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人を滅ぼす、仕事とは。

久しぶりに学生時代の友人に会う。キラキラと輝いていた学生時代の彼とは別人の、すっかり疲れ切った五十代の彼が目の前に座っていた。

私はもうこの先、多分いわゆる、仕事をしないと思う。企業で働いて、お給料をもらって、ボーナスももらうみたいな。

若いときはエネルギーに満ちあふれ、やる気も充分にある。しかしながら現在は、静かな暮らしをしたいと思っているので、企業に勤めて働く、みたいな形態はとらないと思う。

最後に正社員として働いたのが、二十年くらい前だ。永田町の渉外弁護士事務所で秘書をしていた。小さな事務所で、トップは日本人弁護士で、日本、ヨーロッパ、NY州、CA州で働ける資格を持っていた。他には、アメリカ人弁護士が二、三人。パラリーガルが2人、経理兼運転手のおじさんがひとり、派遣社員のタイピストがひとり、秘書も私を含めて二人だった。

このトップの日本人弁護士が、トランプ大統領を先取りした人で、トランプ大統領が出現した時にはびっくりした。あまりにも似ていたので、ルックスが。仕事のストレスが凄かったみたいで、気に入らないことがあると、怒鳴り散らしていた。たまたま、彼の視界の中に私が居ると、瞬間的に怒鳴られるので、びっくりしたし、いつも彼の前では、ビクビク、ヒヤヒヤしていた。

家庭的という言葉は普通、良い意味で使われることが多いが、その事務所は悪い意味で家庭的だった。私は事務所全体の雑用係だった。先生は当然海外出張も多く、日本に居る時は少なかったので、日本に居る時は会議が多かった。一日にコピー三時間、お茶くみ二十杯は普通だった。

何よりも苦痛だったのは、先生の私用の手伝いもしなければならなかったことだ。先生の趣味は蘭の栽培だったので、南米からの間違えて送られてきた球根に南米まで電話をかけて問い合わせる、とかアメリカ人弁護士の日本語の資料をコピーする、みたいな仕事もしなければならなかった。結局、疲れ果てて、二年弱で私は会社をやめて、日本語教師になった。収入は安定しないが、楽しい仕事であった。

一番最後に日本語教師の仕事をしたのは、四年前だ。びっくりしたのが、現在八才になる娘が、通っているインターナショナルスクールに提出するレポートに母の仕事 日本語教師 (retired 退職)と書いていたことである。娘から見ると、そう見えるのだろう。

何が言いたいかと言うと、仕事との付き合い方は難しいということである。仕事から得られるものは、たくさんある。お金、安定した暮らし、名誉、付き合ってくれる人々、エトセトラ。いずれもとても大事なものである。

しかしながら考えてみてほしい。いつも寝不足でイライラしていて、職場で若い20代の女性秘書に当たり散らす、ときにはセクハラジョークもとばす、家族とは別居、自分担当の秘書とは不倫関係にある。

まさにネタの宝庫ではあるが、二十代後半の時、「仕事って大変だな、確実に人を滅ぼすな」と思ったのも事実だ。

働き方改革という言葉があるが、無駄であると私は思う。ドラマ「派遣の品格」で主人公の春子が言っていたが、「働くことは生きることです」といみじくも言っていたが、まさにその通りだからだ。働くことは自分の核にものすごくくい込んでいて、ほとんど人格の一部とも言っていいので、人から言われても上手く調整出来ないだろう。

私の周囲にも冒頭のエピソードに登場した友人だけでなく、滅ぼされた人が何人も居て、たまに会うとびっくりする。

仕事ってアルコールみたい、麻薬みたいだから、気をつけようと自覚しながら付き合いたいと思う。せっかく一人飲みイコールテレワークが出来るようになったのだから。

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