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古さと新しさと、偽装された新しさ

こんにちは。今日は「新旧」について。

新しい知識・古い知識

自己啓発界隈では様々な新しい本が出続けています。私は最近のものにはあまり触れられていませんが、実際のところ新しい知識にはどれだけの価値があるのでしょうか。

主観ですが、新しい知識と呼ばれるものにはいくつかの種類があると思います。

まずは対象についての新しい発見に基づく知識。最新の科学技術とかがこれに相当します。

次に対象の周辺の変化に伴い発生した知識。世界情勢の変化を分析した経済本とかがこれでしょうか。

最後にこれまで発見されてきた古い知識を違う切り口・伝え方にしたもの。
超訳版・わかりやすい◯◯系とかがこれにあたるでしょうか。

と、いうことで。新しい知識といっても色々あるというのが私の考えです。そして自己啓発界隈では最後の「違う切り口・伝え方」系が多いのではないでしょうか。

伝え方の変化は価値を生むか?

ただ、「違う切り口・伝え方」系が絶対に悪いものだとは思いません。それを言い出すと私のnoteの大半も過去読んできた知識の伝え方を変えているだけになってしまいますから。

例えば「マンガでわかる」系は違う伝え方の最たるものですが「いきなり堅苦しい本は読めない」などの人に対して十分価値を発生させています。

noteにしたって「その分野に興味はないけど、なんとなくネットサーフィンの延長線上で見る分には見れる」人に対して価値を発生させています。

原典至上主義も確かに一つのあり方なのですが、上記のような伝え方を変えることの価値と、それによってさらに原典が広まる可能性については考えておく必要があります。

今自分が求めているのはどのような知識か

ただ、伝え方を変えた知識を、最初に出したパターンの1つ目の「対象についての新しい発見に基づく知識」と言えるでしょうか。私は言えないと思います。

例えば自己啓発と呼ばれるものは「動物:人間」に対する様々な研究の上で書かれていると思いますが、この分野の研究余地はどれくらい残っているのでしょうか。

もちろん未だ「人体の神秘」とされるものはありますし、それを探究する研究者の方々もたくさんいると思います。

ただ、その知識を用いて「稼ぎたい」人が最初の3つのパターンを一緒くたにして「最新の情報です!」というのを信じて良いのでしょうか。

これは過去の知識の伝え方を変えただけなのか、それとも、本当に全く新しい知識なのか。

自分が求めているのは未来に続く新しさなのか、過去から今への批判に耐えてきた古さなのか。

「稼ぎたい」人が大量にいる現状、私たちは新しさと古さについて考えながら知識を吟味する必要がありそうです。

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