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観てきた!「利休のかたち 継承されるデザインと心 展」 at 松屋銀座

「デザインの松屋」を掲げる百貨店・松屋銀座さんは、私のお気に入りのお店です。

この「百貨店、実験中」の取り組みだけでなく、8階の催事スペースで定期的に展覧会を開催していたり、7階のデザインコミッティのお店や企画展をのぞいたり、3階のセレクト『リタズダイアリー』は長年ミナペルホネンを取り扱ってたり、と、好きなポイントがいくつもあるから。

そしてこの年末年始。茶道にまつわるデザインの展覧会が開かれています。千利休のこと、日本人ならではの美意識、代々受け継がれてきた職人の姿勢を味わえる展覧会です。

場所:松屋銀座8階イベントスクエア(東京・銀座)
会期:2019年12月27日(金)~2020年1月20日(月) ※1月1日はお休み
料金:一般1,000円、高校生700円、中学生500円、小学生300円

◎観に行こうと思ったきっかけ

開催を知ったのは、通っている茶道教室の先生のお話しだったでしょうか。
NHKプロモーションが主催なので、NHKでもときどき告知していましたね。

◎どんな展覧会?

千利休さん(1522-91)が、茶の湯において、ご自身で作ったり、職人にオーダーしたり、素敵だ!と認めたりしたデザインのお道具たちは「利休形:りきゅうがた」と呼ばれています。

また、樂茶碗や窯など、先祖代々、決まったお茶の道具を作り続けている職人の方々の総称を「千家十職:せんけじっしょく」と呼んでいます。

いずれも、500年近く経った現代にまで脈々と受け継がれている、ということを紹介する、いわは”利休さんの美意識が作り出した世界”がテーマの展覧会です。


そもそも、茶道を嗜む人には、「利休形」も「千家十職」も当たり前すぎるからなのか、これまで美術館の展覧会では、案外スポットが当たってこなかったテーマではないでしょうか。

しかも茶道をご存知なければ、千利休の名前は聞いたことあるけど、「利休形」も「千家十職」も何のことやら、てかなんて読むの?となるのでは・・・なので、美術館よりも気軽に行ける松屋銀座さんで開催するって、とても良いなぁと個人的に思いました。

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会場内は、
・千利休さんの人生についての解説パネル
・黒樂茶碗や窯、棗:なつめなど、様々な年代に作られた「利休形」のお道具の展示
・利休さんが設計し、唯一現存している国宝の茶室『待庵:まちあん』をモダンに再現したスペース&映像での紹介
・利休さん亡き後の人々や、樂家、中村家などの「千家十職」を紹介する展示
という構成になっていました。

壁など全体的に黒が基調で、作品保護のため照明もかなり落とされています。基本的に撮影はNG。
作品一つひとつにはほぼ解説文がつけられていて、作品リストや音声ガイドはありません。
そこまで広い会場でもないので、30~1時間程度で十分鑑賞できるボリュームでした。

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こう書いてしまうと、もう身も蓋もないのですが、「利休形」のどこが具体的にどう素敵なの?という、明確な説明はありません・・・こういうものが「利休形」です、という提示のみです。
この展覧会だから、という訳ではなく、茶道のお稽古でも茶道の本でもそうなのですよね。

それに、景色とか、姿とか、見立てとか、お道具のデザインを表現する言葉も独特ですよね・・・TABICAでご案内した際にも「どうして人間の身体に例えるんでしょうか」と参加者さんに聞かれ、そういえばそうですね!とも思いました。

こういうところがきっと、”茶碗やお茶の道具をどう鑑賞したらいいのか謎”というよくある感想につながっているんではないかな、と思います・・

分からないなりにも、いろいろと展覧会やお稽古で茶碗やお道具を見てきた私が今思うのは、結局のところ、これはもう人それぞれの感性と好みの世界で、他のたくさんのお道具と比べて、私はこれが好み、これが美しいと思う、ということになってしまうんじゃないかな、と…。

でも引き続き、お稽古や大学での勉強を通して、何かしら言語化して伝えられるようになっていきたいと考えてます。


◎そもそも茶の湯って?利休さんは何がすごいの?


