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半生と反省の日々✨

どうしてあんなに、元気だったのかしら。
どうしてあんなに、楽しかったのかしら。

誕生日を1日前にして、思う。
確実に人は歳を重ねる。ということ。

あの場所、この場所で出会った
あの人、この人。
今では名前も顔も思い出せないたくさんの人たち。
だけどあの時は
確実に自分に、関わっていた、はず。

携帯からスマホへ変わり、
たくさんのツールとの出会いがあり、
子どものPTA、近所付き合い、自治会、
スポーツジム、料理教室。

そう、SNSが
mixiから、Facebookへ移行して、
増えた知り合いの数々。

グッと近づいた人、
遠のいた人。数にしたらどのくらい?

たくさんの出会いと別れを繰り返し、
常に笑い転げて生きてきた、
ような気がする。

10代の頃から変わらない、
頑張ればなんとかなるという、
意味のわからぬ昭和のスポ根魂だけで生きてきた。

自分が頑張れば、
全てを変えられる。
そう信じて、気付いたらすっかり
✨大人✨と呼ばれる歳に
になっていた。

子供たちは3人いる。

各自個性の強いタイプ。

旦那とは会話なし。休みのない会社。

彼は、年間300日以上、しかも

10年以上、そのスタイルで働いていたからね。

そりゃ、家も子供も全て私に任せっきり。

だから、長男としてあつかってきた。

ただ、ただ毎日寝て起きて仕事して
それだけを繰り返し、
探して選んで大切に貯めた貯金をはたいて買った
新築の家は、
楽しむよりも先に、もう既に18年経っていた。

ただただ、家を掃除して、ご飯食べて寝て。
各自がそれぞれ好きなことをやり続けた毎日。

今では全く
何の未練もない家となり、
すっかり頭の中から
忘れ去られている。
むしろ、あんな手のかかる
大きな一軒家、もう要らない。笑

あんなに必死で
虎の子だった数百万も貯金はたいて買ったのにね。

家は、住んでる家族が、

笑顔で集まる場所でないと意味がない。

明日は、毎月の定期検診。
先生と、世間話をして、
いつもの抗がん剤カプセル
4週間分をいただきに行く。
53歳の誕生日の日に、病院とはね。

もう、お祝いするほどの年齢ではないけれど、

死にかけた3年前から数えれば、

充分お祝い出来る年月が経った。

喉元過ぎれば暑さ忘れる。
なんて得な性格。

ああ、
悔しさと辛さと痛さが
ピークの、一番酷かった
あの時に書いていたら
もっと違った気迫が
文章にあったかも知れないわね。

それでもブログを始めた以上、
担当医も書いてと言ってたし、
あと2年、完治するまでの間にまとめてみようかなと。

自分の半生と、反省を記してみよう。
そんなプロローグ。笑

[2017年3月]
いつものように、週末の女子会へ
千葉中央駅前のお寿司屋さん。

日本酒の種類が豊富で、新鮮なお魚が自慢のお店。
お相撲さんが来てたみたいよと、
笑いながらはしゃぐいつもの女子3人、
酒豪チーム。

2人がいつも
美食の会と言いなさいって、何度も私に言うけどさ、
最初は美食を楽しんでいても
最後は必ずはしご酒になって、誰かが記憶喪失になるまで飲んでしまうメンバーじゃないの。笑

夜の街のオーナー、(同じ年)から
君たちのような女性が
昭和から千葉の街を支えて来たのだねと
よく分からない褒め言葉を頂いたこともある。

たしかに、バブル時代(もはや死語)を過ごし、
羽振りのいい、小綺麗にした、裕福で幸せな
奥様3名にしか見えないのだろう。

実際には、家族との関係がどうであれ、
私でさえも同じくそう見えるようだった。

幸せに働く主婦。
子供の活動や、ご近所の方々とうまくやって

親両親とも上手くやり、
週に何度かスポーツジムに通い、
たくさんの友人達と交流を深め、
趣味や、ランチ会、女子会を楽しむ。

無我夢中で踊り、
無我夢中で筋肉を付けて
お洒落をして楽しい日々を過ごしているうちに

産後太りも解消され、すっかりスリムに戻り、

久しぶりに通したハイヒールが軽かったこと。
クリスマスパーティーを家族以外と過ごすなんて
無かったこと、楽しすぎる日々に
得意げになっていた。

元旦那とは19歳の時に出会い、当時から
褒めてもらう事がなく、
いやむしろ、ずっと
けなされて来たので、

他人から
褒められるようになる事自体が
初体験。

初めて紹介される男性達にも褒められるので女としての自信にどんどん繋がっていった。

人生第二のバブル時期。そう思った。









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