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最愛のアルバム『安全地帯Ⅶ〜夢の都〜』

(約18,000文字 読了まで約?分)
ご覧いただきありがとうございます。
適応障害治したいマンです。

去年に変な予告の仕方をしていた記事を書きます。

「安全地帯の個別のアルバムについて、狂ったような文字数の記事を書く予定」と書きましたが、何文字からが狂っているのかよくわかりません。
このときの私の精神状態のほうが今より狂っていたと思います。


まえがき

去年は残念ながらこのアルバムの発売日に間に合わなかったので、体調がよくなってきた今年に出そうと決めていました。

私が安全地帯で一番好きなアルバム『安全地帯Ⅶ〜夢の都〜』について書きたいことを書きまくってます。

このアルバムは家宝です。ですからタイトルに「最愛の」と銘打ちました。

本日7月25日は、このアルバム発売から34周年です。おめでとうございます!中途半端なアニバーサリーですが…。

人に読んでもらうことを一切意識していない内容と文量です。イかれてます。
ほぼ全て、私の勝手な解釈が入っています。

思い出したら何度も更新して書き足したりするかもしれません。誤字脱字チェックも甘いです(とにかく間に合わせたかった)。

これまでの記事で書いていることも改めて書いています。

ファーストインプレッション

何事も第一印象が大切だと私は思っています。映画もネタバレや予備知識があるとまっさらに見れませんし、人だって「あの人はああいう人だ」という噂や評判を耳にして会うとフィルターがかかってしまいます。

そういう意味では、このアルバムにまっさらな状態で出会えたことは幸運だったと思います。

今から2年前の2022年の秋頃だったかと思いますが、ソロの玉置浩二から興味を持って安全地帯を聴き込むようになっていた頃に出会いました。

ベストアルバムに収録されている曲もあるのですが、全体的には昭和歌謡にカテゴライズされる彼らの音楽性を知った上で初めて聴くことになったので、最初は「え、これ別のバンドじゃないの??すっごくいいな!!こういうのが欲しかった!!」という感じでした。

『安全地帯Ⅱ』から『安全地帯Ⅴ』あたりまでを流れで聴き込んでいたので、彼らの印象はやはり、バブリーな感じで勢いのある、ムーディーな恋愛模様を歌うグループ、というものでした。

それがこのアルバムで全く違う音楽になっていたので、「何があったんだろう」、と気になるようにもなりました。

ここまで書いて矛盾を孕んでいるような文章になっていますが、私が言うまっさらな状態で出会ったというのは、彼らについての色々な知識を本やネットで仕入れてから聴いたわけではなく、曲という一次情報に直接触れたという意味です。

昔から付き合いのあった知人と久しぶりに会って話したら、まるで違う人になっていた、みたいな感じでしょうか。
実際は変わったのではなく、隠したり演じていた仮面を剥がして素の姿になった、あるいは本来の自分を見つけた、というパターンもあると思います。

『安全地帯Ⅶ〜夢の都〜』での変化は、後者に近いです。「マスカレード」で仮面舞踏会をステージにしていた彼らの素顔は、大自然で育ったわんぱく小僧だった、みたいな、そんな感じです。でも30代を過ぎているので、小僧というわけでもなく、年相応の経験を重ねているのが音や歌声に表れています。

人間、年齢を重ねたら価値観も変わっていくわけで、当然人が集まってできているバンドという組織も価値観が変わるなんて世の常ですから、彼らも過渡期だったのかなあと思います。
いわゆる音楽性の変化、というやつですね。

私はこの変化をとても肯定的に捉えましたが、逆に売れ筋の曲でドカーンとやっていた頃から追っていたファンにとっては、「あー、変わっちゃったか」みたいなため息があったのかもしれません。

私もそういうバンドがいくつかあって、新しいアルバムは全く聴かなくなってしまいました。

良い悪い、ではなくて、当たり前のことなんだと思います。好きか嫌いかといった感性が、変化する前と後とで、聞き手がどちらに近いのか、ということなんだと思います。

繰り返しになりますが、安全地帯については、その音楽性の変化を全て肯定的に受け入れています(現在までを含めて)。
それは私が、玉置浩二という正直な音楽を作って歌うアーティストに救われ、そこから彼の過去を遡っていったからこそかなあと思います。

余談ですが、このアルバムと同じくらいに好きな『安全地帯Ⅷ〜太陽〜』も、同時期というだけあって根底にあるものは似ていますし、曲同士がリンクしているように感じられるので、非常に思い入れがあります。

ただ、『安全地帯Ⅶ〜夢の都〜』と『安全地帯Ⅷ〜太陽〜』は、同時期でも性質の違うアルバムだと思っていますので、記事は単独で書くことにしました。

アルバムの背景

このアルバムは、前作の『安全地帯Ⅵ〜月に濡れたふたり〜』をリリースした後2年弱の活動休止を経てリリースされたアルバムです。
もともとは「この道は何処へ」という曲を収録するだけの予定だったのを、急遽変更してアルバムにしたという経緯があります。

活動休止理由は「もっといい音楽を作るため」と、前向きなものとして公表していた彼らですから、彼らなりに向き合ってもっといい音楽を、を打ち出した結果生み出されたものなのでしょう。

