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とりあえず自分のこと。 #2

まず初めに自分のことを書き出したけど、これ、キリがないよなーと。

正直自分のことに関してそんなに書くことないよーと、思ってはみたものの案外出てくる自分の歴史。

とりあえず思い出していけることから書いていこう…


自営業の実家、マンモス団地、自然豊かなドブ川。
これが当時自分の周りに広がっていた世界だったと書いたのは前回の話。

本当にワンパクだった小学生の頃は習い事もよく通わせてもらっていた。
自分には姉がいるのだが、その習い事は大抵姉と一緒だった。
スイミングスクール、習字、そろばん。
この全て、本当に嫌いだった。
そしてどれも中途半端に終わってしまう。

大体どの習い事も級が上がればみんなやめてしまうのが小学生の習い事。
スイミングだったら1級、習字も1級、そろばんは3級と、ある程度身につけたと言える階級になると周りの友達は早々と辞めて行ってしまうのだ。

同じタイミングで入った子も先にいなくなるし、後から来た子も僕より早く辞めて行ってしまうこともあった。
そうするとどうか、もうね、やる気が出ないのですよ…

そんな時に習字もそろばんも行ってきまーす、と言ってズル休みした時は親にこっ酷く怒られた。
その時が一番親が怖いと思った時かな。

当時は本当に集中力がなくて(今もだけど)不真面目な性格でもあったからどれも長続きせず、一人前の階級になる前に辞めた。
どうして上手くいかなのか、いつも1人だけ残される自分は何してもダメなのかと、ある意味人生で最初の挫折だったかもしれない。

その後、小学4年生になった時に少年野球クラブに入る。
じっとする習字やそろばんは大嫌いだったけど、スイミングは体を動かすから気持ち的に楽だったことと、友達の多くも所属していたということで僕も入ることになったのだ。
あと当時の僕はブクブクに太っていた。
だって実家がパン屋だし。
(パンは太るから気をつけた方がいいよ…)

結論から言えば野球もたくさん練習はしたが全く上手くならなかった。
そもそもチームワークが下手。
今思うと致命的な障害が有ったんじゃないかって思うくらい。
でも大食漢だけあって強打者的な立ち位置だった。
バット振って当たれば遠くに飛んでいく。
そのボールを見てるだけで快感ではあった。
それに階級が設けられていないのも楽だった。
(ずっと2軍だったけどね。)

あまり痩せなかったし、習わされている感が否めなかったけど、それでも小学校卒業まで続けることができた。
で、その流れで中学生になった時も野球部に入部した。
少年野球とは比べ物にならない練習量、おっかない顧問、勉強との両立など。

辛いことだらけだった中学生生活の話はまた今度。

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