の法学部にストレート合格。在学中も勉学に打ち込み国家公務員試験に合格後、とある省庁に入省。2つ年上の職場の先輩と28歳で結婚し、2女をもうける。
現在も同じ省庁に勤め、妻も産休を経て職場復帰。



・Y子…女性。実家は兼業農家。会社を営みながら農業で生計をたてている父親と、専業主婦の母親。かなり人口の少ない地方出身で、実家は山持ちの旧家。妹が2人いる。私とは、資格をとるための専門学校で知り合った。姉妹のなかでもY子だけが有名私大に進学。大学卒業後は親の伝手でメーカーの営業事務として7年間勤務。会社に在籍し続けても、出世の目はなく、給与も上がらないことから転職を決意。その後福祉系の資格を取得して現在も施設で責任ある立場で働いている。34歳のとき7歳年下の夫と結婚。子は現在いない。不妊治療を受けているが、夫の収入が安定せず、高い治療費と世帯収入の少なさから、生活は困窮気味。実家からの援助をたまに受けている。


・Q夫…男性。実家は塾を経営している父親と、音楽教室を主宰している母親、弟がいる。裕福。私とは幼稚園・小学校・中学校時代の友人。
高校からイギリスに留学。学位もイギリスで取得。外資系の会社に入社後、そのままずっと同じ会社で勤務しつづけている。
独身。ひとりぐらし。



・S子…女性。実家は会社勤めの父親と専業主婦の母親。中流家庭。一人っ子。私とは小学校のときの同級生。高校卒業後、短期大学在学中に一人目の夫と知り合い、結婚。社会的地位のあるエリートだったが、結婚後すぐにDV被害に遭い続け、乳飲み子だった長女を抱え、夜逃げ同然で実家に逃げ帰る。その後、結婚相談所で知り合った5つ年上の大手メーカー勤務の男性と知り合い再婚。2男をもうける。前夫との子である長女が発達障害と診断される。現在は専業主婦。



こんな少ないサンプルでは、なにも言えないし言うべきではない。

ただ、まとめているうちに気付いたのは、上記5人のほかにも、おおむね私の周りの友人たちの中には、母親が専業主婦ではなかった者が圧倒的に少ないということ。
私たちは、他の生き方のサンプルをあまりに知らずに育った世代であることは間違いなさそうだな、と感じる。
そして、ガチャガチャみたいに言うのも申し訳ないのだが「結婚」という制度の当たりはずれによって、その後の人生のクオリティが全然違うということ。
(私自身、結婚には一度失敗している。)
どのような婚姻が良い婚姻なのか、ということの定義は私にはよく分からないので勝手なことを書くけれども、
・配偶者が暴力を振るわない
・配偶者が安定した職業についている
・配偶者が家事を積極的にこなす
といった家庭を運よく(運よく、としか言いようがない)運営できている友人は男女関係なく安定した暮らしをしているように見える。


「結婚」がセイフティーネットになるかならないか。
その境目が知りたい。



上記の5名は私にとって大事な友人だ。
彼らの「私から見た」内面を少しだけ補足しておきたい。

最初のK美が、子を妊娠しただけで辞職しなくてはならない状態になったことは、今、考えると驚きである。
20年前は、かなりの大手企業でさえ、まだそんなことがまかり通っていたのだ。
現在、彼女が悔し涙を流しながら退社した会社では、事業所内保育所や育児補助などかなり手厚い福利厚生が掲げられているそうだ。どのくらいの社員がその制度を実際活用しているかは分からないけれど、時代は表面上は確実に変わったんだなと思う。
K美はかなり活発で、利発で、情熱的な美人だ。だから、時代なんて関係なく、必ず自分の手で幸福を手に出来る人だとは思っていたけれど、彼女のように家も裕福で、何の苦労もせずにきた人間でも、あの時代「分断される人生」を経験した者は多い。