活動休止中も玉置さん自身はソロとしてバリバリに歌も演技もやっていましたから、そういう新しい取り組みを通じて、新たな視点で安全地帯を再起動させたように思えます。

しかし歌っていることは、未来というよりは過去を志向しています。

活動休止直前の玉置さんは、「こんなこと(無茶苦茶なスケジュールで曲作ってライブしてキャーキャー言われて、また曲作ってライブして…)いつまで続けるんだ。刺激が欲しい。音楽をやめたい。北海道に帰りたい。農業をやりたい。」なんて言っていたくらいなので、相当バブルの都会にやられていたことがわかります。
自分自身や安全地帯、故郷、そして音楽そのものに向き合う時間を経た作品なのではないでしょうか。

アルバムから感じるコンセプト

このアルバムは色んな二文字で表現できるかなぁと、聴いていて思いました。

追憶、憧憬、悲哀、夢想、喪失、情熱…
こんな感じです。

歌詞は安全地帯の6人目のような存在である松井五郎さんがこれまで同様手掛けていますが、彼からみたこの頃の玉置浩二と安全地帯というグループを、一番近くで客観的に見られる人間として書いたような歌詞です。

同時に、玉置さん自身が自分のことを歌っている歌詞にもなっており、客観と主観が非常に近い距離で隣り合っています。これは本人には書けませんし、赤の他人にも書くことができません。非常に精神的距離感も近く、過ごした時間も濃密だからこそできることだと思います。

そんなわけで、前述した様々な二文字を、このアルバムに収録されている様々な曲の「君」という歌詞に代入して聴くと、全く違った一面が見えてくるアルバムです。

このアルバムは、高校を中退して自費自力で作り上げた合宿スタジオ(MFP、現在はハーヴェストロードハウス)でアマチュア時代活動していた頃の、純粋に音楽そのものと向き合っていた、何もしがらみのなかった頃の、何も知らなかった頃を思い返して、北海道でまた5人の音を作ろう、という意気込みが込められているように感じます。

かといってアマチュア時代の曲に寄せた曲を作っているわけでもなく、売れた歌謡曲の時代を経たからこそできた曲にもなっており、少年時代に戻りきれない大人になった彼らが奏でるロックバンドらしいサウンドが詰まったアルバムです。

過去にしがみついて過去のものをコピーしたわけではない、というのがミソです。

30代を過ぎた彼らはもう純粋な少年時代の感性をそのままでは覚えていないでしょうし、音楽で食べていくことを通じて色々なものを手に入れたと同時に失いました。その失ったものを強く感じる作品です。そして大人になったからこそ新しくまた音楽的な意味で何かを掴もうとしているエネルギーも感じます。

冷戦も終わり、ベルリンの壁崩壊がリアルタイムだったこともあってか、歌詞や音のところどころに、切迫したものを感じます。
これは自分の生活に政治がリアルに顔を出してくることがわかってきた年齢になったという一面があるのかなあと思います。

今の矢萩さんと六土さんも、このアルバムを「前作と真逆で、人間的なもの、アナログなものを指向している」「デジタルも使っているけれど、それを人の手でうまく使う方向に変わっている」「ハードな音に仕上がっている」という風に語っています。

そして全体的に青空や曇り空といった、昼の空が浮かびます。『安全地帯Ⅷ~太陽~』は夕暮れという感じがするので、対照的です。
季節でいうとこちらがなら、後者は秋です。

ジャケット

共有しているSpotifyにジャケットが映っています。また、去年(2023年)に旭川を訪れた時にジャケットの地とされる場所に行って撮影した写真をこの記事のヘッダーにしています(曇っているのは少し残念)。

安全地帯のオリジナルアルバムとして、初めて故郷の旭川で5人が揃った姿が前面に出ています。ファーストアルバムの裏ジャケットでは、まだ事務所が用意した衣装ではなく私服を着ていたどこか垢抜けない姿の写真がありましたが、あれも北海道で撮ったものなら初めて、というのは間違いなのですが…。
少なくともこのジャケットの景色は北海道そのものです。
細かいですが、ギターの武沢さんだけ違う方向を向いているのが彼らしくて好きです笑。

ゴールデンウイーク明けくらいに撮影したようで、雪がまだ残っています。朝早く起きて寒かったらしいです。

この場所は「就実の丘」と命名されています。著名な写真家の方が名付けたそうで、このアルバムが出た1990年当時は、まだ名も無い丘だったはずです。

私は北海道生まれですが、旭川に直接の縁はありません。しかし玉置さんと、彼らの音楽に救われたこともあり、去年、死にそうになりながら旭川に行ったとき、このジャケットの場所を本籍地に変えました。異常なまでの執念です。そんなわけでここは私にとって特別な場所になっています。

現地に行って直接五感で感じる景色は特別なものがありました。
写真でも大雪山連峰の雄大さと空の広さ、高さを感じられますが、現地ではそれがさらに解像度を増して迫ってくるとともに、自分が人間という動物であり、自然の一部なんだなぁと感じさせてくれる場所です。他にも空気が澄み切っていたり、どこか神聖で、それでいて淋しいような、怖いような雰囲気も纏っていました。ヒグマが出るから、というのもあるでしょうけど、もっと違う何かを感じました。

ちなみに、裏ジャケットも同じ場所で別角度から撮られた一枚でお気に入りです。

このジャケットが好きすぎるので、レコード、特装版CD、通常版CD、缶バッチを所有しています。

あとは特装版についていた「就実の丘」で撮られた写真集からチョイスされた、サイン入りポストカード(直筆ではない涙)も持っています。

ツアーパンフレット

もしタイムスリップできるのなら、このアルバムと同名のツアーである、「夢の都ツアー」に参加します。チケットは、どうにかします。最悪、壁に貼り付いてでも…!それはよくないですからやめておきます。

