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むかしばなし雑記#07 「ねずみの嫁入りー足もとの幸せ、気づかせたのは?ー」

はじめに

こんばんは、今回はめずらしく人間が一切登場しない話。ねずみの語源は「寝盗み(人間が寝ている間にこっそり食料を食べてしまう)」だと言われています。長い間、人間と共存してきたねずみたち、その姿が愛されてキャラクターとなっている例も少なくありません(ポケモンの有名キャラクターもねずみモチーフですね)。神様が行った干支選びでは機転を利かせ(ずるい?)一番目のポジションを獲得したという昔話があります。かくいう私はねずみ年生まれ。ねずみには人一倍親しみを覚えていたり…。そんなわけで「ねずみの嫁入り」より。

「ねずみの嫁入り」

以下に青空文庫「ねずみの嫁入り」(楠山正雄)に一部省略・表現変更を加えて書き起こしたストーリーを掲載します。
なお、YouTubeでは楠山正雄氏の作品そのままを朗読にて紹介しています。音声で楽しみたい、という方はこちらからどうぞ。入眠用にもいかがでしょうか?


むかしむかし、ある家のお倉に、お金持ちのねずみが住んでおりました。
子供がないので神さまにお願いしますと、やっと女の子が生まれました。その子はかがやくほど美しくなって、日本一のいい娘になりました。

こうなるともうねずみの仲間には、とても娘のお婿さんにするような者はありませんでした。ねずみのお父さんとお母さんは「うちの娘は日本一のお婿さんをもらわなければならない。」と言いました。この世の中でだれが一番えらいかと考えると世界中を明るく照らすお日さまのほかにありませんでした。そこでお父さんはお母さんと娘を連れて天へ上っていきました。
「この世で一番偉いお日さま、どうぞわたくしの娘をお嫁にもらってくださいまし。」
お父さんは丁寧にお辞儀をしました。するとお日さまはにこにこして言います。
「それはありがたいが、世の中にはわたしよりもっと偉いものがあるよ。」
おとうさんはびっくりしました。
「まあ、それはどなたでございますか。」
「それは雲さ。わたしがいくら空でかんかん照っていようと思っても雲が出てくると、もうだめになるのだからね。」
 おとうさんはそこで、こんどは雲のところへ出かけました。
「この世で一番偉い雲さん、どうぞわたくしの娘をお嫁にもらってくださいまし。」
「それはありがたいが、世の中にはわたしよりもっと偉いものがあるよ。」
おとうさんはびっくりしました。
「まあ、あなたよりも偉い方があるのですか。それはどなたでございますか。」
「それは風さ。風に吹き飛ばされてはわたしもかなわないよ。」
 おとうさんはそこで、こんどは風のところへ出かけていきました。
「この世で一番偉い風さん、どうぞうちの娘をお嫁にもらってくださいまし。」
「それはありがたいが、世の中にはわたしよりもっと偉いものがあるよ。」
おとうさんはびっくりしました。
「まあ、あなたよりも偉い方があるのですか。それはどなたでございますか。」
「それは壁さ。壁ばかりはわたしの力でも吹きとばすことはできないからね。」
 おとうさんはそこでまた、のこのこ壁のところへ出かけました。
「それはありがたいが、世の中にはわたしよりもっと偉いものがあるよ。」
 おとうさんはびっくりしました。
「まあ、それはどなたでございますか。」
「それはだれでもない、そういうねずみさんさ。わたしがいくらまっ四角な顔をして、固くなって、がんばっていても、ねずみさんはへいきでわたしの体を食い破って、穴をあけて通り抜けていくじゃないか。だからわたしはどうしてもねずみさんにはかなわないよ。」
するとねずみのお父さんは、今度こそ本当に芯から感心したように、ぽんと手を打って、
「これは気がつかなかった。わたしどもが世の中で一番偉いのですね。ありがたい。ありがたい。」
とにこにこしながらいばって帰っていきました。

 ねずみの一家は、帰ると早速お隣のちゅう助ねずみを娘のお婿さんにしました。若いお婿さんとお嫁さんは仲良く暮らしてお父さんとお母さんを大事にしました。そしてたくさん子供を生んで、お倉のねずみの一家はますます栄えました。

テキストは青空文庫「ねずみの嫁入り」(楠山正雄)に一部省略・表現変更を加えたものです。
原作はこちらからお読みください。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000329/card18335.html

ねずみの嫁入り?ねずみの婿取り?

