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エッセイ

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#エッセイ

日本滞在記・「何が食べたい?」

3年ぶりに戻った日本では、会う人、会う人が聞いてくれる。 「何が食べたい?」 カリフォルニアに引っ越して長いので、もう特には食べたいと切望するものもなくなった。逆に、このひと月の日本滞在で、カリフォルニアの食事が恋しくならないだろうかの方に、気がいっていたくらい。 けれど、広島に戻ってからは 「小イワシのお刺身!」と即答する。 瀬戸内海のそばで育った私は、季節になると、兄弟と網を持って、桟橋に駆けつけた。 あの頃、小イワシは面白いように採れた。 バケツ一杯に持って帰れ

日本滞在記・旅~波から海へ。

日本に滞在していた ひと月の間、たくさんの人に会った。 東京、千葉、名古屋、岐阜、和歌山、三重、京都、大阪、広島、徳島。 旅の間は、高速道路のサービスエリアに寄っては、ご当地のお土産を見るのも楽しかった。その土地の名産を活かしたアイデア商品の数々! カリフォルニアの高速道路は、フリーウエイと呼ばれるだけに、無料だけど、こんな美味しそうなサービスエリアも、お花が飾ってある美しいトイレもない。 淡々とだだっ広い、夏であれば、乾いた草原が広がるのがカリフォルニア式。夜ともなれ

道しるべとなってくれるものは、すぐそこにあるから。

深夜に近い、仕事帰り。車を走らせていて、ふと気が付くと、上空を、雲が波打っていた。 雲と月のコントラスト、絞り染めを思わす雲のうねりが圧倒的だった。 私の唇から、ため息が漏れる。 急いで車を走らせて、家に戻った。 庭に備え付けてある、ホットタブの蓋を開けて、お湯加減をみる。 すごい、パーフェクトな温度!夫よ、ありがとう。 湯舟に浸かって、空を見上げるころには、空模様もずいぶんと変わっていた。 一瞬として、同じ空模様はない。ちょっと目を離した後には、以前の景色は消えて

自己紹介テンプレート

私は何でもないものです だから私は色んなストーリーを、この何でもない空間に、創り上げることができるのです 先日 ある文章に出会いました 「私は花粉症です」 と始めに書いてありました 私は なん度もその文章を読まないわけにはいかなかったのです だって それは花粉症自らが名乗り出た貴重な記事であるようでしたから そういうわけで 私というのは何にでもなれるものなのです 私は花粉症です 私は女の子です 私は読書家です 私は病気です 私は金持ちです 私は愛です 「

たったひとつの関係性を現す言葉は。

彼の大好きなキャロット・ケーキにたくさんのキャンドルが灯された。 その日、シフトに入っていた店のスタッフ、全員からのHappy Birthday の歌に包まれて、いつもは座ることのない客席で、彼が家族と一緒に食事をした後の、バースディ・サプライズ。 彼は23歳のときに、うちに来て、その日40歳の誕生日を迎えた。 彼の奥さんが撮った、そのときのビデオがSNSに上げられていて、私はそれを仕事から戻った夜に、何度も見返して、胸が熱くなる。 ずっと一緒に、仕事をしてきた私の相

バナナが連れてきてくれたもの

私はバナナが大好きだ。 飲み物以外で、一日の始めに口にするものが、バナナ。 たいていは、そのままで食べているけど、 夏は凍らして、スムージーに入れ、 時にはブランチのワッフルに輪切りにしたものを、たっぷりのせて。 いつからバナナをこんなに食べるようになったんだっけ? 庭に出て、太陽の光を浴びながら、もくもくとバナナを食べながら、ふと思った。 小さい頃は、たまに母が他の果物とのローテーションで、買ってくるだけで、バナナが家にあるのを見ても、さしてわくわくしなかった。

なぜ、書くことが好きですか?