A男はかなり堅実に、時代の流れの関係のないところに身を置こうと努力していた。もともと賢い人だったし(賢過ぎて未来が見え過ぎていたのかもしれない)、勤勉な人だったので、今の彼の社会的地位はかなり妥当なものだと言える。なにより、彼のような優秀で心優しい人間が公務についているという事実は、私をとても頼もしい気持ちにさせる。
A男は、身体がとても弱かった。「年休が取れるってことがかなり大事なんだ」と繰り返し言っていた。
でも、電車のなかで、目を輝かせながら起業の本を読んでいたことを、私は忘れることができない。

Y子は、ほんとうにユーモアのある人で、いつも会うとめちゃくちゃ笑わせてくれる。障がい者福祉の現場で、自分にできることを常に探求し、勉強も欠かさない素敵な人だ。
Y子をみていると、子どもは今や最高のぜいたく品なんだと思わざるを得ない一方、我々の親世代にとっては成人→結婚→出産という流れががちがちにインプットされている…と感じる。
まだそんな地方があるのかとあきれるほど、Y子の地元は「子を持つことが当たり前」の地域なのだ。彼女の母親や義母の、彼女への強烈なプレッシャーを聞くと、私まで心の芯が凍りつきそうになる。
私自身、自分の身体と年齢、精神の状態、治療にかかる金銭的負担を考慮すると、子を持つことは必然的にあきらめざるを得なかった。
どうか、「子をもちたいけどもてなかった」我々の事情をくんで、責めないで欲しい。私たちひとりひとりは、治療中の人を含めて、そして男女問わず、非常に苦しんでいる。応援してくれとまでは言わないけど、どうかそっと見守って欲しい。子どもをぜいたく品にしてしまった背景には、制度設計そのもののミスがずっと続いていることも分かって欲しい。
Y子が、自分自身が納得できるまで治療する、と言っている以上、私は何も言えない。もちろんめでたく子ができれば、それが一番幸せだが、子は産んでからが本番なのだとおもうと、複雑な心境になる。
どんな人生を今後彼女が選ぼうと、いっしょにいることしかできない。
私は「あきらめた」側の人間だし、あまりにも無力だから。

Q夫については、謎な部分が多い。非常にセンシティブな人間で、中学時代から人間全般の在り様にシニカルな意見を持っていたし、「僕は自分の人生がもう見えている」とよく言っていた。
自分の出自や能力から演算できる将来の社会的地位や収入まで、かなり具体的に予言していたし、実際その通りになっていたので、ちょっと不気味でさえあった。
優秀過ぎる人間にとっては、この世界は非常に退屈なものなのかもしれない。
優秀過ぎて、その枠から出られない人間にとっては、という意味だが。

S子には、長女の件でよく相談を受けていた。家のなかで非常に暴れてこまる、とか、今の夫に申し訳が立たないとか。小学生の頃は、すごく大人しい子だった印象しかないので、かなり若い頃から母親になっていたと知ったときは驚いた。
「就職はできないので、結婚しか生きる道がないと思った」
と言っていたが、コネクションを持っていても就職が厳しかったあの時代、子供を抱えての職探しは、彼女が言う以上に困難を極めたのだろうなと察する。


もしかしたら、私が今日書いたような事例は、ロスジェネとは全く無関係なのかもしれない。
あれから20年近く経って、今を生きる20代の若い人たちは、どんな未来を想い描いているのだろうか。

私は、もう、「時代の求める人間像に自分を合わせることの恐ろしさ」を身をもって知っているので、どんなに石を投げられようと考え方を変える可能性は少ないけれど、今の若い世代がどんな人生を「正解」だと無意識に感じているのか、非常に興味がある。

「多様性」が叫ばれるようになったけれど、実感としてはあまり多様な在り方はまだ認められていない感じがするし、未だに社会から零れ落ちてしまった人々への無関心や冷たさは改善されていないとおもう。

なんだか、とりとめのない文章になってしまったけれど、このテーマについては思うことができるたびに綴っていきたいと思っています。

いつか、同年代のともだちに詳細なインタビューができたらな、とも考えています。

【続(く、といいな)】





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