せめて当時の雰囲気が感じられればと、ネットオークションで落札したツアーパンフレットも、とても大切なものです。

このパンフレットには、特装版CDについていた写真集と同じ写真のほか、何枚かは別の写真も入っています。

旭川空港の滑走路で、ビートルズのアビーロードごっこをする彼らや、青春時代の中高生のノリでジャンプする彼らや、変顔をする玉置さんなどが載っていて微笑ましいです。

パンフレットを開いてすぐのところに、とても素晴らしい詩が載っています。
これは誰が書いたのでしょう。

大切なもの。大地。山。空。そして海。自然の中の人間。
愛しい人の手が、頬にふれる瞬間。交わす笑顔。
愛も、やさしさも。生きているもの、全て。
忘れないで。忘れないで。心の奥の叫び。胸の痛み。独りの淋しさ。
しあわせということ。
やさしくありたい。あたたかくありたい。人間の原点。
夢をみること。あなたの心の中。
夢の都。

夢の都ツアーパンフレットより

心の傷を決して忘れないこと、向き合うこと。自分を受け入れること。
自然を感じて、自然と触れ合うこと、自然に生かされていること。
どんなに人付き合いが苦手でも、人とのつながりの中で生きていくことが大切なこと。
目標、希望、夢を持って、明るい未来を描くこと。想像すること。

そんな闘病生活での学びや、玉置さんがソロでこのアルバム以降、より一層強く歌っている「愛」「自然」についてが、ここに凝縮されています。

祝詞のようにたまにパンフレットを開いて音読しています。

それぞれの曲について

「きみは眠る」

ラテンパーカッションのような音で始まる民族音楽のような雰囲気は、深刻さを滲ませた響きです。

男女が個人的関係を終えて、別離の時を迎えるような、これまで安全地帯が歌ってきたロマンスとは程遠いような歌詞です。

私は恋愛と愛は違うものだと思っていて、連続性があるものではあるけれど、連続性がないものでもある、ふたつあると思っています。
この曲では愛に発展し得ない恋愛であって、後者にあたります。

ソロ曲の「太陽さん」では、愛は燃え盛るものではなく、ロウソクの灯りのように、いつもそばで確かに温かさと光を放っているものだと玉置さんは歌っています。
そういう愛を知る前に、関係が終わってしまった、そもそも発展すれば愛になる恋愛でもなく、刹那的で脆いものだったのかもしれません。

凍りついたような、張り詰めた緊張感が終始漂っています。
リヴァーブのかかった玉置さんの声は、前作『安全地帯Ⅵ〜月に濡れたふたり〜』で片鱗を見せていた野性味を更に尖らせていて、甘く綺麗な歌声にスパイスが加わったようです。

特に2番の歌詞は、玉置さんがアマチュア時代に作った「置き手紙」で歌われていた、音楽の道を進むために、お互いのために別れましょう、という悲しさが「思い出すこと」と「忘れたいこと」の中に含まれているような気がします。

普通に聴くと男女の別れかな?なんだかそこにニュースが入ってきて、政治的出来事の冷たさと、関係の終わりが虚しく響くような曲だなあという印象です。

しかし、冒頭に述べたように、「きみ」という歌詞に二文字の漢字を代入していくと、全然違うことを歌っているように思うのです。

「きみ」とは、昔の玉置さんが持っていた純粋な、汚れもなんの混じり気もない「夢」や「憧れ」、今はもう失ったそういったものを持っていた少年時代の彼ともとれるのです。

これからもう誰でもない
これからもう誰でもない
どこまで行くのかも知らずにきみは
眠り続ければいい

「きみは眠る」詞:松井五郎 曲:玉置浩二

そう捉えると、「きみは眠る」ということは、音楽を始めたばかりの頃の純粋な気持ちが氷のように閉ざされていて、でも何かきっかけがあれば解凍されて鮮度を保ったまま表に出てくる、コールドスリープ状態の彼の心境を映しているように思えて仕方ありません。

引用した詞が象徴的なのですが、ここでいう「きみ」は、松井さんから見た玉置さんのようにも思えます。

少年時代の玉置浩二、夢、情熱、愛に発展し得ない刹那的な関係、そして松井五郎という他者から見えた玉置浩二。

どれだけ他人なのに距離が近かったのかわかりませんが、よくこの歌詞を書けたなあと思います。
この頃の玉置さんには書けないし、主観と客観が両立していて非常に興味深いです。

自分が何者かもわからなくて、途方に暮れている。
追いかけていた夢も破れて、精神的に満たされず、涙で星空も見えない。

そんな絵が見えてくる言葉もこの曲にはあります。

私には玉置さんの歌声が男女関係の終わりを歌っているだけには思えないのです。

アウトロもまた同じパーカスが響いて終わりを迎えます。
「きみ」は目覚めることのないままに、閉じていきます。

「情熱」

前曲の雰囲気を残したままこの曲にシームレスに繋がりますが、ドラムの一音があの冷たさと深刻さを搔き消します。

曇っていた空が急に晴れて青空が見えるような、陽が射してくるような眩しい情景が見える始まり方です。

この感覚はアルバムを通しで聴かないと味わえません。

この曲はアルバムのリード曲で、シングルカットもされており、ライブでも定番になっています。ベストにも収録されています。

ちなみに、シングルカットされた8cmCDのジャケットも、おそらく「就実の丘」付近かと思います。アングルが違うのと、空が夕暮れに近くなっている感じです(加工かもしれません)。シングルのジャケットも大好きです。

