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【読書】『レイラの最後の10分38秒』

 もし、あなたの心臓が止まってから、10分38秒脳が動いているとしたら、何を思い出すだろうか。

 カナダの集中治療専門医が、医学学会誌に、この事実を示す論文を発表した。生命維持装置を切った後、その患者は10分38秒、生者の熟睡中に得られるものと同種の脳波を発し続けたという。

 このニュースに触発されたトルコ人女性作家 エリフ・シャファクが、「そのわずかな時間に人間は何を思うのか、人生を振り返るとしたら、どんな風に?」という想像を元に書かれた小説である。

 トルコで最も多く読まれている女性作家として、多くの作品を発表しているが、この作品は、2019年のブッカー賞最終候補作、2020年の王立文学協会オンダーチェ賞の最終候補作、2019年の「エコノミスト」詩の年間ベストブックの1冊にも選ばれている。今年のノーベル文学賞は、アメリカの詩人ルイーズ・グリュック氏が受賞したが、これからのノーベル文学賞の有力候補になる作家であることは間違いないと思う。

 フランスに生まれ、現在ロンドンに居住しているシャファクだが、トルコ人の両親のもとに生まれ、海外を転々とする生活を送ってきた。国際関係、女性学、政治学を学び、英語とトルコ語両方で執筆するスタイルは、誰にもまねできないだろう。また、国家に対する反逆罪に問われ、祖国に帰ることもままならない状態になりながらも、その創作意欲は留まるところを知らない。

 物語は、トルコ イスタンブールで殺された、一人の娼婦 レイラの物語だ。路地裏のゴミ箱の中で、息絶えようとしている彼女が、「最期の10分38秒」に何を思い、何を見たのか。そして、「街の掃きだめ」のような生活をしてきたレイラの「仲間」が、彼女を土の中から救い出し、魂を解放するところで、物語は終わる。

 レイラ・アフィフェ・カミレ という少女が、なぜ「テキーラ・レイラ」となったのか。厳格なイスラム教の家庭に生まれたレイラは、生みの母に育てられることは無かった。二人の妻がいた父親は、若い後妻に子どもを産ませ、本妻に子育てをさせていた。理不尽に子どもを奪われた生みの母は精神を病み、レイラの弟を産むも、その子どもはダウン症で、早逝してしまう。

 年頃になったレイラは、10年以上にも及ぶ性的虐待を、叔父から受け続ける。「大家族・家長制度」が残るトルコで、その被害を訴えることはできなかった。妊娠までさせられ、事が明るみになるが、父親は彼女を守るどころか、いとことの結婚を決めてしまうのだ。「家族」という「地獄」から逃れるために、彼女は家出同然にイスタンブールにやってくる。

金も無く、つてもなく、家もない16才が生活していく方法は、「自分を売ること」しかない。レイラは、男達にだまされ、売り飛ばされ、娼館にたどり着き、それを生業とするようになる。そんな生活の中で出会った、かけがえのない5人の友。(そのうちの一人は、故郷にいた頃からの親友であったが)彼らそれぞれの物語も、語られていく。彼らは皆、「マイノリティー」の区分に生きる人間で、レイラとの血縁がない。にもかかわらず、最後まで彼女の家族であろうとするのだ。

この物語は、「虐げられ、殺された名もなき女性」の一生で終わってしまうような薄っぺらいものではない。読めば読むほど、現代の世界が抱える様々な問題が浮き彫りになっていく。
 それは世界の問題でもあるし、身近な誰かの問題でもある。
 
『レイラの10分38秒』は、この世界に生きる「私たち」一人ひとりの物語でもあるのだ。








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