「学力」と経済学#番外編.6
いつも、心理学と行動経済学の記事を読んでいただきありがとうございます!
今回は、番外編として、東進ハイスクールの林先生も絶賛した教育経済学者の中室牧子さんの「学力」と経済学を読んで、記事にしようと思います。
第1回の記事はここに貼っておきますので、まだ見てない方は是非!
というわけで!今回は第4章「少人数学級には効果があるのか?」の2部目の内容を要約して説明します!
※ちなみにめんどくさくて、早く情報を知りたい方は、太字を読めば大方掴めるようにはなっています!
第4章は2回に分けて、noteにしていきます!
「学力テスト」に一喜一憂してはいけない
「全国学力・学習状況調査」というものを聞いたことがありますか?
文部科学省が発表している学力テストの都道府県別順位があります。秋田県や福井県は上位の常連校で、大阪府や沖縄県は下位の常連です。
しかし、これは学校教育の成果を測る上ではほとんど意味がないと考えています。
第2回の記事で、教育生産関数について紹介しました。家庭の資源と学校の資源の2つが学力を構成しているという関数です。
標準的な学力の分析において、家庭の資源が学力に与えている影響を取り除いたうえで、学校の資源が、それぞれどの程度、子供の学力に影響与えているのかを明らかにしようとします。
しかし多くの研究が、学力テストではなく家庭環境が重要であることがわかっています。
九州大学の研究では、中学3年生時点の子供の学力の35%は遺伝によって説明できることが明らかになっています。
出典: https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/13e097.pdf
「どういう学校に行っているのか」と同じくらい、「どういう親のもとに生まれ育てられたか」ということが学力に与える影響は大きいのです。
学力テストの順位が表すものとは
学力テストの順位が表すものとは?
実は、文部科学省が発表している全国学力・学習状況調査は、公立の小・中学校の学力テストの順位であることです。
私立は含まれていないため、正確な順位ではないことがわかります。
学校別順位は公表すべきか
2014年に、文部科学省は、全国学力・学習状況調査の自治体別・学校別の結果を公表するかどうかは各教育委員会の判断に委ねることを決定しました。
経済学的な一般的観点から見ると、学校別で競争させることが重要かと思われます。
しかし、子供の学力には、遺伝や家庭の資源など、さまざまな要因が影響します。
学力テストの結果を学校名とだけ紐づけると、本来学校や教員が負うべきでない責任を、彼らの責任にしてしまいます。
もしも、順位を公表するなら、学校名だけでなく、その学区の生活保護率、就学援助率、学流塾頭事業者の数や売り上げなど、家庭の資源を表す情報も紐付けて公表すべきです。
学力は学校だけでは決まりません!
行き過ぎた「平等主義」が格差を拡大させる
しかし、日本の公教育ではとにかく「平等」が重要とされるため、一部の子供や学校のみを対象とした教育を行うことがよしとされてきませんでした。
家庭の資源に格差がある中で、全ての子供に同じ教育を行えば、格差が拡大していくだけです。
子供の貧困を解決するためには
今までいくつかの発展途上国で、日本で行われたような「子供手当て」の補助金が支給されたことがあります。もしこの補助金を得た親の子供の学力があれば、親の補助金は正当化されるはずです。
しかし、実験の結果、「子供手当て」のような補助金は、学力の向上との因果関係をもたらさなかったことが明らかになっています。
補助金は、家庭の親へのお金になるので、貧困の解決にはつながる事はありますが、親が正しい情報(お金の使い方)を知らないと、学力は上がりません。
大阪大学の大竹教授は、オックスフォード大学の苅谷教授の1995年の論文を引用しつつ、平等を重視した教育に対して、「子供は、本人が努力しさえすれば教育によって成功を得られる、別の言い方をすれば、成功しないのは、努力をせずに怠けているからだと考えるようになってしまい、不利な環境に置かれている他人を思いやることのない嫌なタイプの人間を育ててしまっている」と述べています。
出典:経済セミナー 2015年2/3月号
世代「内」の平等、世代「間」の不平等
日本の教育の「平等主義」は、エビデンスベースとの教育政策を実現するにはとても足かせになっています。
政策評価の権威である、英国ヨーク大学のトーガーソン教授も指摘するように、ある教育政策を実施した前後で、子供たちの変化を比べると、あたかもそれが教育政策の効果であるように見えてしまうことがあります。
また「世代」という観点でも、「ゆとり世代」いや「ポストゆとり世代」などは、平等主義の中の不平等の例の一つです。
私の考え
平等は、一見ものすごく綺麗な言葉です。私もみんなが平等になることを願っています。
しかし、今は、不可能に近いと考えています。
私たちが資本主義の中で生活している、生まれながらの環境(財産、家族の地位、出生地、親の学力など…)は決まっており、スタート地点から平等ではないのです。
また、人生の途中で、親が病気になったり、引越しをしたりなど、自分ではどうにも変えられないことがたくさん起こります。
確かに、そのような中で、平等を謳い続ける教育制度は、本人の成長を本当に願った教育制度なのでしょうか?
ただ、その中で、どうするかというのは本人次第だと思います。
そのことも、次、親世代になる私が知っておかなければならないと思いました。
ここでサポートいただいたものは、全て私の母の病気への還元に使わせてただいています。