見出し画像

消えゆく世界で 後編



 タイガは黙って続きを待った。ヒイロを見る目に力が入っているのは、光が薄らいできたからだけではないのだろう。
 自らの両手のひらに視線を落としてから、ゆっくりと上げられたヒイロの顔にはうっすらと笑みが見えた。
「でも、忘れない。ひとつひとつの命のことは覚えていなくても、どんな世界だったか、は、覚えてる、全部。だから、もし、俺があんたを殺したとしても、俺はあんたのことを忘れはしない、ずっと」
 今、彼は思い出しているのだろうか、自分が消してきた命たちのことを。
一つ一つの言葉を丁寧に発したヒイロを見ながら、タイガはそんなことを思った。
「それは、ヒイロ、だから?」
 レイが、タイガより先にそう尋ねた。
 ヒイロはちらりとレイを見やり、それからタイガを向いた。
 目があった瞬間に、浮かんだ言葉があった。
 強い
 そして、タイガは震えた。畏れとはこういう感情なのかもしれない。
「どうだろう。俺は俺以外のヒイロを知らない。今までのヒイロたちが何を考えていたかとか、俺には何もわからない。だから、忘れないと断言するのは、俺、だからだよ」
 震えたことを気づかれないように、タイガは強く瞼を閉じ、ゆっくりと目を開けた。
「俺はあなたの記憶に残りたくはない。けれど、守護者ではいたくない」
 開いた目線の真正面にヒイロの目があった。震えそうになる自分をおさえて、タイガは見つめ返す。
「不自由を感じている人を自由になれる世界へ連れて行くことが俺のやりたいこと。それが、俺だからです。命令に従うだけのあなたたちとは違う。とくに、自分がどうしたいかさえ考えることないような人とは違うんです」
 だから見逃せ。
 そんなことは言わずとも伝わったと、タイガは感じているし、信じている。
「違わないよ、きっと」
 言ったヒイロの視線がレイに移った。つられてタイガもレイを見ると、レイから戦意が発せられていることに気づいた。
 つ、と、タイガは後退る。
 つ、と、レイが前に出る。
「与えられた使命を遂行するって決めて、その決意を保ち続けるってのは、思考停止とは呼ばないんじゃないかな。だから、俺はレイの考えを否定しない。それに、あんたが覚悟をもって決めたことならばそれを否定はしない」
 ひらり、と、ヒイロが立ち上がった。
「今度は寝床屋で一緒にメシ食えるといいな。寝床屋の管理人がトワさんである限り、反逆者にも安全な場所だから」
「逃がすんですか!?」
 初めて聞いた、レイの大声がキッカケになった。
「また、いつか」
 そう言い残したが、届いただろうか。
 消えかけている世界を離れたタイガにはわからないことだけれど、届いていてほしい、そう思った。

