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妄想百人一首(21)

「道」


 三歩後ろを歩いていた彼が立ち止まった。振り返ると、彼は驚いているのか喜んでいるのか分からないような顔持ちで突っ立っていた。
「どうした」
「道がある」
意味が分からない。気が狂ったのだろうか。黙っていたら、上擦った声で彼が言った。
「道がある、感動しているんだ、道が延びているってことだって素晴らしいことなんだ、奇跡みたいなことなんだ、道があるだけで感動できるんだ」
何を言っているのか理解できなかった。既に五日も歩きっぱなしで疲労は限界に達してる。感動の言葉が持つ感覚さえ思い出せないし、気力もない。
「先を急ごう」
思考を放棄した。
 無心に足元を見つめながら歩を進める。時折、前方を見渡して危険の確認と野営地探しをするが歩みは止めない。水を飲むために立ち止まったときだけ、彼の存在と状態を気にかける。
 繰り返すこと五日間。やはり彼は気がおかしくなったのだろう。明日は採集に当てて体力を回復をした方が良いだろうか。しかし、日数はギリギリでそんな余裕はない。実に悩ましい。いずれにせよ水分補給は徹底してもらおう。
 川辺で野営することにした。視界が開けているのはいただけないが、水が無ければ始まらない。
 「水はちゃんと飲んでるか?」
「ああ」
「明日はどうする?ペースを落として食料を確保した方がいいか?」
「君の判断に任せるよ」
「このままのペースで行けるか?」
「僕は大丈夫、歩けるよ」
「じゃあ明日も進めるだけ進もう」
薪が爆ぜて、不覚にも飛び上がってしまった。彼は穏やかなまま笑った。昨日まで彼の顔を支配していた苦悶はどこにも無かった。きっかけは不明だが、良い兆しだと信じよう。
 翌朝、目が覚めてテントを出ると日の出の頃合いだった。
 「道があるだけで感動できるんだ」
昨日の彼の言葉が蘇った。
 ああ、確かに。
 朝焼けも、そこに影を添える雲も、流れゆく川も、その水面の煌めきも確かに美しい。だが、彼の言わんとするところは、そこではないのだろう。冷め切った焚火の跡、くたびれたテント、汗と土に汚れきった四肢、美しくないものさえも美しく、それは奇跡である。全てのものは美しさに内包されるという奇跡が存在する。
 「おはよう」
彼の声がした。振り向くと、朝日に目を細めた彼が立っていた。
 きっと私の表情も晴れやかに違いない。



ネタの種

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木

この歌について

 権中納言定頼が、宇治に来て詠んだ歌で、
「夜明けの辺りがほんのり明るい頃、宇治川にかかる朝霧の切れ間から現れるのは浅瀬一面の網代木である」
という意味。
 平安時代、宇治川は貴族のリゾート地だったらしい。網代(魚を捕る仕掛け)がずらりと並ぶ様子は冬の風物詩だったらしい。

この妄想について

アインシュタインも全てが奇跡と思って生きろって言ってました。

あとがき

書いているときは良いのですが、読み返すとピンと来ません。

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