ものすごーくざっくりと書くと、茶の湯はもともと中国生まれ。平安時代、遣唐使によって、日本にお茶を飲む習慣や茶葉の作り方が伝わります。

鎌倉時代から室町時代、そして南北朝時代と、“闘茶:とうちゃ”という、お茶の飲み比べゲームが流行した頃に使われていたお茶碗は、中国から持ち込まれた、豪華で派手、高価でゴージャスな”天目茶碗:てんもくちゃわん”でした。

千利休さんは、茶の湯が”高価な茶碗やお道具を持っている限られた人だけのもの”になっていたり、”ゴージャスでわかりやすく豪華なものが素敵”となっていた時代、決して高価ではない、朝鮮で日常使いの器として作られていた”高麗茶碗:こうらいちゃわん”、を茶の湯で使ったり、国内で作った真っ黒いいびつな形の樂茶碗を使ったりして、”素敵”とされてきたこれまでの価値観を、がらっと変えてしまったことがすごいのです!!!

この他にも、茶道のお点前や、茶室の周りの露地を造ったこと、茶室の広さの考え方などなど、千利休さんが考えて、がらっと変わっていったことがいくつもあります。

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◎そもそも、千利休さんってどんな方?

1522年、大阪・堺の魚問屋の息子として生まれます。元々の名前は、田中与四郎さんでした。

17歳頃には茶の湯を習いはじめ、22歳頃には初めて茶会を催した、という記録が残っています。この頃までには宗易と名乗るようになったようです。

織田信長(1534-82)が、利休さんが暮らす堺を直轄地とした頃、利休さんは40代後半に。信長より一回り年上の利休さん、茶人として召し抱えられるようになります。

当時の堺という場所は、多くの豪商を輩出した豊かな都市で、国内外の商取引で古今の名物茶道具が集まる場所でした。利休さんもきっと家業をやりつつ、茶道を楽しんでいて、素晴らしい本物をたくさん目にして、審美眼やセンスを磨いていったんではないでしょうか。

時は流れて、利休さん60歳の1582年。本能寺の変が起こります。
そして、豊臣秀吉(1537-98)との関係が深まっていくのです。

翌年、秀吉に頼まれて、茶室「待庵」を半年かかって完成させたり(一回り以上下の知人・薮内紹智:やぶのうちじょうち(1536-1627)宛の書状で”迷惑なることを頼まれた”と書いてたらしいですw)、さらに翌年には大阪城に茶室をつくったり。ちょうどこの頃から、樂茶碗や花入を作るようにもなっていきます。

64歳になってついに、千利休と名乗るように!
この頃は、黄金の茶室や庭の設計を手がけたり、京都の聚楽第に住んだりもしていました。京都で暮らしたのはこの最晩年の頃で、堺での暮らしが長かったようです。

68歳になった1590年、現在、名品として非常に有名な、竹でできた花を生ける花入:はないれ 、  竹一重切花入 銘『園城寺:おんじょうじが作られました。

小田原攻めの際に滞在した、伊豆韮山の竹で作ったもの。真竹の2節を残し,一重の切れ込みを入れた簡潔な作であり,以後,竹花入の流行を生む最初期の古典としてあまりにも名高い。園城寺の銘は、子息の千少庵が名付けたもので、表面の干割れを園城寺の破れ鐘にちなんだもの。
トーハク公式HPより

この花入の何がすごいのかと言うと、あれこれ意図して制作したのではなく、”旅先でたまたま、何気なくとった竹でさっと作ったのに素敵!”というところ。利休さんのセンスの良さをよく表しているからなのです。

でも、それから1年。突然、秀吉から蟄居を命ぜられた後、残念ながら聚楽第で切腹・晒し首という悲しい最期を迎えます・・・。


◎まとめ

千利休さんのことばかりを書いてしまい、すっかり長くなってしまいました・・・
「千家十職」のことは、私が特に興味を持っている、日本の工芸や職人さんのお話しにもつながりますし、改めてしっかり書きたいと思います。

この展覧会、なんと明日20日(月)が最終日です。もしも銀座にお立ち寄りの場合は、ぜひサクッとでも、のぞいてみていただけると面白いかもしれません。

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【~27(月)まで開催】7F・日本デザインコミッティの展示も一緒にどうぞ

こちらの展示会場は、会期が1週間長くて、もっとこじんまりとしていて、無料で楽しめます。撮影もOKでした。

著名なデザイナーの方々が手掛けた、茶杓:ちゃしゃく(お抹茶をすくうマドラーみたいに細長いスプーン)や、香合:こうごう(お香の入れ物)など、素敵なデザインのお茶の道具が楽しめます。

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