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検証あるいは社会実験

あれは確か7、8年ぐらい前だったでしょうか。Instagramがここまで流行る以前、カウンセリングの最中に、お客様が集客サイトのヘアカタログから保存していたものを選び、差し出された携帯の画面を見せてもらうと一枚の髪型の写真が写っていました。

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「素敵な髪型ですね。ちなみにどちらの美容室ですか?」
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と尋ねると
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「お店はわからないんですけど〜・・・」

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その時にふと思いました。やりたい髪型と行きたいお店は直結しないのではないかと。(個人の見解です)
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美容師の僕が見ても「これは〇〇さんの髪型だ!」とわかる人は数えられる程度です。それからは髪型だけ地道に投稿していたらコスパが悪いと思っていました。かといって趣味性を強くすると間口が極端に狭くなってしまうと考えて、今は「美容に対しての姿勢」や「美容室ではどんな時間が流れてどんな空間なのか」が見えるように考えて投稿するようにしています。
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特殊なカラーやパーマを習得したら名前は覚えてくれるかもしれない。けど、果たして自分がやりたい技術なのか?求められているのか?
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芸能人やインフルエンサーと呼ばれるような人が通っているという付加価値があれば来てもらえるかもしれない。けど、それは本当に自分の実力や魅力をわかってもらえているのか?


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とあるチェロの演奏家が言ってました。
「お辞儀と調弦の時点で、その人の丁寧さや、どんな演奏をするか8割わかる。人間性は立ち居振る舞いに、音楽への美意識は調弦に表れる」

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丁寧な仕事は大前提かつ、お客様が評価するものなので、自分から「丁寧」をアピールすることはありませんが、仕上がりの髪型以外にも何か感じて貰えたらこの上なく幸せです。そこまでの過程や美意識に共感した場合は、金額では計れないものがあるはず。技術と同じぐらいコーヒーも、流れてくる音楽も僕にとっては全て同一線状にあります。


これはある意味、名も知れないどこにでもいるような美容師の社会実験。これからさらに求められるか、斜陽の一途を辿るのか。ボキャブラリーに溢れた人間ではないので笑い転げるような楽しい時間は提供できないですが、今を一生懸命に生きる人に寄り添いたいと思っています。ごく小さな個人の営みから、点で細い光を放ち、内省的な文化をマイペースに育んでいくつもりなので、興味が冷めないまでは引き続き温かい目で見守り下さいませ。

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