それって今考えることなんですかね?

こんにちは。今回は「想像力の限界点」について。

十年後のことを今考える

皆さんは将来についてなにか考えることはありますか? 確かに長期計画という意味で将来、あるいは数年後などを考えることは悪いことではありません。

しかし残念なことに、物事の順序を無視して将来のことを考え、現実逃避しては意味がありません。ですが将来のことをまず考えないと今の細かいタスクに落とし込めないし……と考えると無限ループになってしまいます。

そんなことを考えていると、ふと私の頭に浮かんだことがありました。それは「想像力の限界点」です。

人間は様々な想像・空想をする自由がありますが、それには一定の限界点があると私は考えています。個々人によって違うこの「限界点」を把握しておくことは、将来を考えることに有益なのではないかと思いつきました。

「将来」っていつまでのこと?

例えば、現在療養中の私にとっての「限界点」は結構近いところにあると思われます。

今働けない状況で十年後どんな職業で働いているかなど想像も付きませんし、その時周辺環境がどうなっているかについて想像することもありません。以前書いた「思考の近視」も併発していると自覚しています。

上記の記事では「不安」を原因として遠くが見えない状態に陥ることがある、と書き、実際私もその影響を受けているのですが、そもそも人間の能力には先天的な個人差と不安・思考材料の有無などの環境差があるはずです。

そして近視の状態から抜け出すためには遠くを見よう、とは言いましたが、これは遠くのことをすぐ判断しようとはちょっとニュアンスが異なります。

つまり遠くが見えるようになる→遠くのことを判断するとするのが道理であり、見えてもいない遠くのことを判断(≠仮置き)するのは順序が違うのでは?という話です。

想像力の限界点を把握し、戦略を変える

上記の「見える」「見えない」の境界線を「想像力の限界点」と呼ぶことにして、その前後で戦略を変える、というのはアリだと私は考えます。

見える範囲については判断をする。見えない範囲については判断を保留、あるいは「方針」を仮置きするに留める、という話です。

そもそも将来のことを決め、タスクに落とした後で状況が急変したらどうなるでしょうか。また将来を決め直し、タスクに落とし、また変化に巻き込まれて……とするのは心が折れる作業です。

それよりは方針決めなどで見える範囲を広げる努力をしつつ、その範囲に集中する、という方が結果的にうまくいくのではないでしょうか。

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