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ダーリン、ダーリン #思い込みが変わったこと

ともに生きれない日が来ると、僕たちはずっと思ってた。


今日まで生きてきた中で、どうしても忘れられない曲が誰にでも1曲はあるんじゃないかと思う。
僕にとってのその曲は、Mr.childrenの「しるし」。
理由は、発売当時17歳だった頃の僕が聴いた時と、今聴くのとで180度意味が変わった曲だから。


この曲が発表された2006年。
当時17歳だった僕は、一人の女の子とお付き合いをしていました。
僕の身体の性は女性。今は心の性を定めないと決めていますが、当時はまだ自分の心の性のあり方がわからままでした。「心は女性でもないし男性でもない」というのは確かでも、それを言葉で周囲にどう表現したらいいのかもわからず、そう表現することでどう思われるか、変に思われて距離を取られてしまわないか不安でした。暫定的に、自分と相手の身体の性が女性だったので、自分は同性愛者なのだろうと思っていました。

生まれ育った田舎町で出会った僕と彼女は、中学生の頃に隠れるようにお付き合いをはじめ、幼い僕のわがままで一度別れてしまいました。しかし友人としては離れることが出来なくて交流は続けていて、この曲を知ったのはちょうどヨリを戻して2回目のお付き合いをはじめてすぐの頃だったと思います。

僕たち、とりわけ僕はこの曲をはじめて聴いた時に「自分たちの曲だ」なんて思ったんです。タイアップされたドラマ「14歳の母」は、身ごもった主人公の14歳の少女とその恋人の少年を中心とした物語。世間的にもとても話題になったので覚えている方もいらっしゃるかと思います。
妊娠という一大事に、主人公たちの両親は大きなショックを受け当事者であるふたりは、まるで一緒にいてはいけないかのように扱われていました。
もしかしたらその様子に同性愛である自分と彼女を重ねていたいのかもしれません。日本でパートナーシップ制度がはじまり、LGBTという単語がニュースに登場するようになったのは2015年です。なので2006年の当時は、自分たちが恋人であることは絶対に周囲に受け入れてもらえないことで、特に両親には生涯隠し続けなければいけないと思っていました。


僕は「しるし」の歌詞のところどころに自分たちの境遇を重ねていました。

僕らは似ているのかな それとも似てきたのかな

しるし/Mr.children

彼女とは音楽の趣味がよく似ていました。
お互いにそれまで好きになった音楽を教え合い、僕が好きな音楽を彼女が聴き、彼女の好きだった曲を僕も好きにることが当たり前のようでした。
元々似ていたのかもしれないし、出会ったことでもっと似てきたのかもしれない。


心の声は誰が聞くこともない
それもいい その方がいい

しるし/Mr.children

僕たちは両親や周囲に自分たちの関係を「友達」だと話していました。
いや、本当は数人の友人にバレてしまい、同級生の女の子たちから彼女がいじめを受けていたので、僕たちに言及しないだけで本当は両親も知っていたのかもしれません。それでもバレていない友人や、直接カムアウトをしていない両親や親族にはお互いのことを「友達」と言っていました。
本当は友達ではない僕たちの本当の気持ちは、僕たちしか聴くことが出来ない。これ以上知られて酷い仕打ちを受けたり、両親にそれが届いて離れなくてはならなくなるくらいなら、たとえたったふたりだけの世界でも誰にも知られない方がずっとマシでした。


ダーリン ダーリン 色んな顔を持つ君を知ってるよ
何をして過ごしていたって 思い出して苦しくなるんだ

しるし/Mr.children

音楽を好きなところ、可愛い絵を描くのが上手なところ、習字が上手くて字がきれいなところ。意外と練習が嫌いで、適当な面もあること。
同じ歳なのにいつも僕を心配してくれたこと、それなのに僕は何度も何度も君を泣かせたこと。そういえばケンカしたあとに君が泣いて、「会いたい」って電話で言うから家を飛び出して夕暮れの中片道30かけて君の家に自転車を走らせたこともあったね。
いつだってその瞬間はすごく苦しくて、特に地元にいた中高生の頃は胸が押しつぶされそうになった出来事の方が、楽しかったことよりも少しだけ多いかもしれない。それでも君を思うといつも、会いたくてしかたなかった。


共に生きられない日が来たって どうせ愛してしまうと思うんだ 

しるし/Mr.children

どこにでもある田舎町では「結婚をしない」という選択肢が無いように感じていた。実際はあったと思うけれど、それは相手が亡くなったり自分自身に結婚に不向きな何か“難”があるような、のっぴきならない理由がある時だけだった。
だからどんなに想いあっていても、僕も彼女もいつかは誰かと結婚するもので、しなければならないと思っていた。その誰かは確実に自分ではなくて、お互いよりも後に出会う男性。男性と結婚してもきっと僕は、彼女のことがずっと好きだと思うし、彼女もきっとそうだと信じていた。たとえそれが、結婚相手への裏切りで世間的に認められないことだとしても。


