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作曲家・西村朗さんと死について話した日

2013年9月3日。
当時私がやっていたインターネットラジオ番組「カフェフィガロ」のスタジオで、初めて作曲家・西村朗さんとたくさん話した。

私は西村朗さんの音楽の大ファンだった。
作曲技法が云々というよりも、西村さんの音楽が示している世界観そのものに憧れ、共感していた。何よりも音楽がくねくねと曲がりくねっていて、エロティックかつプリミティブで面白かった。

西村さんは天平勝宝4年(752年)4月9日の東大寺大仏開眼供養会について語った。インドやチベットや中国などアジア全土から合計2万人にも及ぶ特使、僧侶や楽人・舞人らが参列したといわれるこの儀式では、どれほど多様性に満ちた、まばゆい音楽が連日連夜演奏されたことだろう。その時の平城京の様子を興奮して語る西村さんの熱い思いが素晴らしかった。
西村さんはアジア全体の多様で壮大な音楽の交響的可能性について思いを馳せていた。それが西村さんの音楽の幻想性の揺るぎないルーツだった。

西村さんの書いた「迦楼羅」という曲が特に好きだ。
奈良・興福寺の国宝館にある八部衆立像のひとつ、インド神話に由来する「迦楼羅(かるら)」についての音楽である。

ほぼ等身大の身体に、首から上は鳥という奇怪な姿だが、これは害を与える一切の悪を食いつくし、人々に利益をもたらすというありがたい存在なのだ。固く閉じられた嘴(くちばし)によって、沈黙を守り続けてきたこの鳥人像が、もし声を発したら、どんな響きでさえずり、語り、歌うのか? 千数百年もの間、人々の悲しみや苦しみ、悪のなすことすべてを静かに見つめてきたこの鳥人の思いとはどんなものなのか?
オーボエ協奏曲「迦楼羅」、および独奏オーボエのための「迦楼羅」は、そのような西村さんの想像力によって生まれた。

私は西村さんと思いを同じくしたいがために、改めて奈良・興福寺まで出かけて、迦楼羅像とじっくり対面したほどである。想像していたよりは小さく、怖くもなく、むしろ目にはまるで涙を浮かべているように見えた。

話をカフェフィガロの思い出に戻すと、そのとき私は西村さんに向かって、かなり本質的な質問を愚直に投げかけた。
死についてである。

西村さんは、愛する母の死に際しても、想像していたよりも悲しくなかったのだという。長くその日のことを思い、あらかじめ悲しんできたからかもしれない。そして来たるべき自身の死に向けて、しっかりと向かい合い、準備する気持ちを持っておられた。

準備することなく、突然死んでしまうのが一番不幸なことだ、と西村さんは言っていた。今回の訃報によれば、70歳の誕生日の前日(2023年9月7日)にがんで亡くなられたことになる。きっと内心死ぬための準備をしておられたに違いない。

チベットやインドの仏教に詳しい西村さんならではの考え方だけれど、死に向かって準備することは、「暗く日没していくなか、ばら色に染まっていく谷をゆっくりと降りていく楽しさ」なのだという。
いまも忘れられない言葉である。

それは決して生の否定ではない。むしろ「ばらの騎士」の沈みゆく人生の残照にも似た、もっとも美しい生についての考え方なのかもしれない。

「死ぬ準備をしっかりとしなさい」。
西村さんから改めてそう言われた気がしている。

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