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【アート・マネージメント|沖縄タイムス唐獅子⑧ 2011年11月14日掲載】

*これまでに執筆した記事を振り返っています。

英国で沖縄の芸術を紹介することに関わり始めた直後、2008年のリーマン・ショックの影響で当時勤めていた会社が倒産してしまった。いきなりピンチに立たされ、就職活動を始めたが、これまでの経験を生かせる写真関連の専門職は、衰退していく一方であった。ろくに面接すらしてもらえず、自分の真価を問われているようで、落ち込むこともあった。

そんな状況で発想を転換するのは難しかったが、新しいことを始めるチャンスだと思い、片手間で携わっていた芸術・文化の橋渡し的な活動が本業へとシフトしていった。少ない退職金とわずかばかりの貯金を切り崩して始めた、自分自身への投資ではあったが、それまで就業で制限されていた時間が自由になり、それを思い切り活用した。とにかく歩き、いろんな人と会った。知恵を借り、それを一つひとつ実践して成果を得ることができた。一見不可能に思えることでも、アンテナを張り巡らせて情報を集め、実現する方法を何か見つければいいのではないかと思う。

現在、写真やアートに関わる仕事をしているが、職業を聞かれると一言でなかなか言い表せない。美術や音楽というジャンルを超えてアーティストたちと関わり、幅広い業務と雑務をこなすため、それらを総称して「コーディネーター」としている。実際に何をしているかというと、アート・マネージメントという言葉がぴったりである。

日本ではなじみが薄いようなので説明すると、美術、音楽、演劇などの芸術活動を支援する方法論で、適切な展示方法や広報などを統一的にマネージメントすることで「より多くの人に対して、より質の高い芸術に触れる機会を提供することを目的とする」とされている。

ここで私が考える広報とは、リサーチ、マーケティング、プロモーションの要素を含み、集客や販売力ももちろん重要である。作家の個性を引き出し、ベストな見せ方を提案したり、人材を紹介したりと、総合的な要素を含んだクリエイティブな仕事である。責任も大きく、大変な仕事ではあるが、見る側と見せる側との交流の場を作り、両者が感動し興奮する場面に立ちあったことで、癖になってしまったようだ。

追記:勤めていた会社が倒産するなんて、人生でなかなか経験出来るものではありませんが、それをバネにして転換しなければ、今の私は存在していません。

当時の肩書きはコーディネーター、でもそれ以上のことをやっていたので、私の肩書きは一つじゃなくて、その時々、プロジェクトによって変化します。

仕事では、海外プロモーションや広報に力を入れていて、表現する人は出来るだけ発表する場を広げてフィードバックをたくさん貰った方が良いと思います。そして、たくさん観て経験して、続けていく上での糧にして欲しいと思います。

(この写真は、まきや しほさんの描いた壁画です。)

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