* * * * *

 ミユが集合場所の寝床屋に着いたとき、ヒイロは廊下をふらふらと歩いていた。
「ただいま」
 声をかけると、ヒイロは立ち止まって壁に手をついてから、
「おかえりなさい」
 とミユに微笑みかけた。
「あの人は?」
 待たせてごめん、とか、起きていてくれてありがとう、とか、言いたいはある。だがそれよりも、話を一秒でも早く終わらせてヒイロを眠らせてあげたい。
 だから、ミユは簡潔に尋ねた。
 寝床屋にある気配の数から、ヒイロたちが連れて行った人物はここにはいないと推測できる。
「逃げました。すみません」
 答えたのは食堂から出てきたレイだった。
 顔にも感情を表さないレイが、ピリピリとした気を放っている。
 怒っている、としたら、誰に?
 疑問は後回しにして、ミユは話を進める。
「話はできた?」
「できたけど、仲良くはなれなかった」
 そう言うヒイロの声は小さい。壁に手を添えながら歩いて起きていようとしているが、もう限界に違いない。
「私も話したかった。それに、彼への伝言を預かったから、なんとしてもまた会わないと」
 言いながら、ミユは待たせてしまって申し訳ない気持ちが再燃していた。
「ヒイロ、寝室へ行きましょう。細かいことはレイに教えてもらう。限界みたいよ」
 ミユにそう言われたとたん、ヒイロは壁にもたれかかった。
 そのまま床に崩れてしまいそうになるヒイロを支えたのは、レイだった。
 食堂の中ではトワが心配そうにしているから、ミユは微笑んで頷いてみせた。
 廊下の先へ周りこみ、ミユはヒイロ専用の寝室へとレイを促す。
 見るとヒイロの目は閉じられていて、支えているのがレイだと気づいていないかもしれない。
 もぞもぞとヒイロの口元が動き、掠れぎみの声がこぼれた。
「たくさんの命を消すのが俺なのに、あいつを殺すのはイヤだなって思ったんだ」
 意外とはっきりと聞き取れるヒイロの言葉は、ミユに向けられたもの。
 ヒイロを支えているレイと目が合った。聞いていてよいのかを尋ねられていると受け取ったミユは、こくりと頷いてみせた。
「思想に違いはあっても同類だから、こいつを殺したらトワさんが悲しむかもって思ったら、殺すのはイヤだなって思ったんだ」
 鍵を開けて部屋の中へ入る。窓のない部屋の中央に置かれた安楽椅子まで運ばれたヒイロは、くったりと沈み込んだ。
「俺、壊れてきた?」
 肘掛けに置かれたヒイロの左手を、ミユは両手でそっと包んだ。
「まだ壊れていないよ、大丈夫」
「俺が壊れたら、ミユは悲しい?」
「きっと悲しい。でも、覚悟はできてる、ヒイロと出逢ったときから」
「うん。壊れたら、頼むね」
「まかせて」
 部屋の中を光の粒が舞い始めた。徐々に数を増やすそれらは、ヒイロの周りに集まっていく。
 ミユはヒイロの手を解放して離れた。静かに動いていたレイがようやく扉に着いたところで、ミユはその背中に手を伸ばした。
 レイがゆっくりと振り返り、目を見張った。
「おやすみなさい、ヒイロ」
「うん」
 光の粒は数を増やしてヒイロを包み込み、ヒイロの身体を中空へ浮き上がらせた。
 そして、部屋の中心に光の繭が完成した。
 ミユはレイの背中に再び触れて廊下へと促した。
「おやすみなさい、ヒイロ」
 そう言って、ミユは扉を閉めて、鍵をかけた。
「ありがとう、レイ」
「いえ。……さっきの会話、は」
 続く言葉が見つからない様子のレイから、ミユは視線を落とした。
 聴かれて困る会話ではなかったが、聴いたことでレイが困ってしまったようで申し訳ないとミユは思ったが、謝るのは違うとも思った。
「知っているでしょう? ヒイロの理性が壊れたら、ミユがヒイロを終わらせる。って」
 ヒイロが使える世界を消す力が、目的以外に使われぬように。ヒイロが我を失って暴走する前に、ヒイロの息の根を止める。
 それが、ミユの使命。
「……覚悟できてる、って、そんなに……もろいのですか、ヒイロは」
「誰もがもろくて、誰もが頑丈なんだと、私は思ってる。強いように思っているかもしれないけれど、ヒイロにももろい部分はある。レイにも、強い部分ともろい部分があるでしょう?」
 見上げたレイの顔に感情は見えなかったから、ミユは正面の扉を見つめた。光の繭の中で眠るヒイロを見つめるかのように。
「もろさも強さも隠さないヒイロを、私は大事にしたい。ヒイロには幸せでいてほしいし、私は彼の幸せを守りたい」
「……それが、愛というものですか?」
「知らない。私だけが抱くこの感情を愛だと、他人に安易に名付けられたくはないけどね」
 言い放ったミユを、レイはじっと見つめた。
「ヒイロが同じようなことをアイツに言っていました。俺が俺だから、だと」
 レイの言葉に、ミユはレイを見上げて、まばたきを繰り返した。
「詳しく聴かせてもらいましょう。トワさんのお料理をいただきながら、ね」
「はい」
 返事をしてレイは歩き出した。その先で、食堂からトワがのぞいてにっこりと笑っている。
 ミユはもう一度、扉の向こうへ声をかける。
「ゆっくり休んでね、ヒイロ」


「本の香りに包まれて」サイドストーリーでした。


この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?