毎年梅雨どきを迎えると、体の調子がおかしくなる。 じめじめした気圧の低さに頭痛がして、肩こりも ひどい。仕事場でエアコンを使う時期になり、一日中 冷気の中で過ごすから体が冷えて、短パン姿の足元が 痛くなるときがある。もともと腰の左側と左足に 坐骨神経痛を抱えていたのに、少し前から右側にも 痛みが出るようになってしまった。 体を動かしているときはあまり気にならないものの、 同じ姿勢をつづけていると痛くなってくるのだった。 仕事を終えたら、ゆっくりと熱い湯船に浸かって 体を温めれ
朝、スマホのアラームが鳴った。覗いてみたら、 長野市に熊が出たというのだった。ここ最近、 毎日熊出没の知らせが届いている。一日に二度も三度も 届き、テレビのニュースを観ていると、 山菜採りに出かけて襲われたり、自宅の敷地に入ってきて 襲われたり、被害が絶えない。この日はそのあとも 長野市の二箇所で熊が出て、近隣のかたがたに注意を 促していた。 毎朝、ノルディックウォーキングをしている。ときどき自宅を 出て西へ向かう。善光寺の参道を横切って、 桜枝町から西長野に入ったら、諏訪神
自宅を出て、右手の小さな橋を渡って石段を上がっていくと、 東之門町の氏神さんの伊勢社があって、天照大神が祭られている。 その昔、三重の伊勢神宮の所有地で、伊勢神宮から直々に 宮司さんが来て、神社をつかさどっていたという。 時代を経て、神社の土地が東之門町に譲られたのだった。 以来、町の氏神さんとしてとして、住人に愛されているのだった。 こんな小さな町に、どうして伊勢神宮が土地を所有していたのか、 すぐ近くの、古刹の善光寺と何か縁があるのかと、話を聞いた当時、 いぶかしんだのを
日曜日、屋根をたたく雨音で目が覚めた。 梅雨どきというのにさっぱり降らず、六月の下旬を 迎えて、ようやくそれらしい天気になったのだった。 客商売をしているから、天気によってその日の客足が 変わってくる。お客はお年寄りが多いから、猛暑や 大雪、大雨の日は、ぱたっと途絶えてしまう。 今日は一日この降りというから、仕事をそこそこ終いに して、馴染みの蕎麦屋で昼酒でもと思っていたら、 夕方四時にうかがいますと、近所のおばあさんから電話が きた。 早々に当てが外れてしまったのだった。
長野県にナガブロというSNSがあって、2011年の1月からブログを 書き始めた。 ときどき昔のブログを読み返す時がある。 我ながら見事に、酒のネタばかり書いているのだった。馴染みの 飲み屋に蕎麦屋でのひとときや、我が家に友だちを招いての宴や、 日本酒のイベントにいそいそ出かけたことや、不覚にも、 酔って転んでけがをしたことをつらつら書いている。 2011年3月のブログを読むと、当時の切ない気持ちを思い出す。 東北の酒蔵がたに思いを寄せる台詞を書いていて、よくぞまあ、 でかい災
ときどき上田の町に出かけている。 先日、いつものように長野から新幹線に乗って、 改札口を出たところ、駅の構内に新しく蕎麦屋が開店していた。 店の名は、「そば前 ちくまがわ」といい、入り口から中を 覗いたら、壁に長野の地酒の瓶がいくつか飾ってあった。 あいにくこの日は,すでに別の飲み屋に予約を入れてあったので、 次回の楽しみと決めた。 翌週さっそく再び,昼どきにおじゃまをした。 カウンターに落ちついて、サッポロの赤星で喉を潤しながら、 ゆっくりと品書きに目を通せば、上田の地酒が
長らく母の日が来ると、母に花を贈っていた。 子供のころは、花屋でカーネーションを何本か包んで もらい、大人になってからは赤や紫、そのときどきで 紫陽花の鉢植えを贈っていた。 今年からそれをやめたのだった。 父が亡くなってから、母が介護施設に入居した。 その当時は施設の個室で暮らしていて、変わらず紫陽花を 届けていた。ところが二年前の師走に、転んで腰を 骨折してしまい、リハビリ施設のある同じ系列の施設に 移転した。昨年紫陽花を届けたときに、ここの施設は 四人部屋で、花を飾る机も
毎日酒を飲んでいる。日本酒の味を覚えてから、 およそ四十年。毎晩飽きずに酔っ払っているのだった。 馴染みの飲み屋で、旨い肴を頂きながら、北から南まで あちこちの土地の上等な味に酔うこともあれば、 殺風景な自宅の茶の間で、豆腐と油揚げを突っつきながら、 いつもの安酒に酔うときもある。今年になってから、 仕事の暇な日がつづいている。それなのに、日本酒に散財 するのはこれまでと変わらぬままだから、 お金が減っていく一方で、まことに困っている。 毎晩杯をかさねながら、ときどき思うのは