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ありがとう、しか浮かばない

日曜日の午後、私はお店のマネージャーと一緒に教会に来た。

先週の始めに スタッフがコロナにかかってあっという間になくなってしまった。

教会でのお葬式は、すべて彼女のオリジンであるスペイン語で、私には牧師さんが時々口にする彼女の名前と、「アーメン」の言葉しか理解できなかった。

棺の向こうのスクリーンには 生前の彼女の写真が映し出され、それは彼女が赤ちゃんだった頃から、つい最近、彼女の一人息子の6歳の誕生日を祝ったものまでが流れた。

私と同い年の 彼女の母親がすすり泣くのが聞こえる。

6歳の坊やは父親の膝に座って周りを見渡している。

牧師さんがギターで祈りの歌(私にはそう聞こえる)を歌い奏でる。


死とは、つくづく残された人のためにあると、私はいつも思う。

この喪失感を、何年も何十年も抱えて、それと共に生きていくのだから。

旅立った当の本人は、きっと光の世界でたゆんでいると私は信じている。すべてから解放されて、新しい扉を開いているのだと。

彼女のあの高らかな笑い声と、笑顔しか思い浮かばない。「これから静かになるね」訃報を聞いた時、スタッフの誰かが呟いた。


ありがとう

ありがとう

ありがとう

出会えてよかった、

あなたに。




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