ベストで何度も聴いてきましたが、単独で聴くのとは別物の良さがあります。

「きみは眠る」の、重く冷たい雰囲気を壊して、バンドとして成功して東京でビッグになってやる、アメリカを目指してるんだとカレンダーに「R(練習という意味らしいです)」を書き込んでいた頃の眩しさが力強いリズム隊をバックに歌われています。

もとの音楽性からはかなり離れた歌謡曲とはいえ、彼らは夢を当初とは違う形で叶えましたが、アマチュア時代の夢はずっと眩しくて、まだ何も掴めていない、まだできることはたくさんある、夢はまだまだこれから追っていけるのだ、という決意表明に聴こえます。

新しく5人で音楽を始めることが表れた、名実ともにこのアルバムのリードナンバーだなあと聴くたびに思います。

プロモーションビデオに収録されているライブシーンの映像は、少年のような笑顔でこの曲を奏でる5人の姿が生き生きと保存されていて、元気をもらえます。

過去に囚われず、新しく歩き出すこと、それはなかなか難しいですし、もしかしたら当時彼らが出来ていなかったからこそ、自身に言い聞かせるために正直に作った曲なのかもしれません。

この曲は前作『安全地帯Ⅵ〜月に濡れたふたり〜』のトップバッターである「I Love Youからはじめよう」と、曲調や歌詞の方向性がかなり似ています。

もう一度原点に立ち返ろうよ、という意味で繋がりがあるのかもしれません。

胸に問いかけた 激しさは
もう止められない
忘れかけている
この空を見上げて

「情熱」詞:松井五郎 曲:玉置浩二

それでも、この曲が「I Love Youからはじめよう」と明確に違う曲と感じるのは、この歌詞に旭川の空や過去の思い出、自分の中にある本音が強く表れているからだと思います。

色々なイザコザとかがあっても、人と人の関係は一対一の対話から始まっていて、さらに言えば、それは自分自身との対話から始まっている、そんな想いが「I Love Youからはじめよう」からは伝わってきます。

「情熱」はまさしく、このアルバムのコンセプトを地で行く少年の心をもった大人たちの奏でるロックバンドの音なのです。
アマチュアの安全地帯でも、歌謡曲的ロマンチストな安全地帯でもない、大人になってもまだ夢を追い続けたい少年を心に飼う人達の曲という感じです。

夢ははじまったばかり、この言葉に凝縮されているなあと、聴く度にエネルギーが充電される大好きな曲です。

「Lonely Far」

ロックというものが社会への無力感や抵抗を音楽という形で表したものだと一面的に定義するなら、この曲はまさにそんな曲です。

イントロのギターの入りから重苦しく足を引きずるようなベースライン、打撃のようなドラムが響いて、また「きみは眠る」のような切れ味が顔を出します。

世界で色んな歴史的出来事が起こっていても、日本から遠隔でただそれを眺めている、どこか他人事のようで、何もしないし知っていても知らないフリをする。

草の根のレベルのことでさえ、余裕がなくて自分のことで手一杯だから何か他のために行動することをしない。当事者意識がない。

そんな風潮を嘲るというより、自分もその中にいて閉塞感があるからこうやって音楽にして表現するしかない、という感じが伝わってきます。

みんなビデオを楽しみすぎて
何かできても何にもしない

「Lonely Far」詞:松井五郎 曲:玉置浩二

この歌詞が非常にストレートな表現です。当時は1990年ですから、今でいえばスマホに変わるでしょう。

2019年の甲子園球場でのライブでは、「みんなSNSを楽しみすぎて」とアドリブで歌っています。

これを書いている私自身だって人の事を言えません。

最近近所を散歩していてゴミが落ちていたら拾えるものなら拾うとか、杖をついている人が横断歩道を渡りきれるか見守るとか、せいぜいその程度です。これも常に実践はできていません。

世の中の閉塞感、クソさ加減に嫌気が差して毒を吐く、という社会風刺曲なら、私はこれまでミスチルでよく聴いていました。「マシンガンをぶっ放せ」「傘の下の君に告ぐ」とかです。

ただ玉置さんの歌う「Lonely Far」には、やってられないな、みたいなものだけではなく、根っこに「自分に何ができるだろうか、でも何もできない無力な自分がいるだけだ」というような、毒吐きが一番のメインテーマではないものを感じます。

前作『安全地帯Ⅵ〜月に濡れたふたり〜』に、「Shade Mind」という曲がありますが、あれも根底はこの曲に通ずるものがあります。
あの曲はアフリカの惨状について歌った、彼が安全地帯を作った中学生時代からの思いが込められていると思います。

平和の象徴であるピースサインを、旭川電気軌道の交通標識の安全地帯と重ねてバンド活動を始めた頃からずっと胸の中にあるものなので、「Lonely Far」はそれが曲調としてわかりやすく出たものなんだと思います。

こういうハードな曲をもっとやりたかったんじゃないかなあという質量を持った曲で、単にロックな感じでカッコいい、では終わらない、何か問いかけられているような気分になるナンバーです。

