これからの物語を。
朝、夫がTwitterでみた興味深いpostについて話してくれるのは殆ど夫婦の日課みたいになっている。
今朝、トワイニングのアッサムティーを飲みながら夫が話してくれたのは、イタリアの小学生がいかに男性として既に完成されているかみたいな話だった。小学生のひとりがインタビュアーにガールフレンドを叩くように仕向けられて
『それはできない』ときっぱり言ったという。
『たとえ花であっても、女の子を傷つけちゃいけないんだ』
彼はそう続けたらしい。
花でさえ傷付けてはいけない女性から、津波は一瞬で全てを奪った。
夫、ふたりの息子、両親、友達…。
ソナーリ・デラニヤガラ「波」
は、2004年のクリスマス翌日、スリランカを襲った巨大津波であまりにも大きな傷を背負わされた女性の手記である。
読了後、しばらく動けないほど敬虔な気持ちになったのは、このような書物を記してくれた筆者への畏敬の念によるものだ。
しかし、未だに続いているであろうソナーリさんの内面を吹き荒れる嵐の恐ろしさを思うと言葉も出ず立ち竦む他ない。
ヨブ記を初めて読んだときとかなり似た感触があったが、それよりもっと読むことが辛かった。
ソナーリさんが自殺の方法をググり続ける前半より、彼女が徐々に家族とのうつくしい想い出を手繰り寄せはじめた後半の方がより、辛い。
でも、読むことが、たった一つ私に出来ること、義務なのだと思って読んだ。
永遠に喪ってしまったものを思い出し、恋しく思うのは、手に入らなかったものを羨む昏さとは全く違う。
一度は自分も入ることを赦された楽園から永久に追放されることの絶望は想像もできないほどだ。
それでもソナーリさんは生きて、死者の声を聞き、死者を蘇らせた。傷口を見詰め灰の中で転げ回りながらも必死で生きたヨブのように。
ソナーリさんは手記を書くことで、家族を匿名の死からすくい上げただけではなく、家族とみずからの尊厳を護った。
それは、本当に尊いこと、救済の本質だ。
あまり人に強く読んだ本をすすめることはしないのだが、この本はなるべく沢山の方に読んで欲しい、と強く思った。
義人の苦難はこれからも続く。
それでも、どうか。
これからの物語を、紡いでほしい。
•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