カエルをめぐる父娘の会話
「ねぇパパ~、『井の中の蛙大海を知らず』っていう、ことわざっていうか教訓っていうかみたいのあるよね?」
「うん、あるね」
「アレってようは『狭い範囲の知識だけだとそのキャパを超える多角的な判断が出来ないし見識の広い人に付いていけないよ』みたいなことでしょ?」
「まぁ、そんな感じだと思うよ」
「でもさ、わたし思うんだけど、井戸の中で一生を終えるカエルにとって『海』なんて『どーでもいいものランキング最上位』だったりしない?知る必要無くない?」
「確かに一理ある。でもね、『井の中の蛙大海を知らず』とマジメに向き合うのならば、もっと前提条件について色々と考えなきゃいけないよ」
「前提条件?」
「そう。まずは『井の中の蛙大海を知らず』が令和6年版なのかどうかだ。もしリアルタイムな『井の中の蛙大海を知らず』なのだとしたら、主人公であるカエルはまず間違いなくスマホを持っているだろう。ということはたとえそのカエルが井戸の中で一生を終えるのだとしても世界中のありとあらゆるジャンルの情報を得る事が出来るのだから『大海を知らず』とは言い難い。文字情報による説明や画像や動画を介してカエルは体験することなく海を知る事が出来るんだ。だから『井の中の蛙スマホにより大海を知る』となる」
「えぇ~~、そんなのズルいよ~。だって…」
「『だってカエルの世界にスマホなんて無い』は言いっこなしだぞ。そもそも『井の中の蛙大海を知らず』は『人間界の事を例える教訓』なんだから人間界とリンクしてなきゃ意味がないじゃないか。例えばカエルではないが『サザエの一族の話』にコンビニやLINEやサブスク動画やネットショップなんかの話題が出てこないと凄い違和感をおぼえるだろ?それと一緒だ」
「うーん。分かったような分からないような…」
「まぁスマホのことは一旦忘れてくれ。で、ほかの前提だ。もし主人公のカエルがスマホを持っていなかったとしても、1匹ではなく20匹くらいの村単位だとしたらどうだろう。井戸の中の情報が少ないとは言っても20匹分の立場や主張が交錯すれば案外情報過多な外界よりも保守的ではあるがワイワイ楽しい村人ライフを送れるかも知れないよな。そうすると『井の中の蛙大海を知らずとも村人として楽しく生きる』となる」
「まぁ、一生1匹よりは楽しいかもね」
「次の前提だ。もしカエルがスマホを持っていなくて一生死ぬまで1匹だったとしても、定期的にユパ様みたいな旅の勇者ガエルが世界中の情報や土産を持って立ち寄ってくれるとしたらどうだろう。それはもう井戸から出ずとも楽しい井戸ライフなのではないかな。この場合は『井の中の蛙ユパ様から大海を教わる』となる」
「でもパパ、それってスマホの下位互換っぽい気がする…」
「…じゃあ次の前提。もしカエルが魔王の力を持っていて井戸の中に居ながらにして全世界を火の海にして征服できるのだとしたらどうだろう。もはや魔王ガエルにとって『居住地が井の中か外か』は全く何の意味も成さない。だから『井の中の蛙大海などすっ飛ばして世界を手に入れる』となる」
「もう、何がなんだかだよー」
「他にもカエルの個性による前提を考慮すれば話はいくらでも分岐する。『海どころか井戸の外にすら興味のないカエル』もいれば『井戸の外に憧れてなんとかよじ登り脱出したはいいものの外界の厳しさに耐えられず挫折しボロボロになって井戸に戻るカエル』もいるだろう。また、『海まで辿り着いたはいいものの海を知ることの意義を見出せず絶望するカエル』なんてのもいるかもね」
「あとさ、もし海まで辿り着いたカエルが『これが海なのか~イェーーイ!』って感じで飛び込んだら死んじゃいそうだしねー」
「まぁ死ななかったとしても『海に飛び込んで死にかけた経験』をポジティブ材料として生きて行けるカエルは少ないだろうな」
「てことはパパ、やっぱりカエルは井戸の中に居続けた方がいいってことなのかな?」
「ん~。はっきり言ってしまえばそんなのはカエルの勝手なんだが、いずれにせよ今の『地球全体を光ファイバーがぐるぐる巻きにして数多の人工衛星が取り囲んでる世界』を舞台とするのなら、どうしても『井の中の蛙でも大海くらい余裕で知ってる』みたいになっちゃうんだよな。体験しなくても知っている事がやたら多い、バーチャルな世界目前って感じだ」
「でもパパ、その『バーチャルな世界』っていうのは何も『専用ゴーグルやヘルメットを装着してログインする世界』とか『脳に電極をつないで拡張される世界』のことだけじゃないんじゃないかな。太古の昔、言葉が生まれて会話や文字によって情報が伝達されるようになった時代から始まってるんじゃないかと思うんだ。パパが子供の頃だって『行った事の無い国の風景』とか『生きた事の無い時代の事件』とか知ってたでしょ?それってれっきとしたバーチャル世界だと思うよ。ただ近年になってその情報量と共有範囲とバーチャルテクノロジー具合が跳ね上がったっていうだけなんじゃないかなー」
「おまえってば鋭いこと言うね。パパちょっと感動しちゃったよ」
「テキトーだけどねー。因みにさ、『井の中の蛙大海を知らず』には続きがあるとされていて『されど空の深さを知る』ってオチなんだって」
「うーん。それはそれで前提によっていくらでも違う解釈ができそうだなー。『空の変化に集中するカエル』よりも『目の前に落ちてくる虫に集中するカエル』の方が一般的っぽいし、そもそも井戸の底から見上げた『空』なんてコースターくらいのサイズの光源でしかないだろ?そんな狭い情報から『空の深さ』を知ってしまうカエルなんてカエルばなれしすぎだと思うぞ。いやもうそいつは人間の心を持った偽ガエルだね」
「つまりアレね。そもそも人間に対する教訓をカエルで表現しようとしたこと自体に無理があるってことね」
「まぁ、ざっくり言えば『今のカエルはどこに居ようが大海くらい知ってる』ってことかな」
「てことはさ、『今のカエルの中で際立って凄いカエル』って『ビッグ・テック』とか『米資産運用ビッグ・スリー』とか『ファッションやメディア界のコングロマリット企業』なんかの経営者たちってことなのかな?」
「そーゆーこと… なのかな。どーした、いきなり生々しいな」
「いやさ、いつの時代も『井戸から出て大海を知ろうとする努力程度では決して辿り着けないレベルの領域で情報と資産とコネをフル稼働させている最上級世界民』みたいな人達が居るんだろうな~って思って」
「まぁ… 『世界の基準』を取り仕切ってるのはずっと白人上流社会だからなぁ。俺たちはそんなこと知らない顔して『井戸の中』で楽しく暮らせばいいんじゃないか?」
「あー、だったらやっぱり『井の中の蛙大海を知らなくていい』ってことになるわけで、それってわたしが最初に言ってたやつじゃん!」
「そ、そーだな。結局おまえが正しかったな…」
「あ、そう言えばパパ、ママが背中揉んでほしいんだって。仕事キツかったみたいだから早くしないと機嫌悪くなるよ~」
「そーゆーことこそまず最初に言ってくれよ。なんだったんだよカエルの話は…」
「アハッごめーん、じゃあわたしは寝るねー、パパおやすみー」
「はーい、おやすみー」