余談ですが、このあたりの重苦しい曲を歌うときの玉置さんはよく丸いグラサンをしていて、ビジュアル的にもずいぶん変わったなあとライブ映像を見ていて思います。

「Seaside Go Go」

中高生くらいに彼らが戻って楽しそうに、軽快にギターを掻き鳴らす曲です。

最初のほうは武沢さんと矢萩さんがギターを軽く弾いてタイミング合わせ?をしているのでしょうか。

「早いな笑○△□〜」みたいなセリフが入っています。ここ、何と言っているのか何度聞いてもわかりませんが、そういう音が入っているのも遊び心楽しさが伝わってきます。

こういうセリフが音としてあえて入っているのはソロの「NO GAME」あたりを彷彿とさせます。その先駆けみたいな、玉置さんのふざけることが好きな自由人という感じがわかります。

ここまでの3曲と違い、暗い雰囲気はどこへやら、少年に戻ったかのように彼らは楽しそうに音を奏でます。

早くしないと夏が終わっちまう!海だ!海へゴーゴー!!でも旭川には海がねえ!!恋をするチャンスも逃しちまう!どうしよう!!海!!!夏!!!恋!!!

みたいな勢い全開で微笑ましいです。ちょっと「俺ら東京さ行くだ」の歌詞みたいになってますが笑
この曲をやっているときは本当に少年に戻っていたんじゃないでしょうか。

ちなみに、旭川は盆地で内陸にあるので当然すぐ近くに海はありません。

玉置さんもデートっていったら旭山動物園しかなくて、遊園地がガラガラだったから乗り放題、なんて言ってましたから、動物園がなかったらそういう夏休み!!みたいなスポットはなかなかないのかもしれません。

旭川から行ける海はどこだろうと調べてみると、3箇所ありました。

ひとつは留萌市の黄金岬海浜公園。こちらは旭川中心街から90キロほど、約1時間半です。ビーチも近くにあるようです。

もうひとつは増毛町に昔あったらしい海水浴場。こちらも前者と同じくらいで、旭川に他の町や村から出展者がPRイベントに来るみたいです。

3つ目は初山別。上記2つより所要時間は長い印象を受けました。

ほかにもあるっぽいですが、少なくとも1時間半はかかるということです。

めちゃくちゃ遠いと思いましたが(遠いですけど)、北海道基準で考えれば1時間半の距離なんてあっという間ですので、意外と海は近いのかもしれません。

とはいえ、少年時代の彼らが海に行こうと思ったら車の免許がないと遠すぎてついたら夕方になってしまっているような気もします。

どうだろう…朝早く起きて、ああそうか、親とか兄貴とかのクルマに乗っけてもらえばいいのか。少年野球のときそんなイベントを私は経験しましたが、あんなノリなのかな。

それとも昔の人達は逞しかったからチャリンコで海を目指したのでしょうか…。

そもそもこの曲は旭川から近い海を指しているのでしょうか…もっと概念的な海なのか…夏だから海だよね、とかそんな感じであってどこか特定の場所を指しているわけでもなさそうです。

記事冒頭で紹介したパンフレットに登場する海という言葉も、自然を象徴するもののひとつとして出てきているので、北海道のあの場所、とかそういうことではなく、この地球に存在している海、というニュアンスのほうが適切な気がします。「生まれて生きているこの星は、まだ青く美しい?」とも書かれていますし。。

「安全地帯銀行」という口座に日雇いの肉体労働だったりをしながら借金を返しつつ、自作の合宿スタジオでひたすら音楽に打ち込んでいた彼らの夏は海じゃなくてロックだったのでしょうから、あのとき海に行きたかった気持ちを思い出して十数年ぶりに歌にして叫んでいるのかもしれません。

この軽快さは安全地帯としては珍しくて、他にすぐ思いつくのは『安全地帯Ⅴ』の「どーだい」くらいでしょうか。

「ともだち」

曲調がガラッと変わって、非常に郷愁に満ちた切ない感じの曲です。
アカペラや弾き語りに向いている曲です。

ソロの『カリント工場の煙突の上に』に収録されている曲の雰囲気も漂っています。

GOLDツアーが収録されたDVDに付属している、1994年に品川プリンスホテルで行われたコンサートの様子が収録されているDVDで、旭川にいる玉置さんがこの曲をインタビュー中にいきなり弾き語りをするシーンがありました。

小学生とか、それより前の頃も思い出しているように感じます。

外で夕方になるまで色んなやつと遊んで、家に帰る前に「また明日なー」みたいなことを言って家路につく。

公立の義務教育までは人種のるつぼですから、医者の家系もいればサラリーマン家系もいるし、ハーフの子もいれば幼くして下手な大人より人生経験をしている子だっています。

段々と年齢を重ねて付き合っていく人間が自分と同じ波長だったり、似た者同士になっていく中で一番なんのしがらみもなく色んな人と付き合えた時代なのかなあと私は自分で振り返って思います。

そして義務教育までで遊んでいた色々な人達は散り散りになってそうそう会うことはありません。あのときだけ「ともだち」として、遊んでいたなあ、なんて切なさと懐かしさと温かさが入り混じった感情が詰まっているのがこの曲なのです。

大人になった今、この広い空の下であのとき遊んでいたアイツは元気にしているだろうか、なんだか知らないけど悲しくて、今はもうないもので、泣けてくるなあと、そんな風に歌っています。

口笛も感傷的な気持ちをより引き立たせています。

どこまでも どこまでも ひろがる空のどこか
もう一度 もう一度 逢いたい君がいる
いつまでも いつまでも 風の歌聴きながら
悲しくて 悲しくて 涙がとまらない

「ともだち」詞:松井五郎 曲:玉置浩二

ここの「君」は、あの頃の友達のことだけでなく、過去の自分自身や純粋な憧れの気持ちであると思って聴くと、やっぱり大人になることで哀しさを感じる部分があるよなあとしみじみ泣けてきます。

