「銀座・器楽亭」浅倉鼓太郎さん、5月28日の答。
―コロナとともに―
WHOがパンデミックを認定した5日後の3月16日、「銀座・器楽亭(きらくてい)」はオープンした。
その約3週間後には非常事態宣言。店主、浅倉鼓太郎さんは真新しい店の休業を決めた。けど、彼は下を向かない。顔を上げて前を向く者にしか、道の先は見えないから。
銀座は人がいない街
12年間営んだ杉並区久我山から、銀座に移って約2カ月半になります。割烹「銀座・器楽亭」を銀座6丁目にオープンしたのは、3月16日。
東京オリンピックは「予定通り開催」とされつつも、世界はパンデミックで、東京にはすでに自粛ムードが漂っていました。
それでもうちは満席続きで、おかげさまですごく忙しかったんですよ。予約は1カ月先までしか取らないようにしていますが、あっという間にパンパン。
それが、25日の都知事会見以降からキャンセルが出始めて、4月7日の緊急事態宣言が決定的な転機になりました。ぽつぽつと予約はいただいていたんですけど、お客さんとスタッフに万が一のことがあると大変だと、自粛を決めました。
当時銀座は「夜の街クラスター」なんて報道もされていて、バーやクラブは一斉に休業に入っていた。それで、お客さんにはこちらからお願いして、キャンセルにしていただいたんです。
翌日の8日から休業したので、開店からまだ1カ月も経っていなかったですよね。
だから、いまだに銀座に来た感が全然ないんですよ。4月の日曜、中央通りを新橋から銀座一丁目のほうまで歩いてみたら、すれ違ったのがたった6人ですよ、6人!
久我山も静かな住宅街でしたけど、それとは違うゴーストタウンの静けさ。僕にとって、銀座は人がいない街でした。
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