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30日目:学級崩壊の後遺症

以前、次男の学校生活などについて、私自身も苦しい思いをしながら投稿した。(↓こちら)

今回は、その後日談的なものを記しておこうと思う。(超長文です。ご興味のある方、お時間のある方は、良かったらお読みください。)

学級崩壊までの経緯

実は前回の投稿のあと、他の保護者の方や先生方と話をしていくうちに、いろいろな状況が明らかになった。

結論からいうと、4年生は2クラスあったのだが、その2クラスともが2学期から学級崩壊していたというのだ。

そもそも担任のうち一人は新卒で、彼を指導する立場のとなりのクラスの担任も4月に他の学校から異動してきたばかりの女性教諭という組み合わせ。

そのため二人とも、この学校のことがよくわからないし、前年までの子どもたちの様子も掴めていない中でのスタートとなる。

探り探りやっていった担任と子どもたちだが、なかなか信頼関係が築けない。そのため先生の指示は通らず、子どもたちは反発し、それを指導するために授業が止まり、勉強も遅れていく。

次第に授業中の私語や立ち歩きは当たり前となり、それを怒鳴ることでしか解決できない担任に、子どもたちもウンザリ。

いつも教室はザワザワ、ピリピリ。揉め事も絶えず、やんちゃな子に怪我をさせられたり意地悪をされたりするために登校を渋る子が何人も出ていたよう。(そのうち1名が数ヶ月間不登校となる)

2学期の途中からは、となりのクラスの担任が体調を崩ししばらくお休みとなったため、担任外の先生が入れ替わり立ち替わりフォローに入っていた。

そんな状態で行った学習発表会も当然グダグダ。さすがに保護者からも、この学年は大丈夫なのかと不安になる声が少しずつあがり出す。

学校でのストレスから、家庭でイライラを爆発させる子どもたちがたくさんいたとのこと。(確かに我が家もそうでした)

それぞれの家庭でそれぞれの保護者が我が子をフォローして、なんとかギリギリ保っていた状態も、長い冬休みが明けると、せきを切ったように一気に崩れ始める。

女性教諭は病休から復帰するも、一人では授業を回せず、担任外や教頭などが頻繁にフォローに入っていたのだが、子どもたちから聞く限りだと、ただ騒がないように上から押さえつけに来ていただけだったようで、根本的な解決には全くなっていなかった。

緊急懇談会①

保護者の要望により、ようやく3月の初めに一度目の緊急懇談会(通常の学年懇談会の日程で)が開かれるも、出席したのは二人の担任のみ。

保護者はいろいろな思いがある中、まずはそれぞれの担任の話を聞き、状況を確認。

その後、保護者からも家庭での様子や保護者としての想いなどを(時に涙ながらに)伝え、今後どうしていくべきか一緒に考えましょうと提案。

「次年度に向けて具体的な対策を講じてほしい」「後手後手にならないように対応願いたい」「残りの2年間を子ども達が楽しく過ごせるようにしてほしい」「正しい情報を共有したい」「学校と保護者が協力して取り組むべきであり、保護者としてできることはやっていきたい」

ただ、この状況は担任だけでなんとかできるものではなく、学校全体にかかわることであるので、管理職の同席を要望する。

途中から教頭が同席。学校全体としての取り組みについて説明するも、保護者からたくさん質問のあった次年度については、

「まだ具体的には何も決まっていない」「保護者の希望を全て聞き入れることはできない」

となぜか頑なな態度。

今回の話し合いの様子を校長にも伝えてもらうこととし、参加できなかった保護者とも情報共有するためお便りも出していただけるようお願いした。

その後

3月半ばに、前回の懇談会についての報告が無事書面で行われる。

私も含め何人かの保護者が学校への見守りボランティアを開始。→ はい、明らかに、わかりやすいほどの学級崩壊状態。

担任の授業は参加している子にのみ届き、学習が遅れていてわからない子や集中力のない子は放置。

先生もいっぱいいっぱいで、指示はわかりにくいし、場合によっては指示そのものも出さずに次の活動に移っていたりも。

そして、やはり子どもの言う通り、フォローの先生は怖い顔で圧をかけ、不適切な行動を取る子がいると注意するという対応。

これじゃあ、子どもが戸惑ったり不安になったり不満を持つのも頷ける。

ただ保護者の見守りがあると、やんちゃな子(困ってる子)のフォローができるため、おとなしくていつも我慢しているタイプの子が安心して過ごせている様子が見られた。

緊急懇談会②

次年度に向けてということで、あらためて3月下旬に懇談会が行われる。

今回は最初から教頭も参加。保護者側にも父親の姿が数名見られた。

両担任から、学校でのその後の様子などの説明があり、教頭からは、次年度は学級解体となり担任も変わる(誰かはまだ言えない)ことや、担任+副担任のような体制で臨む予定との話があった。

