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とある上場企業役員の60年間 関西編①「大阪大好き💕」

最初怖かった大阪が大好きに

 あれほど怖かった大阪赴任ですが、住んで見て、それまでのイメージは単なるステレオタイプ的な思い込みだったんだとすぐに気付きました。

 まず驚いたのは、①標準語に近い言葉を話す大阪の人も結構いる事、②取ってつけたような大阪弁を喋るヤツが一番嫌われる事、③懐に入るととても親切な事、④ご飯がとても美味しい事(特に普通の定食屋さんやB級グルメ)、⑤女性の大阪弁がとても可愛い事😍、⑥ヤクザ映画に出てくるような人を赴任2年間で一度も見たことがない事、などです。

 そして彼らが嫌いなのは「東京」や「東京人」であって、私の出身地である北海道に対しては、ありがたい事にとても良いイメージを持っているらしく(今は分かりませんが当時はその傾向がとても強かったです)、それに気付いてからは、出会った人になるべく早く「北海道出身なので大阪の事教えてください」と言うようにしました。すると180度対応が激変して、営業でもとても助かりました。

毎晩のようにキタやミナミで飲む


 当時よく飲んでいたのは、梅田(大阪駅の近く)の阪急東商店街です。仕事場が北浜の取引所の近くで、住んでいたのは高槻市と茨木市(大阪と京都の中間あたり)なので、帰る途中という事もありました。ミナミもたまに行きましたが、私の当時のイメージでは、キタはサラリーマンが飲み、ミナミは若者が飲むというイメージでした。違ってたらごめんなさい。

 大阪の電車は、①阪急、②JR、③阪神という順番でイメージが良く、とにかく阪急沿線に住んでいる人はお金持ちと言う感じでした。あと、大阪の北方面、西方面の内陸側のイメージが良く、大阪市内の真ん中は庶民的な街が集まっているというような分かれ方をしていたように記憶しています。

 とにかく大阪での2年間は私にとって宝物です。辛い事も楽しい事もありましたが、第2の故郷と言っても過言ではないと思っています。個別の話はこれから少しづつお話ししていきたいと思います。

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