私たちが本当に必要としてる言葉
時々感じるのは、若い人たちの自己肯定感の低さ。
一緒に仕事をしていると、感じることがある。
特に、ちょっとした、仕事のやり方などを指摘した時などに、大きく反応してしまう人などは、その兆候が良く見れる。
外から見ていれば、若くて美しくて、溌剌としているようなのに、何かの折に、地盤のもろさがあらわになる。
「私、自己肯定感がすごく低いのよ」、そう自分で気づいて言う人もいる。
こんなに素敵な子が、どうしてそんなふうに、自分を感じているのだろう、そう思って、切なくなる。
でも、私もそうだったな、
自信のなさを、必死に隠そうとしていた。
何かを得れば、経験を積めば、望みを達成すれば、この欠乏感が消えるかと考えたけど、
行動の元になったのは、たいてい自分を否定する場所からだった。
だから行動して何かを達成しても、自分を否定することだけは いつまでも残る。
その頃に、自分に言っていた言葉は、
「もっと、もっと」
「まだ、まだ」
「こんなのじゃだめ」
一緒に働いている人達には、なるべく気づいたことを、口にして褒めている。
本当は何ができても、出来なくても、その人の素晴らしさは変わらないけど、誰だって褒められれば嬉しいし、気分があがる。
失敗したときは、「これで勉強になったね、学ぶチャンスがあって良かったね」。
いいも悪いも全部、「良かった」ことにすればいい。
職場で、そんなふうに言い合える環境をきっかけに、今度は自分で、自分を褒められるようになるといいな、と思う。
自己肯定感を上げるには、どんな時にも自分を褒めることが手っ取り早い。
あらゆる理由をつけて、どんなことでも褒める。
朝、起きただけで、
ベッドから起き上がっただけで、
仕事に行っただけで、
自分を褒める。
(そのうち、朝目覚めることが、どんなに奇跡的なことか、分かってくるかもしれない。)
褒めない理由なんてどこにもない。
赤ちゃんの頃は、「立った」「座った」「食べた」といちいち褒められていたじゃない?
そこにいるだけで、褒められる存在だった。
朝ごはんを食べて、今日も内臓がしっかり働いてくれている、自分のカラダも褒める。
褒めて、褒めて、そういう習慣を自分のデフォルトにする。
(自分褒めが癖になると、人のいいところもどんどん見えてきて、相手を褒めたくなるるかも)。
そもそも、自己肯定感が低いのは、自分を否定することがデフォルトになっている場合が多い。
小さい頃から親や、先生や、友達に、否定され言われたことが自分に染みついてしまっている。
悪意はなかったかもしれないけれど、日常で軽く言われてきた言葉でさえ。
「だめねえ」、
「ばっかじゃないの?」
「早くしなさい」、
「めそめそしないの」、
「だから言ったでしょう?」
こんな言葉たちが、私たちの内側に蓄積していった年月の先には、自分もそれを信じこんでしまって、そして今度は、誰に言われなくても、自分で自分に、同じことを呟いている。
私たちに必要なのはただ一言、
「大丈夫だよ」、
そう、安心させてくれる言葉と、ハグしてくれる温かさだけだったのにね。
だから、今からでも、自分自身にそうしてあげよう。
心ない言葉で、自分を貶めることだけは、もうしないと誓って。
https://note.com/nao_sun/n/n7fd71d57fca5
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