「あの夏を追いかけて」

清涼飲料水のCMソングになってもいいような爽やかで透明感のある曲調です。
こちらも安全地帯としては珍しい感じの曲です。

このアルバムでは一番、夏!!って感じのインパクトがある曲です。

夏だなあーって感じの曲ですが、このアルバムのコンセプトを感じながら聴くとこの曲にも切なさが詰まっています。

「あの夏」なわけですから、過去を向いているように思えます。
そして、「君の夏」とも出てきます。しつこいですが、こちらにも少年時代、アマチュア時代の玉置さんを重ねて聴くととてもセンチメンタルになります。

ただ決して暗い曲ではなくて、もう一度、あの頃みたいに自分の青春を始めよう、いくつになっても今が一番若いんだから、というメッセージ性も感じます。

成功する前は、ただがむしゃらに夢を追いかけていただけで、無邪気だったし辛くも楽しかった。

でも成功して、守るものが増えてきたり、色んなしがらみがついて回るようになってきて、ノイズが増えてきた。

今の自分はなにができるんだろうか、あの夢を追いかけていた青春時代の夏のような気持ちをもう忘れてしまった。

そんな詞が並びます。

個人的に好きなのが、玉置さんらしさを感じつつ、私自身が妻との関係で日々感じていることを代弁している以下の歌詞です。

傷ついたことば くりかえす歌で
眠れない気持ち ふれあえばいいのに
やさしさがなぜか 言えなくていつも
ひとりよりうまく ふたりでいられない

「あの夏を追いかけて」
詞:松井五郎 曲:玉置浩二

玉置さんは喋るよりも歌っているときのほうが流暢な日本語を話しているように感じます。同じ日本語でも、彼が一番うまく自分の気持ちを伝えられるのは、話すことでも書くことでもなく、歌うことなんじゃないかなあと思います。

私はそういう歌の才能は決してありませんが、胸のうちにある色んな思いをうまく言語化して話すことができません。

一番大切で身近にいる家族にぶっきらぼうになってしまいますし、自分ひとりで引きこもっているときが一番自分らしくいられるような気がします。

そういうめんどくさい、うまく生きてはいけない複雑さとか悩みを代弁してくれているようでとても好きな部分です。

「…もしも」

前曲の爽やかさとは一変し、泣いているように聴こえるギターが耳に残るバラードです。

バラードというと、美しいピアノやストリングスがバックにあったり、ギターもアコースティックだったり、なんだかそういう落ち着いていたり壮大で感動的な曲、というイメージでしたが、これはエレキギターがストリングスのように長く空気を震わせています。

玉置さんは基本的に過去を懐かしんでも過去に戻りたい、という今を否定するような歌は歌わないのですが、この曲には明確にそういう要素が含まれています。

「あの海に帰れない」と歌っているところは、「Seaside Go Go 」を軽快に楽しく奏でていたときの、あの無邪気さ、何も持っていなかったときのことを指しているように思えます。時空を超えることはできないという当たり前の事実を前にして、どうして今のようになってしまったのだろうか、この喪失感をどうすればいいんだろうとやり切れない心情が滲み出ています。

もし叶うなら、昔に行けるなら、今も想い出も捨ててもかまわないとハッキリ歌いきっています。

彼の「メロディー」に代表される、昔はなんにもないけど楽しくて心が満たされていて幸せだったよね、いつまでも心に残っているから、消えたりはしないよ、みたいな優しさを持って過去に接しているわけではないことがわかります。

ここでもやはり、「きみ」が印象的な言葉として強調されます。

きみが見えない 夢はいらない
こんなにも こんなにも 好きだから

「…もしも」詞:松井五郎 曲:玉置浩二

「置き手紙」で歌っていた彼女、そして「まちかど」という曲の中で、通りすがりに再会するけれどもう別の道を行く髪を切ったあの人、のことを指していると捉えられます。

別の捉え方をすると、やはりあの頃の純粋な気持ちをもった玉置さん自身がいなくなってしまったとしたら、大好きな音楽をやることも辛くなってしまう、そんな彼の当時の状況に重なるダブルミーニングな歌詞と解釈できます。

このアルバムの中で、もっともわかりやすく過去を向いている曲です。

何か大切なものを置き去りにしたままここまできてしまった、とただ呆然と立ち尽くして、泣くように歌うしかない感じが、悲哀に満ちていて美しいです。

建物が朽ちて廃墟と化し、緑に呑み込まれて行く様子が哀しくも美しく惹かれるあの感覚に似ています。

歌声もギターも泣いてるんだなあと聴くたびに思って、なんだか自分まで過去に取り残されそうな雰囲気をもっています。

「Big Starの悲劇」

またまた雰囲気はロックな切れ味のあるギターサウンドに戻ります。

玉置さん自身を歌っているようにしか思えないタイトルと歌詞、機関銃をぶっ放すように言葉を弾丸にして撃ち出す感じのワイルドな曲です。

売れて一躍有名になった彼は当時とにかく持て囃されていました。移動中のクルマから降りれば出待ちのファンが黄色い声を上げてキャーキャー大騒ぎ。
影武者の玉置浩二を用意して裏口から楽屋に入ったりしていました。田中さんが演じていたような?どうだったかな。。

