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お墓参り

 まどろみから目が覚めたら、午前6時だった。ショートステイから戻った母を見るため、昨日私は実家に泊まった。ついでに朝から墓掃除に行こうと、そう決めていた。お墓は実家から歩いて10分ちょっと。車は横付けできないので、家から小さなタンクに水を入れて持っていく。真夏のお墓掃除は朝早くじゃないと、肉体的にかなりきつい。

 再びうとうとして、7時に目を覚ました。母を車椅子でトイレへ連れて行き、紙パンツと尿取りパットを替えた。朝ご飯は、炊き込みご飯のおにぎりと、黄色い沢庵の漬物とお味噌汁だ。フリーズドライのお味噌汁は、お湯を入れるとなめ茸がぷりっと出て、赤味噌の香りを放った。母はおにぎりをひとつとお味噌汁を食べて、デザートにサイコロ状に切った、真っ赤なスイカを食べた。



 毎年8月の始めに、母とお墓掃除に行っていた。80代になって両親共に、お墓に行くことが難しくなった。それから、もう一人で10年以上、お墓掃除とお墓参りは私の担当だ。去年までの母は『水は持ったね?帽子は被っていかんね。暑いからお茶は持っていくとよ!』と、子どに言うくらい指示を出していた。今日は私が行く時も気づかず、ベットで横になって眠っていた。

 墓に添える花は、生花が良いのだろう。けれど、置きっぱなしになった花が萎れていくよりは、趣も何もない造花で良い。滅多に行けないのだから。お線香と掃除道具はお墓に置いてある。蝋燭に火をつけるチャッカマンと、造花の束、お水とゴミ袋を持って実家を出たのが午前9時。早朝の雨のおかげで、ジリジリ照りつける様な暑さは無かった。塩飴を口に入れて坂道を登った。

 お墓には兄が眠っている。兄は7月に生まれてすぐ旅立った。《玉露善嬰児》という戒名だけ残して。お墓の隅には雑草がひょろりと生えていた。それを引き抜き、落ち葉をほうきで掃き集めた。墓石にお水をかけて汚れを落とし、造花を飾った。「おはようございます」と、数人の人が通り過ぎて行った。お線香に火を灯すと、あちこちからお盆の香りがした。煙が空へ向かい、すーっと泳いでいった。


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 掃除とお参りを無事終えた私は、首にはタオル、右手にゴミ袋、左手にチャッカマンを持って階段を降った。このまま真っ直ぐ降ると、小学校の頃の同級生の家がある。当時、家庭訪問が同じ日の子どもたちは、みんなで先生の後をついて回っていた。その時行ったしょう君の家の庭では、檻の中に猿が飼われていた。みんなが興味津々で近づいていくと、『きぃーききき!』と、歯を剥き出しにした赤い顔の猿が暴れていた。

 お墓参りを終えると、いつも昔の記憶が立ち登る。日常の生活と違う行事ごとは、大切な何かを忘れないように、糸をぎゅっと結ぶようなもの。過去を一生懸命生き抜いてきてくれた先祖のお陰で、今私の命がある。子どもの頃から体験してきた色んな事があって、今この地に足を着けている。


人は変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど実際は未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去はそのくらい繊細で、感じやすいものなんです。
                       《マチネの終わりに》
    


 昔、分からなかった親の思い。同じ立場になる度に、親の感じた思いが上乗せされ幾重にも重なり、奥行きのある記憶に変わっていく。

 チャッカマンを左手に掲げた私は、まるで聖火ランナーみたいだ。次の世代に記憶のバトンを渡すために走っている。

 目の前をひらり葉っぱが降ってきた。見上げると、3mほどの樹が風に揺れていた。枝から伸びた葉の裏から、太陽の光がキラキラ透けて見えた。


 青空と木漏れ陽の隙間から、逃げ遅れた雨粒がポロリこぼれ落ちてきて、私をそっと濡らした。











 


 

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