保護者からの質問

「学校側はいつからこの状況を把握していたのか?」「なぜこのような事態に陥ったのかの分析はできているのか?」

教頭の答え

「1学期から時々兆候は見られていた」「担任への不信感が子どもたちの中に募っていたことは感じていたが、なぜかという理由は分析できていない」

保護者からの要望など

「人の目や手を増やすだけでなく、良いところを褒めて伸ばすかかわりが必要」「もっとポジティブに子どもたちと関わってもらいたい」「担任は孤立無援だったのでは?ぜひ先生方の芽を育てるという視点で関わっていただきたい」「春休みに家庭でできることがあれば教えて欲しい」「担任外の先生が、子どもたちの前で担任への指導(ダメ出し)をしていた。信頼関係作れなくなるのではと心配した」「次年度も保護者の見守りは継続して良いのか?」

教頭、担任より

「次年度も見守りは続けてもらって構わない」「担任への指導など、今後十分に気を付けていきたい」「学校と保護者の連携を密にしていきたい」「学校便りをよく読み、子どもたちの持ち物を確認してほしい」

時間切れとなり、終了。

校長面談

なんとなく後味の悪い懇談の締めだったことと、その場に校長がいなかったこと、そして重要な立場であった教頭が4月から別の学校へ異動となることから、ちょっと出過ぎかなとは思ったが、3月末に私と夫とで校長との面談をお願いした。

基本的には、我が子のこととクラスのことの報告を行う。また担任とのやりとりの様子やこちらの考えをお伝えし、是非とも次年度以降、どの学年どのクラスどの先生においても、同じような状況にならないような体制づくりをお願いしたいとお伝えした。

5〜6年生の頃

残念ながら我が子とはそんなに相性の良い担任ではなかったが、2クラスとも経験豊富で力のある担任に変わったことにより、2年かけてなんとか落ち着いて学校生活が送れるようになっていった。

全体的に(特に算数は)学習が遅れていたため、学校でも家庭でも基礎基本を中心に前の学年のものも含めて復習しながら進めていた感じ。

我が子についても、長期休みのたびに、私や夫、時に長男にも手伝ってもらいながら、学習の底上げを行い、中学入学に向けて準備していった。

スクールカウンセラーとも定期的に面談を続け、5年生の終わり頃にはようやく児童精神科の予約が取れ受診。

いろいろな検査も行い、数値的には全て正常な範囲内ではあるがアンバランスさがあることがわかった。(ま、親的には想定内だったが)

医師曰く

「服薬は現時点では必要ないと感じる」「診断をつけるとしたらASDと軽いADHD」

とのこと。体の使い方、目の使い方が良くなるようなトレーニングを作業療法士に教わり自宅で実践し様子を見ることに。

その後も数ヶ月おきに受診したが、学校生活が落ち着いていたことにより、状況確認をするのみ。

念のため、中学入学前に当時の中学校の教頭と面談し、個別に引き継ぎを行なった。

現在の次男と、これからのこと

あれから、早いもので2年半が経った。

4月からの中学校生活は、本人的には不安もいっぱいあるようだが、それなりに楽しく通えている。

学習塾にも通い始め、数学のフォローアップをしてはいるが、概ね大きな問題なく授業にもついていけているよう。

部活も、コロナのために活動は少ないが、頑張って参加している。

あの頃と比べ、精神的にも落ち着いており、少しずつ自分に自信もついてきたように見える。

とはいえ、何かうまくいかないことがあるとすぐにパニックになり泣いたり騒いだりするし、過度に失敗を恐れて不安が増大したり、「もうダメだ。こんなんじゃ高校入れない。人生終わりだ。」と極端に悲観的になったりすることも、まだたくさんある。

やっぱりこれは、どう考えても、学級崩壊していた時の影響だと感じる。

前回の投稿にも書いたが、あんなにバカみたいに(言い方悪いけど)明るくてユニークな子だったのに、完全なマイナス思考になってしまった次男。

先生からしたら、ただの教員一年目の出来事かもしれないが、本人やその家族にとっては、一生背負っていくマイナスの経験でしかないということを、ぜひ学校関係者に知ってもらいたい。

まだまだ、このあと何年もかかるとは思うが、根気強く心折れず、次男を支えていきたいと思う。

きっとまた、本来の明るくユニークな彼でいられる時間がたくさんでき、前向きに自分の将来を歩んでいけるようになると信じている。

さすがにこんなに長くなるとは自分でも思っていなかったが、最後まで読んでくださった方がいたとしたら、本当に感謝しかないです。ありがとうございます。