自分の意見が何でも通る。まる二日寝ずにタクシーで気絶するように眠り、異常なスピードで曲を書いて目まぐるしく飛び回り収録、そしてライブ。

旭川とは全く違う時間が流れる中、自分でもコントロールできない大きなうねりの中で揉まれていたのではないでしょうか。
何が何だかわからなくて、心ここにあらず、落ち着いて考える暇などなく感覚が麻痺していくような…想像しただけで恐ろしいです。

彼の存在はまさしくアイドルというべきもので、その声はファンにとってはどんなものより魅力的に感じます。

「ロックンロールは機関銃よりも威力がある」という言葉は、それくらい大衆を動かせるようなスターの存在の大きさを感じさせます。
そしてジョンレノンのことをおそらく言ってもいるのだと思います。

サザンにも「Big Star Blues」というほぼ同じ意味の曲がありますが、あちらはもう少しマイルドな桑田節で、皮肉を込めて面白おかしく歌っている印象です。

端からみたら成功者。でも芸能界に揉まれ忙殺される中で自分を見失ってしまい、時代が求める音楽を奏でる偶像のようになっていく自分の姿に孤独を感じているようにも思えます。

この曲もまた、松井さんから見た玉置浩二という人物の当時の状況をリアルに歌詞に落とし込んでいて見事です。

それでいて本人がまるで作詞したかのようなしっくりくる言葉が並んでいるのです。

スキャンダルだと泣くのも英雄
逃げる場所もない
悪い奴らは手も汚さないで
たっぷり遊ぶ

「Big Starの悲劇」詞:松井五郎 曲:玉置浩二

この辺なんていつの時代も変わりませんね。
汚職事件も大企業の不正も構図はこんなのばっかりです。
悪大将は尻尾を切ってトンズラし、わかりやすくその悪事に加担した下っ端が世に出てきて、「さあコイツは悪者だからいくらでも叩いていいぞ」と言わんばかりに言葉のサンドバッグにされます。

こんな歌詞、安全地帯ではなく危険地帯な感じがします。「KEEP OUT」のイエローテープが貼られていそうです。

こういう部分も色んなものを見てきて純粋さを残したまま子どものままではいられない彼の苦悩が表れていると思います。

こんなのを気にしていたら、こんな環境に身をおいていたら心が壊れてしまう、そんなSOSにも聴こえます。

「プラトニック>DANCE」

前曲からシームレスに繋がりシンセ?の音がスーッと入ってきて雰囲気がガラッと変わります。

安全地帯らしいセクシーさがありつつも、どこか狂気を感じる曲です。

不等号で示された曲名にはどんな意味があるのでしょうか。

プラトニック>DANCEなので、

プラトニック≒純粋で精神的な、汚れのない感情
DANCE≒その場限りで刹那的な、物質的な、もっというと肉体的な関係

→男女関係、もっといえば人と人との関係の中で、利害関係やら下心のない真っ直ぐで清らかなものを求めている

ということなのかなぁと想像します。
歌詞もそういった意味合いを含んでいるような感じです。
この頃の玉置さんは自分の正直な部分を出して音楽と向き合いたかった、それができないなら音楽から離れたかった、そんな感情があったのかなあと思うのです。

そうすると、
プラトニック≒純粋で正直な精神性を形にした音楽
DANCE≒世間から、東京から求められる売れる音楽で、玉置浩二という個人ではなくバブルで成功を収めた安全地帯のボーカルとして仮面を被った音楽

→これまでのイメージを壊してでも、本当のことを、気持ちを真っ直ぐに音楽に反映したい、新しくやり直したい

なんていうのは穿った見方でしょうか。

TOKYOなんて つ・ま・ら・な・い
動揺なんて し・た・く・な・い
行動なんて わ・か・ら・な・い
抱擁なんて は・じ・け・な・い
妄想なんて み・た・く・な・い
同情なんて か・な・わ・な・い
そういう関係 Shake-up

「プラトニック>DANCE」
詞:松井五郎 曲:玉置浩二

東京なんてつまらない、妄想なんて見たくない

このフレーズが私は一番この曲で刺さりました。そして疲弊した玉置さんが一番ここで歌にしたいことのように聴こえました。

精神的な病気をした私は、当時病状は違うとはいえ精神的に疲れ果てて言動がちぐはぐになっていた玉置さんに異様なまでに投影をしてしまっていて、この歌詞さえあればこの曲は十分だなあと思ったのです。

曲調としては電子的な音も多くて、このアルバムの中ではアコースティックな響きの少ないナンバーですが、反対にデジタルなものから離れたいという意思すら感じます。

脱線して自分語りになりますが、このアルバムに出会った頃は、誰かが頻繁に私の悪口を言っているように聞こえて、外を歩いている人間すべてが自分の敵で愚かな存在に見えていました。自室で狂ったように叫んでいましたし、お金も異常な使い方をしていました。
とにかく自然のある場所に住居を移したくて、旭川移住説明会に行ったり、やたらめったら旭川や北海道の他の町、本州の都市について調べて妻にプレゼンしていました。
本当に危うい状況だったなと思います。今はここまで精神が安定してくれたので、本当に恵まれた環境に感謝です。

話を戻して玉置さんのことに戻りますと、彼はこの曲を発表してから3年ほどした後に、精神的な理由で入院をすることになります。
妄想なんて見たくない…なんだか他人事に思えないのです。

それでも彼は、音楽と家族や仲間、故郷にプロデューサーといった多くの人の支えがあって苦難をプラスに変えて復活しました。
彼を支えてくれたすべての環境にも感謝したいです。

