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初対面で聞き役に徹する人ほど、悩みは大きい#53

今日は私の経験と少しの考察を踏まえた心理学の記事になります。 第53回


こんにちは!ときえもんと言います!普段は大学生ですが、その傍ら、かなり人生に大きな影響を与えるような時間を過ごしています。


今回は、私の少しの疑問と考察を踏まえた記事として書きます。

突然ですが、皆さんは人の話を聞くことは好きですか?それとも人に話すことが好きですか?

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上の図の1〜4どこかに入ると思います。

1→話すことも聞くことも好き
2→話すことは嫌いだが、聞くことは好き
3→話すことも聞くことも嫌い
4→話すことは好きだが、聞くことは嫌い


日本人のなかで、どこが割合が多いかは知りません。皆さんはどこにたくさん当てはまりそうだと思いますか?

私の考えですが、人は圧倒的に「話したい」と思うもとだと考えています。

だからこそ、人の話を聞きましょうということがいかに重要かがわかると思います。コミュニケーションにおいて、キャッチボールができないと致命的ですからね。


さて、前置きはここまでにして。


私は人の話は最後まで聞きますし、自分の意見も最後まで聞いてもらいたいと思うタイプです。

当然皆さんも最後まで意見を聞いてもらいたいと思うでしょう。(話は途中まで聞いてくれたら十分と言う方は、なぜなのかコメントください。すごく興味があります。)

ただ、このような人を私は友人で知っています。

「私の意見はあまり言いたくない。だから、人の話を聞くことに徹している。そしてそれが好きだと思っている。」

さっきの図で言えば、2の人になります。

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3に関して、人とのコミュニケーション自体が嫌いという点で、一貫していると思います。

しかし、2に関して、自分のコミュニケーションは取れないが、相手のコミュニケーションは取りたいと思っているタイプなのかなと感じます。(かなり日本語がおぼついていますが、ご了承下さい)

なぜ、このような思考になるのか?

これが私の疑問です。そして、ここからが簡易的な考察です。


コミュニケーションで、聞き役は重要な役割を担います。それ自体素晴らしい物です。ただ、自分の意見が言えないと言うのは、コミュニケーションが深くないということになります。外見上は成立している。ただ、それ以上の親密度は深まらないのかと感じます。

もっというと、コミュニケーションは嫌いじゃないけれど……、という考えになるのかと思います。

私はこの時、2つの予想が生まれます。

1→コミュニケーションがめんどくさいが、とらないといけない場面が多いため、表面上で完成させておくように考える。

2→過去に、コミュニケーションでトラウマが生まれたり、そもそも過去または現在の人生で人には言えないほどの辛い経験がある。


自分の意見について、言いたくないという考えと、言う必要がないという考えがあると思います。英語で言えば、must not(禁止)とdon't have toの2つだと思います。

どちらにせよ。すごく難しい問題です。根本にあるのは、コミュニケーションに対する何か嫌な経験があったということだと思います。

子供の頃は、ママ!やパパ!など学校であった話をしたり、友達と遊んで楽しかった話など自発的に行っていたものです。

しかし、成長するにつれて、話すことに対する何かがあったのだろうと感じます。


私の友人は、かつて首をつって死のうとしていました。偶然紐が切れて死ねなかったようですが、人生がそこまで追い込まれており、原因が人間関係にあったことから、自己開示ができなくなっていました。

私は、3に当てはまる人に出会うと、相手の聞き役以上に聞き役になることを徹する。

その人との信頼構築も重要であるが、何より重要なのが、コミュニケーションの中で、その人が言えずに心の中で、我慢して我慢して言えない気持ちを一度解放してあげることを目指している。

簡単に言える悩みを言う人に対しては、おそらく、大きく悩む前に、何かしら少しずつ解放しているのだと思う。

ただ、大きくなった悩みを抱えてしまうと、話すことを避け、聞くことにだけ専念するようになってしまう(それがいいか悪いかは人それぞれだと思うが、少なくとも、その人の悩みは解決されない。墓場まで持っていくことになる。)

聞き役か話し役かというシンプルな問いは、それ以上に深く考えて接してあげることが重要だろうと感じる。

これは私の経験と予想をもったnoteである。


ここでサポートいただいたものは、全て私の母の病気への還元に使わせてただいています。