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希望を持つためにできること

こんにちは。今日は「希望」について。

小さな希望を持つ

突然ですが、皆さんは将来に対して希望はあるでしょうか。

子供の頃以来明日にさえ希望を持ったことはない、という人もいるかも知れませんが、単に希望を持つことだけであれば多分、今この瞬間からでもできることだったりします。

もちろん、すぐに将来や大きな目標達成に対する希望を持つことは難しいですし、皆さんそれぞれの事情がそれを妨害することもあるかも知れません。

ですが「何かを達成した(と思い込む)」ことで小さな希望を持つことは可能です。

今日はそんな「希望」について内省していければと思います。

希望を持っているってどういう状態だろう

日本語では希望という単語は「持つ」「抱く」などの動詞がセットで用いられるケースが多いと思います。そんな希望を持っているとはどういう状態を指すでしょうか。

希望は「未来に対して望みを持つ」という意味を持つ単語です。スポーツの大会で後一点取ることに勝利への希望を持つ、という場合でも数秒、数分先の未来の話ですよね。

つまり、希望を持っている状態は未来が今より良くなるであろう、そこでは望みがかなっているだろうという推測を信じ切っている状態、という見方ができます。

信じ切っているからこそ行動に移し、希望を実現することができますが、信じ切るためのハードルは社会経験によって徐々に上がってしまうケースが多いのではないでしょうか。

小さな希望の灯し方

では、未来を信じきれない私たちはどのように希望を持てば良いのでしょうか。

私が昨日実践したのは「信じきれないことを忘れる・信じない」という思考に自分を持っていく、という手法です。

多分この言葉だけでは意味がわからないと思いますので、少しずつ解説します。

希望を持つためには未来が今より良くなる、つまり自分に成長の余地ときっかけがあるという前提が必要ですが、何も達成していない状態からきっかけを掴むのはなかなか難しかったりします。

訓練していることをあえて「忘れる」

例えば普段運動をしていない人がいきなりマラソンに取り組もうとハイペースで走っても自分の体力の無さに絶望して、一度希望を失うことになります。

ここでこの人の取れる行動はいくつかあります。ウォーキングから徐々に体力をつける、根性で早めのペースに慣らす、あるいは諦める、あたりですね。

根性論は続かない、というのはともかくとして、ウォーキングから始める場合でも、自分は結局マラソンのように走れないと思い、うまくモチベーションが上がらないという可能性があります。

ですがここで、音楽を聞きながら歩く、としたらどうなるでしょうか。いつの間にかコースを一周し終えているということがあり得るはずです。

これはいわば歩きながら音楽を聴くというマルチタスクによってウォーキングへの集中を減らしている。もっと言えば、マラソンできるかどうかを考えることを忘れている状態と見ることもできます。

ですが、集中力が減っていてもウォーキングの結果体力がつき、マラソンに一歩近づくという事実は変わらないはずです。むしろ、こんなもんか、という成功体験を得て、希望を持ち直すこともできるかもしれません。

フォームがどうとかペースキープがどうとかいうことはこの段階では関係ないのです。それらの応用論点はできる・やれるという自信・希望を持ってからでも遅くないはずです。

できないことを「信じない」

もちろん、先程除外した根性論も訓練がある程度進んだ段階では有効になるでしょう。

これは「信じきれないことを信じない」段階の話です。ある程度鍛えてフルマラソンに出場するときは、練習でやったことのない距離を走ることになります。

ここで絶対できる、と信じられる人は少ないでしょうから、不信を信じないという手段が有効になるわけです。

ここでは先程のマルチタスクとは逆に、一点集中により不信感を超える自信を持つことが重要だと考えられます。

そして実際に走り切ることができれば、それは爆発的な希望の増大につながることでしょう。この爆発力が根性論による解決のメリットと私は思っています。

未来への希望は成功感によって発生する

と、いうわけで希望の持ち方について内省してきましたが、やることは結局、なんとかして「達成した!」という成功体験・感覚を得ることです。

成功体験の大小は関係ありません。とにかく「達成した」と思えればいいのです。その感情が現在を明るくし、未来への小さな希望になるはずです。


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