本のまわり
最近2冊の本を立て続けに出版してから、書店での刊行記念イベントなどが続いている。
誰もが忙しいなか、時間もお金も削って来てもらうことは難しい。著者にできることといえば告知くらいなので、私はSNSなどでせっせと宣伝する。
本音を言えば、自分の本を買ってください、イベントに来てください、と呼びかけるのは申し訳なさ混じりに恥ずかしい。
初対面の人に友だちになってと告白するレベルで恥ずかしい。
もしも私が村上春樹ならイベントも告知も無用だろうが、そうではないので、「本を知ってもらう」「興味を持ってもらう」から一歩ずつ歩まねばならない。
そして一冊の本のまわりには、著者以外に、そのための努力をしてくれる人がたくさんいる。
出版社の担当編集者は、運動部のマネージャーのごとく原稿段階から伴走し、本の判型や装丁を決め、発行部数といった数字の仕事も請け負いながら、この本が一番に輝ける形と環境をつくってくれる。
営業の人は暑い日も寒い日もリリース(宣伝チラシ)やPOP(書店の棚に置く、おすすめポイントを書いた紙)の束を持って何軒もの書店を回り、担当者に頭を下げて推してくれる。
そのPOPを一枚一枚、手作業で描き表す担当者もいる。
そして書店員の方々。
彼らは読み手とつながる現場の、最前線にいる人たちだ。売ってくれる人がいて、初めて本は読み手に出合えるのである。
私もその現場に立ってみたいと、ブックフェアで自分の本を手売りしたことがある。
手作りアクセサリーを路上で売るように本を並べ、「著者です」と言うと激しく驚かれる。どっきりカメラみたいでおもしろかった。
書く仕事は、いつも独りだ。
取材では人と関わるけれど、書く時は机一つ、椅子一脚の小さな空間で過ごしている。自分の頭の中だけに広がる世界は、はたして外の現実世界とつながれるのか。
誰かに届くのか。
わからないけど、書いている。
だから現場で、読む人に会うというできごとは新鮮だ。
本を買った人へ直に手渡すことも。サイン会で本の感想を聞くことも。トークイベントの来場者から、書いた本人が想像しなかった見解を示されることも。
そういったリアルを重ねるたびに、本が独り立ちしていく実感が湧いてくる。
どう読まれるかは読み手次第。
自分の頭の中だけにあった物語が、みんなの、それぞれの物語に育っていくことは書き手の喜びである。
というわけで、告知の恥ずかしさを乗り越えた先にある、イベントそのものは大好きだ。
以前なら東京や大阪に多い書店イベントに地方の人は足を運べなかったが、コロナ禍以降はオンライン配信、見逃し配信もスタンダードになっている。
私が中学生の頃、星新一の短編を読んで、お茶の水博士みたいな人が書いている?と想像したことはあるけれど、会えると思ったことなどなかった。
でも今、書いた人と読んだ人は出会うことができる。
裏話や深掘りのトークライブでは、本に書かれていない発見もあるだろう。
本を読むという愉(たの)しみに「つづき」がある時代なのだ。
秋田魁新報 7月1日「遠い風 近い風」より
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