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身近なひとが身体を去る時にできること。

もし、あなたの身近なひとがこの世を去ろうとしているのであれば、そのひとに、なるべく安心を感じさせてあげてください。

まずは、正直に事実を打ち明けた方が良い思うのです。心の準備をするためです。もし連絡したいと言うひとがいれば、出来る限りのことをしてつなげてあげてください。

心のわだかまりをほどいてあげて下さい。後悔や執着がない状態でねむりにつけるように。

まだ体力があるのであれば、好きな食べ物を食べさせてあげたり、行きたいところに連れて行ってあげてください。

もし、大きな後悔があるようなら、思いつくかぎりの言葉をつかって「そうなるようになっていたんだよ」と言ってあげてください。

もし、誰かを傷つけてしまって、もう謝る機会がないのであれば、心のなかでそのひとに謝罪して、自分自身をゆるすように言って下さい。そのひとの全人生をゆるしてあげてください。全肯定してあげてください。親であれば、「自分はちゃんとやっていくからね」と安心させます。

死んだあと、どうなるのかなんて考えないでください。世界中に死後の世界を教える経典や言い伝えがあります。しかし、ほんとうのところ、どうなるのかなんて死んでみないと分かりっこないのです。

大事なのは、いかに安らかにねむるかだと思います。わたしたちはある意味で、毎晩、死んでいるのです。ベッドで毛布にくるまってねむりにつく時、死んで、朝目覚める時、新しく生まれ変わっています。

普段、わたしたちはねむった後、夢を見ます。日中の生活でため込んだ感情や、イメージが夢のなかに現れてきます。もし、ねむる前に誰かのことを恨んだり、激しく怒ったりした時の夢は悪いものになります。

でも、周りのひとに感謝して「ありがとうございました」とすっきりねむりにつく夜、ひとは愉快な夢を見るか、あるいは夢を見ないでぐっすりねむります。

それと同じように、ひとが死にゆく時も、なるべく熟睡できるようにしてあげてください。そのためにまず、死にゆくひとの心の整理をしてあげる必要があります。

次に身体に対するアプローチです。わたしの親は「無理な延命のための治療はしてほしくない」という意志をわたしに伝えています。

多くの場合、魂は肉体を離れたがっているのに、周りのひとの執着によって、無理に引き留めているのです。これでは安らかにねむることはできません。

もちろん、これはわたしの意見ですので、みなさんの自由に決めれば良いのです。誰にも強制することはできないのですから。でも話し合いをしておくのは大事かと思います。

そして、「身体は死んでしまっても、魂は死なない」ということを伝えます。でもそのひとはこう思うことでしょう。「一体、魂というのはどこにあるんだい?」と。

魂の在る場所はハートです。普通、ひとのハートは閉じています。でも「魂がふるえる」という言葉を多くのひとは使います。美しい音楽を聴いたり、文章を読んだり、誰かから優しくしてもらったり、愛するひとの寝顔を見つめる時、ハートが温かくなる感覚があります。その時、魂が顔を出しているのです。ハートが波打ち、ひらいているのです。

残念ながら、ハートの教育というものが現代社会にはありません。すべてマインド(思考)を発達させるための「お勉強」しかないのです。だからひとびとのハートは閉じています。

もちろん死にゆくひとのハートもすっかり閉じてしまっている状態です。もし可能なら、そのひとに胸が温まるような過去を思い出させてあげるようにしてください。あるいは、感謝の言葉を伝えてください。「育ててくれてありがとう」とか、とにかく思いつく限りの方法で、ハートに訴えかけるのです。

そして、ハートの甘さや柔らかな感覚を感じてもらいます。そのとき、あなたはそのひとの胸のあたりにやさしくふれてあげるのです。まるで、か弱い小動物や赤ん坊をなでるようにとてもやさしく。

目を閉じて、自分のハートに手を置く時、何だかやさしい気持ちになりませんか?神聖な感覚、愛、そういった言葉にならない感覚が出てくると思います。その時、あなたは深淵なハートのスペースに入り込んでいるのです。

そのあたたかさをあなたの大切なひとに感じてもらいながら、「この愛のなかに帰ってゆくだけなんだよ」、ということを伝えてあげてください。そのひとはハートと言う大いなる母親の胸のなかに帰ってゆくのです。

もう応答ができなくなるほど意識がなくなってしまった場合でも、話しかけてあげてください。あるいは、静かに沈黙を分かち合うのです。

思考は機能しなくても、あなたのハートとそのひとのハートは響き合うのです。それはまるで近くにある一つの楽器の音が隣の楽器に共鳴するようなものです。




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