さて、この「ねずみの嫁入り」。古くは「ねずみの婿取り」として『沙石集』という本に書かれたもの。古典の授業の定番教材、「児(ちご)の知恵」も収録されている『沙石集』、これは仏教説話集といって仏教の教えを伝えるために語られた話をまとめた書物でした。どのような仏教の教えを伝えようとしている話なのか考えながら読んでみると、違った見方ができるかもしれません。

それにしても…「嫁入り」と「婿取り」ではずいぶん受ける印象が変わってくるような。お話の本題は「結婚」というより「お婿さん選び」なので、内容を考えると「婿取り」の方がしっくりくるのかもしれません。今の時代で言い換えるならば「ネズミの婚活」?そういえば、「婚活」って初めて聞いた時には(当時はまだ就活くらいしか類語がなかったような)、「『○活』なんて、しゃかりきに頑張らないといけない印象を与えるからイマイチだな」と感じたりもしたものですが、「嫁入り」や「婿取り」と並べてみると、ジェンダーを感じさせないというか、婚姻におけるパートナーとの関係性がフラットな感じで、これはこれで時代を感じさせる言葉なのかな、という気がしてきます。

いさぎよいお日さま~おごらぬ太陽神~

「雲さん」「風さん」「壁さん」にたいして「お日さま」。太陽だけが「様」づけ……?普段「お日さま」というときには意識していませんが、この「お日さま」呼びや「お天道様」という言葉は、太陽が神格化されていたころの名残と考えられています。太陽の神格化、これは、古事記や日本書紀に天照大神(あまてらすおおみかみ)が登場することからもうかがえます。(ちなみに、月は月読尊(つくよみのみこと)として神格化されています。こちらも今なお「お月様」呼びされることがありますね。)

太陽信仰は世界各地にあり、その力を示す昔話もたくさん存在します。太陽と風が登場する話と言えば、イソップ寓話の「北風と太陽」がありますね。ここで太陽は旅人のコートを脱がせるため北風と勝負をし、見事勝利しています。びゅうびゅうと吹き付ける北風にコートをしっかり押さえてしまった旅人でしたが、太陽がさんさんと照らすとあっという間にコートを脱ぎ捨てたのでした。この寓話のメッセージは、厳しさ(強制)よりも温かさ(優しさ)が人を動かす、といったところでしょうか。

日本も、そしてイソップも出身地であるギリシャも、神話を紐解いてみると、ともに絶対神をもたず、実に多くの神々を信仰しています。こうした多神教の国々では、ある神様だけが強大な力をもつ話ではなく、神々が恋をしたり喧嘩をしたりする人間模様としての神話が多く語り継がれてきました。昔話に見られる太陽の姿も、こうした信仰が背景にあったのではないかと考えられます。

とはいえ、「北風と太陽」では力こそ振りかざしてはいないものの、勝負をする、というストーリー上、北風と太陽の間には序列があるように見えてしまいます(力を振りかざさないからこそ真の意味で強いのだ、とも取れるのでこのあたりはなんとも言えないのですが)。

さて、それを踏まえて「ねずみの嫁入り」を見ると、お日様よりも雲さんが強くて、その雲さんよりも風さんが強くて……。「北風と太陽」のように二者が直接対決をするという展開ではないというのもありますが、こちらのお話の方が太陽の描かれ方がよりフラットになっているような……。

呼称においては神格化の名残を見せる「お日様」ですが、この昔話の中では、けっして絶対的な優位性を持っているわけではありません。このお話が語られた時代、民衆は太陽をどうとらえていたのか、その実際のところはわかりませんが、おごることなく他者を立てようとするお日様の姿は、おおらかで、まさにあたたかみが感じられます。

自分を、他者を認める力

ねずみのお父さんは、さまざまな地を巡り巡ってちっぽけな自分たちにも誇れるものがあったと気づき、最も幸せな気分で縁組みをします。いたずらに人をうらやむのではなく、長所も短所も含めて自分や他者をそのままに受け入れるようになったとき、だれかと同じ時代に生まれた幸せはより大きく感じられるものなのかもしれません。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた来週お目にかかりましょう。

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