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わたしとダンナの異国記


私とダンナは国際結婚をした。
十数年前のことだ。
私は日本人、ダンナは北アフリカのアラブ人である。
しかし現在は別居中である。ちなみに彼は今母国に帰国中であり、2年半が経過した。ふ

そんな私たちだが、毎日電話やメッセージは欠かさない。
つまり、仲は良い方だ、と思う。
彼の帰国はコロナ禍において自分の両親が心配になり、帰国を決意。その時くらいから彼の父の体調が非常に悪くなり、今に至るまで介護生活をしていて、主に彼が介護者となっているのでなかなか日本には戻ってこれない。
ちなみに彼の父は糖尿病と脳腫瘍を患っており、病気はわりと重い。そして痴呆にもなっており、時々突拍子もないことを言い出す。
その父の病気の世話と薬代や病院代が必要で、その役割を一手に担っているのがダンナ。

ダンナには弟や姉がいるが、姉はフランスに住む同郷の人と結婚して出産したばかり。
弟は、なんだかんだと家の面倒なことから逃げてばかりで、仕事も長続きしない。でも家族の面倒ごとから逃げたいときだけ仕事に就いている。

そんな家族のなかでダンナは不器用ながらもなんとか自分のやりたい仕事に向けて日々、試行錯誤しながら精進しているものの、仕事ができそうになると父の具合が悪くなり、病院に付き添う必要などが生じて、結局は進みかけていた仕事も滞り、客足も途絶える始末。

かくして私は、遠距離ダンナと2年半も離れているので仕事がひと段落したのもあり、思い切って彼の国へ9年ぶりに行ってみることにした。

9年ぶりに訪れるという久しぶり感もあまりなく、それでも9年の時が流れた彼の国のその島は、日本の淡路島より少しだけ小さいくらいの島だ。

そこはヨーロッパの人たちの保養地であり観光地でもある島で、ヨーロッパに住む人たちからは有名な場所だ。

ジェルバ島。
この島に私は15年前、ボランティアとして2年間住んでいた。
その時は、障害のある子どもたちの学校の先生として勤務していたが、この土地にきて初めて手話を学び、チュニジア方言のアラビア語を学んだ。

その島に9年ぶりに降り立ち、ダンナの姿を小さな空港の出口でみつけたときは、感動とか、久しぶり、とか、込み上げてくる何か、とかいうよりも、ただただ、48時間かけてこの国、この島までなんとか無事に辿り着き、今、まさに電話のビデオ通話じゃなくて目の前の現実のこの人に2年半ぶりに会えている、、という静かなる想いが過ぎった。

そしてダンナ自身も、『やぁ』のひとことを言って私の荷物、スーツケースやリュックをそそくさと運んで鼻歌を歌いながら友達に借りて来た古い車を運転して、私の滞在先となる家まで軽やかに夜のドライブをしてくれたのである。

あぁ、、来たんだ、、
夢にまでみてたジェルバ島に。。

疲れ果てた頭でぼんやりと夜の島の風景をみながら、しゃべりつづけているダンナの横顔を見つめた。

ダンナは照れてこちらをみなかったが、くちびるの動きから喜んでくれてるが照れ屋のためそれを隠そうとするときの表情が見てとれた。

わたしはこの日から1ヶ月半、チュニジアに滞在して久しぶりの家族親族、友達、かつての同僚、知り合い、ありとあらゆる人たちに意図的に、もしくは偶然にすべて会うことができた。

チュニジアでは、いや、ジェルバ島では、みんな物価の上昇に苦しんでいると話していたが、日本人とよく似ていると私は思うのだが、外側をよく見せようとするジェルバの人たちらしく、服装、家、外見的には現代的でオシャレで、古くてボロい家などほとんど見られなかった。

チュニジアの北部の地域までいくと、ボロボロになっている家を見かけたが、チュニジアならではの地域差もあるのだろう、チュニジア国内というものは、都道府県の違いイコール、国レベルに違う、と言い切れるほど、人々の暮らしぶりも考え方も話し方も、生活の仕方も何もかも違う。

ジェルバ島は都会とは思っていなかったが、よその土地へ行くといかに洗練された土地なのか考えさせられる。

それくらい、服装や家の外装、日本にあまり見劣りしないような洗練のされ方なのだ。

ましてや、イスラム教でよく女性が被っているような、頭に布を巻いてステキにムスリムとしておしゃれも楽しんでいる方もいるが、ここ、ジェルバではあまり頭に布を巻いてる人を見ない。ましてや、目だけしか出していない黒い布をまとった女性など、ほぼ皆無。

とてもヨーロッパ的なのかもしれない。
昔フランスの植民地であった時代の名残が色濃く今も繋がっているのかもしれない。

ところで、ダンナにとって、日本は異国、10年以上生活して来た場所。

又一方で、私にとってチュニジアは10年以上も前にボランティアで2年だけ暮らしていた場所。

それなのに。

9年ぶりの訪問だったのに。

これだけ、『きのうまで住んでた人』のような扱いを受けるものなのか?

私自身も、まあまあアラビア語を話すことができていたから不思議。

いや、あるいは、9年前より上達してないか??

断っておくが、ダンナとはこの5年ほど、日本語でのやりとりしかしていない。メッセージですらも。

なのに、、なぜ??

いろんな疑問があとを絶たないが、とりあえず、今も昔もチュニジア、ジェルバ島は私や第二の故郷だった。

良くも悪くも。

人間関係のスタンスも、人々の性格的、行動的な部分も、なんか日本人とすごく似てるんだよな、、

だからこそ、すんなり溶け込める土地である一方で、外国に来た気がしない。

なんだよ、なんでそんなこと言われないといけないのさ、とか腹の立つこともあった。
でもそれもこれも日本にいるときと変わらない内容。

不思議だ、、、。

異国のはずなのに、そんな気持ちにならず、二日もかけないとたどり着けないようなアフリカの場所であるのに、ましてや、島であるのに。

なんでこんなにも日本にいる時と感覚が変わらなくいられるのだろう。

ダンナは日本に来ると、その違い、宗教的、文化的にも大きく違うので気が楽になるところと、なかなか相容れない部分とがあるという。

普通はそうだよね。

異国。ダンナにとっての日本、私にとってのチュニジア、ジェルバ島。

お互いにとっての異国をどう捉え、サバイブして過ごすか。

心から楽しいと思えることを互いの国でとにかくたくさん見つけること。

美味しいもの、ブリック、クスクス、マッカルーナ、ハリッサ、フェルフェルマハシ、ピシーサ、ケセラ、、まだまだたくさんある。

日本には無い美味しいもの、友達、その考え方、何もかもを異国ならではと、好奇心を発揮させ心をわくわくさせてながら過ごしていけたら、、

これからも私とダンナは互いの住まい、国を行き来しながら、楽しんで、支え合って生きていけるだろうか。

みじめでくやしい想いも互いの国でたくさん経験してきたが、それを乗り越えて生きること楽しさに変えるパワーを、出会って以降の日々の中で身につけられたかな。

異国。

離れていても、こころは時々そっちに飛ぶ。

そんな日常も、3年になろうとしている。

がんばれ、私、そして、ダンナ。

介護の日々も楽しめたり、そうでなかったりもあるようだけど、それでいい。

人として、後悔なき日々にしていきたいと決めたあの日から、私たちは変わらずここまでやってこれたから。

これからも、まあ、離れてはいるけどやれるとこまで、やってみようか。

おかげさまで、私たちは身体も元気で今日もネットで語り合えている、

Elhamdurilla!





#創作大賞2023 #エッセイ部門

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