「この道は何処へ」

札幌で開かれた学生の国際大会であるユニバーシアードのテーマ曲で、もともとこの曲を録るだけの予定だったそうです。

そこから勢いでこのアルバムが完成したのです。

過去と、北海道の自然と、そして足元のふらついた今の自分とがないまぜになった、幻想的なバラードです。

ギターの矢萩さんがすごく好きだと絶賛してました。

ただ悲観しているのでもなく、ひたすら明るく前を向いているのでもなく、曲名のとおりな感じで、そういう点ではこのアルバムの特徴が詰め込まれたような曲と言えます。

「…もしも」と「情熱」が合わさったような印象です。

「きみ」が流している涙は、やはり少年の頃の玉置さんの心を反映しているのでしょうか。

これからどうなって行くのだろう、何処へ向かうのだろう、不安に包まれて、過去に足を掴まれて、時間に流されるようでもあって、でも自分の足で目の前の道を意志を持って歩いていく姿が見えてきます。

ことばよりも ひらいた手で
ふれるものを 信じていたい

「この道は何処へ」詞:松井五郎 曲:玉置浩二

ここはうまく表現できないのですが、その通りだなあと思います。

口ではなんとでも言えます。
だからこそ、実際にこの目で見て、耳で聞いて、手足で触れて、そして何より第六感のようなもので感覚を研ぎ澄まして感じてみて、やっとこれは信じられる、と信頼できるのです。

常に物事を悲観的に見るのでもなく、かと言って負の感情を悪として無視するのでもないことが大切だと思います。

ネガティブと向き合って、そのエネルギーのベクトルをポジティブな方向へ転換させられるかが分かれ目だなあと今は思います。

そんな学びが込められたように解釈しています。

「夢見る気持ち」「ときめき」といったポジティブな言葉が使われているのも、切なさのあるバラードの中に力強さが感じられて、やっぱり「情熱」が原動力にあるんだなあとリードナンバーを思い出します。

「夢の都」

アルバムラストを飾るこの曲は、玉置さんと安全地帯のはじまりであり、故郷である旭川のことを想った歌です。

こちらも「ともだち」と同様にアカペラが似合う曲で、とても静かな雰囲気と神聖にも聞こえる歌声が印象的です。

この曲も過去のことやふるさとを歌ってはいますが、戻りたい、今を捨て去りたいという衝動は感じられません。
むしろ、いつまでも心の中にあるふるさとや想い出を大切に、抱きしめながら、一音一音を噛みしめながら歌っているように感じます。

プロモーションビデオでは、「情熱」のあとにこの曲が映像とともに流れます。そこではバックに旭川の大雪山連峰が見えて、すごく感傷的な表情で歌う玉置さんの横顔が映ります。

ビッグになると音楽に打ち込んでいた頃の彼らにとっての夢の都は、東京だったり、アメリカのロサンゼルスとかラスベガスだったのかもしれません。

ビッグスターになって、自身の悲劇を歌うようになった当時、そしてすっかり東京で暮らす人となった彼にとっての夢の都は、やはり旭川なのだと思います。

心の中にあるふるさと、そこは物理的な場所だけでなく、色々な悲しさや優しさに満ちた想い出のある精神的な場所でもあるのかなぁと想像します。

遠いからこそ近く感じる。そして今はないものだから強く求める、悲しくなる。でも優しくて、いつまでも自分も癒してくれるものでもある。

私は上京組ではないので、彼らのようなわかりやすい故郷はありませんが、妻のふるさとは旭川のように自然があるので、第二の帰る場所、みたいな印象をもっています。
それに旭川や、生まれた地である札幌ももちろん故郷です。そういう精神的な意味で、すごく色んなことを思い出させてくれる曲です。

飛行機で旭川に向かうとき、旭川で朝を迎えた時、就実の丘に立ったとき、そして家や外出中に聴くとき、それぞれの場所で等しく旭川の存在が近くに感じられる短いながらとても心に残る曲です。

2020年に能楽堂コンサートで歌っていましたが、あの音源も素晴らしいです。
できることなら生で聴きたいですが、また玉置浩二ショーなんかで歌ってくれないかなぁ、とも思います。

このアルバムの最後を飾るにふさわしい、ふるさとのバラードです。

さいごに


ここまで一曲一曲聴きながら書いてみて、やっぱり特別な一枚だなあと改めて感じました。これからもたくさん通しで聴くでしょう。

このアルバムは、盛り上がる曲や勢いのある曲と、落ち着いた曲やしんみりする曲のバランスと曲順が絶妙で、ストーリー性を感じます。よく練られた脚本のようです。
次はこういう曲が来てほしい、というタイミングで欲しい音がくる、この自分の感性にピタッとハマるアルバムはこれ以外に見当たりません。
まさに琴線に触れるとはこのことなんでしょう。

安全地帯や玉置さんの音楽は(特にソロ)、娯楽として音楽を捉えていた私の価値観をいい意味でぶち壊してくれました。
そういうものには狙って出会えないと思うので、この御縁に感謝です。

そしてほふく前進のような速度ですが、少しずつ進歩している私の今の状況が、カウンセリングや家族、友人の存在、そしてひとりの時間での彼らの音楽の存在によってもたらされていることにも感謝です。

日々課題もありますが、それは病気という狭い視野ではなく、人生とはそもそもそういうものですから、中長期的には常に前を向いて生きます。

ここまでもしお読みくださった方、いらっしゃいましたら月並みですが、本当にありがとうございました。







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