恐怖は幻想。真実はあなたがそこにいる、ということ。
恐怖は幻想だ。あらゆるひとのなかに神性さは宿っている。生きとし生けるものの中に生命の輝きがある。
昨日、お話した男性が「競争社会で生きることが難しく、今は手取りが十数万円しかありません。でも、不思議と私は自分の人生を生きている気がするんです」とおっしゃっていた。
さらに、その男性は「でも、ふとした時に恐怖がやってきます」と付け加えられた。
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この現象の世界で体験していること(経済的に貧しいということ、病気を患っていること、その他色々な苦しみ)の奥には静寂がある。
その静寂から観れば、誰かが何かの問題を抱えていたとしても、それはただの状況だという確信が私にはある。
恐怖は幻想だ。「将来」も幻想だ。「今」しかない。「今」と言うのは、「在る」ということだ。
今この瞬間、あなたがそこに存在しているということは神性さがあなたの中に満ち溢れているということである。恐怖や不安と言うのは、自分のなかにある神性さを信じられないからこそやって来るのだ。
信頼の欠如である。
貧困や病気に襲われた時、ひとは自分のなかに神性さが満ちていることを信じられなくなる。そういう時、ハート・センターに手を当てたり、ハートに祈りを捧げたりして、自分のなかの神性さを確認する。
不安や恐怖にまずは気づいて距離を取り、ハラに意識を落として落ち着くこと。
実際、この身体と言うのは、誰にとっても一時的なもので、不確かなものなのだ。
お金持ちも世界中に名前が知れ渡っているような成功者も、いずれこの世を去る。それはコントロールできない。
でも自分の中の「神性な意識」を知っているひとはどんなことでも潔く受け入れる。身体が朽ちても、その「神性さ」は損なわれないからだ。
対話が深まってきた時、その男性は「悟りって何も分からないことを認めることなんですね」とおっしゃり私は「まさにそうです!」と答えた。
思考が優位になると、「分からないことを無理矢理分かろう」とする。
将来どうなるかなんて誰にも分かるはずないのに、自分の将来はダメだ、と結論付ける。
将来は幻想。恐怖も幻想。ただ今しかない。
自分のハートを信頼すること。「神性さ」はハートに深く関係している。思考からハートに意識を落とすこと。
何度も言うけれど、未来なんてない。信じてほしい。どんな経済的状況にいるとしても、治る見込みのない病気に侵されているとしても、ほんとうのあなたは傷つけられることがない。
ほんとうのあなたはただそれを観ている永遠の意識だ。
逆にどれだけ経済的に恵まれ、名声を得ていたとしても、ハートという内なる神性さに気づけなければ、そのひとはこの物理的な次元をさまよい続けることになる。
でも、もし、あなたの内側が「在る」という意識で満たされたのなら、何が起ころうと、現象は車窓の外に映る風景のようにただ過ぎ去ってゆくということが分かる。
だから信頼してごらん。ほんとうのあなたである神性な意識は汚されることなく、ただそこに「在る」のだから。
対話と瞑想をしています。↓
naokifloweroftheheart@gmail.com
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