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見た目で判断されたくない自由と判断される自由

昨今、“ありのままの自分”というテーマがよくクローズアップされている。“私らしく”という表現もよく耳にする。これは素晴らしい動きで、誰もが自分の望むように振る舞い、毎日を過ごせたらどんなに健全なことかと私も共感している。しかし、これまで私が考えていた“ありのままの自分”には“他人の目”という視点が完全に欠落していたことに気付かされた出来事があった。

ニューヨークの地下鉄の治安は悪い。乗って死ぬことはないが、特にマンハッタンの地下鉄ではほぼ100%の確率で口喧嘩をしている人か、精神を病んでしまっているのか奇声を発したりブツブツ独り言を呟いたりしている人に遭遇することになる。さらにコロナでストレスが溜まっている人が多く、突然“プッシャー”と呼ばれる犯罪者に線路に突き落とされるというとんでもない事件が立て続けに発生している(ホームドアは存在しない)。故にホームでは常に周囲に気を配っていなくてはならないし、車内で寝る人はいない。酔っ払いが上機嫌にふらついている平和な日本と違って、ニューヨークの地下鉄はとても緊張を強いられる場所なのだ。

そんな不穏な空間なので、私には地下鉄に乗るたびに乗客をくまなくチェックする癖が付いている。もし変な人がいたら即座に車両を変えて、万が一の事態に備える必要があるからだ。

ある日、いつもどおり地下鉄に乗ると、不審な動きの男がいた。その男はキョロキョロとあたりを見回しており、何が入っているのか大きな鞄を座席にドカッと置いて席を2.5人分くらい占領していた。しかもコロナ禍というのにマスクをしていない。ニューヨークの地下鉄はマスクをしていないと罰金の対象になるので、その男は規定違反者ということになる。男のガタイは良く、威圧的な雰囲気が漂っている。

明らかに怪しげな挙動の男の登場に、私の心拍数は上がりまくっていた。あの巨大な鞄に入っているのは爆弾かもしれない。あるいはナイフを振り回すつもりかもしれない。次の駅で降りたほうがいいだろうか。ものすごい勢いで頭をフル回転させる私の前で、男はおもむろに立ち上がり、上着を脱いだ。

(まずい、何始めるんだコイツ……!?)

男がサッと脱いだ上着の下には大きなロゴが隠されていた。

SECURITY

セ、セキュリティ……。何のセキュリティ(警備員)か知らないが、男は攻撃する側ではなく守る側の人間だったのだ。この時、瞬時に反転した自分の思考に私は驚いていた。“SECURITY”と書かれたシャツを着る目の前の男が急に頼もしく見える。周囲を見回していたのは、怪しい人間がいないかどうか確認するためだったのかもしれない。マスクをしない理由は依然として不明であるものの、“SECURITY”という文字列はその男のこれまで行動を正当化し、危険人物というフラグはあっという間に消え去った。私の心拍数は通常のレベルに下がり始め、車両を変えることはもちろんしなかった。

この男が本当にセキュリティの人間だったのかどうかは分からない。そういうデザインのシャツを着ていただけかもしれない。ただ私の脳は間違いなくそのデザインに即座に反応し、男に対して180度異なる評価を下していた

繰り返しになるが、“ありのままの自分”でいることは素晴らしいと思う。例えば就活で個性を出そうという運動がある。画一的なスーツや黒髪でいる必要はないと。私もそう思う。実際私は大学生の時、茶髪のまま、お気に入りの赤いニットを着て就活をしていた。それで内定を貰えたので本当に良かった。

だが、その服装が「ふざけている」と思われて内定が貰えなかったとしても、その判断を下した企業に文句は言えないと、今なら思う。私は身の危険を感じて初めて、視覚情報の持つ絶大な力に気付いたからだ。そして“ありのままの自分”というテーマは人種や障害などの不変的な事柄を対象にまず語られるべきであって、「どんな時でも私好みの見た目をしていたい」という可変的な部分に対する議論は二の次で良いと心底思った。

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