悔しいくらいに大好きだった。
大人しそうな見た目に反して正義感が強くて、他のどんな同級生にもないような感性で選んだ瑞々しい言葉で、いつだってまっすぐに僕を想ってくれていた。もしかしたらお互いに相手に依存していたのかもしない。
上京後も1度別れていて、過去も含めて別れている間はお互い男性のことを(僕は女性もだったけど)好きになって交際していたこともあった。彼女に彼氏が出来たことが嫌で仕方なかったけれど、自分もそうだし、いつか結婚しなければいけないからと飲み込んだ。だけどふたりで居ると、彼女が僕を想ってくれているのが伝わって来てなんとなく彼女も同じ気持ちでいてくれているんだなとわかっていて。

そのまっすぐ過ぎる想いに向き合うのが怖くて逃げてばかりだった10代を経た、2011年東日本大震災。
震災後のひと月だけ期間限定で同棲をしたことをきっかけに、やっと彼女に向き合う決心がついた。そう思えてからは「軽はずみだった自分を羨ましくなるほどに」という歌詞のように、「面倒臭いって思うくらい真面目に向き合ってきた」。ずっと待たせてしまった彼女のまっすぐな視線に、その頃の分まで応えたいと思った。その年の秋、僕は指輪を贈り、たとえお互いが他の誰かと結婚してしまっても、一番愛する人はずっとお互いで居ようと約束をした。


2015年秋。友人同士のルームシェアとしてふたり暮らしを始めた翌月、「渋谷区でパートナーシップ制度が開始」という衝撃的なニュースを耳にする。
それは僕たちがお互いを生涯のパートナーにすることが出来るかもしれないということを意味していて。
静かに、自分たちの世界と未来が広がっていくのを感じたニュースだった。

1年後の2016年、9月。
真っ白いウェディングドレスを纏った彼女の隣に、僕はタキシード姿で立っていた。
緊張しきりだったのと、嬉しすぎて舞い上がって涙も引っ込んでしまっていた僕を、「かわいい?」と言って見上げた彼女はあの瞬間間違いなく世界で一番可愛いかったと思う。
僕と、彼女と、僕の友人でもある彼女の従妹の3人だけのささやかなフォトウェディングだったけれど、とても幸せな時間だった。

本音を言えばずっと、どんなに他の男性と結婚しなければいけないと思い込んでいても、彼女が誰かの伴侶となることが許せなかった。誰かの伴侶として笑って、子どもを産み、育てて幸せになる彼女を友人として近くで見ていられる自信なんか、これっぽちも無かった。どうせ一緒になれないなら、僕から見えなくなるくらいずっと遠くに彼女を攫っていってほしいと願ったことだってある。
30歳という、ざっくりと結婚を意識しなければならない年齢が見えてきた20代半ば。「最後にせめて一緒に暮らしてみたい」なんて言わなかったけれど、そういう気持ちだったから僕からルームシェアの提案をしたんだ。フォトウェディングも僕の提案だった。僕がぐいぐい引っ張っていくのを照れて君は笑ったけど、少しでも可能性があるのなら手放したくないってだけだった。

彼女のお母さんと僕の母にはフォトウェディングのタイミングで、僕の父には遅れて2019年始にカムアウトを済ませました。それぞれ色々と思うことはあるとは思うけれど、ひとまず理解してもらった上で一昨年の年末にふたりでローンを組んで住宅も購入。友人たちやこうして文章を書いているところでは、自分たちの関係をオープンにして暮らすことも出来ています。
少しずつ、一歩一歩、カムアウトをしたり理解をしてもらえるように話したりしてやっとここまで来ました。
おそらく僕たちは、努力しながらこれからも一緒にいられるのではないかな。
そう思えること自体、ずーっと「ありえないこと」だったんです。
「僕が男に生まれていたら」と僕が言えば「女の子だったからこんなに仲良くなれた」と、「あなただったら子供が出来たって言った時にすごく喜んでくれるって自信がある」「私はあなた以外との子供は要らない」と言ってくれる彼女を愛し続けることすら、絶対に叶わないと思っていた。
叶わない中で、生きていくしかないと思っていた。
もしかしたら、最初からこうなることが決まっていたのかもしれないね。


共に生きられない日が来たって どうせ愛してしまうと思うんだ 

しるし/Mr.children

家を買ったあと、たまたまこの曲を聴いて当時の自分が重ねていたことと今とでは意味が変わっていることに気付きました。
あの頃「共に生きられない日」は“お互いが男性と結婚をする日”という意味だったのに、今の僕たちにとっては“どちらかが命を全うする日”になった。この変化はぼくにとってあまりにも大きい。
こんな日が来るなんて、きっとこの曲を泣きながら聴いている2006年の僕は信じてくれないだろうな。もっとも、これを書いている僕も「しるし」を聴いて泣いてしまっているから、そういうところは変わっていないのかもしれないけど。

因みに僕たちはまだパートナーシップ制度を利用してはいない。
それは住宅を購入する時に地域にパートナーシップ制度があるかないかではなく、仕事などの自分たちのライフスタイルを優先して、住む場所を選んだからで。きっと僕たちは離れることはないから、制度はいつか追いついてくれると信じることにした。

今年、2022年の秋に東京都が“都”としてパートナーシップ制度の実施をはじめようとしています。
制度の実施には、賛だけでなく多くの否も寄せられていると思う。それでも僕は彼女と結婚が出来ないのなら、せめて書類の上でもパートナーとして過ごしたいから、この制度の実施を願ってやみません。

そしていつか、僕たちが「共に生きられない日」を迎える時に法律上の伴侶になれているように、日本で同性婚が実現することを心から願っています。







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