noteを見ていると、私も含めて世の中にはこんなにも、「書く」ことが好きな人がいるんだと 日々感じます。そして瞬々たくさんの言葉が世界中で産まれているということに、圧倒されます。 誰にでも、「書く」理由があると思うのです。 ただ、好きだから書いている、理由なんてわからない、と思う人もいるかもしれません。そもそも私だって、そんなことを考えて書いていたわけではありません。 そんな私はある日、TED Talksで「感動を創造する言葉の伝え方」の動画を見て、自分の理由を見つけま

つるかめ助産院と私の出産

「つるかめ助産院」を読んで、何十年も前の自分のお産のことを思い出しました。 私は4度、出産しているのですが、すべて自宅出産でした。それでこの本の中で表現される、お産というものが 日常の中にするっと入り込んでいる風景が とても懐かしく思い出されたのです。 私の友人は陣痛の合間あいまに大好きな餃子を作っていたと言います。私の場合は翌日のパンを、陣痛の波にあわせてこねていました。本の中では、子供たちがお母さんのお産を見守るシーンが出てきます。 「ナナコさん、赤ちゃんの頭、出て

ありがとう、しか浮かばない

日曜日の午後、私はお店のマネージャーと一緒に教会に来た。 先週の始めに スタッフがコロナにかかってあっという間になくなってしまった。 教会でのお葬式は、すべて彼女のオリジンであるスペイン語で、私には牧師さんが時々口にする彼女の名前と、「アーメン」の言葉しか理解できなかった。 棺の向こうのスクリーンには 生前の彼女の写真が映し出され、それは彼女が赤ちゃんだった頃から、つい最近、彼女の一人息子の6歳の誕生日を祝ったものまでが流れた。 私と同い年の 彼女の母親がすすり泣くの

家出をした息子への祈り

土曜日の朝、夜勤あけの息子に朝ごはん(晩ごはん?)を作る。 簡単なものだけど、カラフルな食材を使って、フルーツや生野菜も添えて。 メンタル疾患をもっている彼は、薬の副作用からか、甘いものを好み、自分で買ってきたスナックにちょくちょく手を出す。だから出来るときには、なるべくバランスの取れた食事を用意するようにしている。 私はソファにもたれて、一人静かに食べている息子を眺めながら、夫が入れてくれたオーツミルクの入ったコーヒーを味わっている。朝の柔らかな外からの風と、光。家の

おまえこそが月なのだ

すべての暖かい夜 月光の下で眠れ その光を、一生かけておまえの中に取り込むのだ おまえはやがて輝き始め いつの日か 月は思うだろう おまえこそが月なのだと。 クリーインディアンの詩 「森と氷河と鯨」(星野道夫著) 私は北カリフォルニアの山奥で家族と暮らしていたとき、ときどき寝袋を持って、住んでいた小さな小屋の外で寝ることがあった。 風が土の匂いを含み、ゆっくりとそこらじゅうを散歩しているのを肌で感じながら、幾つもの月夜に眠った。 それからしばらくして、日本に戻った

森の中で眠る

夜、仕事を終えて家に戻る。 外に備え付けてあるホットタブに入り、お酒かワインを飲みながら、星や、月を仰ぎながらカラダ中にお湯の温もりが浸透していくのを感じる。 日中はときには40度近くにもなるのに、夜になると涼しくてほっとする。どこかで鹿か、小動物が枯れ葉を踏む音が聞こえてくる。 ふと、今年はまだ1度しかキャンプに行ってないことを思い出した。 お店が忙しくて、休みがほとんど取れない。でも、今年はきっとそういう年なんだとあきらめてるし、それで不満があるわけでもない。

山火事のあとで

北カリフォルニアは毎年この時期、山火事が多く発生する。森や町がわらわらと燃えている。それを近年、ま近で見てきた。 火事を発生させないために、計画停電があって店を営業できないこともあった。毎年、火事のためにあちこちで避難警告がなされて、それが嫌で夏のあいだは予め、他州にバケーションに行く人もいる。けれど、その間に家が燃えてしまうことだってある。どこにいようとも、火事は防げるものではないのだけれど。 去年、娘の家が燃えた。ちょうど彼女はその時、他州に狩りに行っていた。彼女と、