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消えゆく世界で 前編

「本の香りに包まれて」サイドストーリー



 この世界に生きているのは、たった今ここに現れた彼らだけだ。
 Tシャツにジーンズ姿のヒイロ。
 華奢な身体を黒色のつなぎに納めているレイ。
 そして、レイに左腕を捕まれ、右腕にはヨーヨーがからまっているタイガ。
 その3人だけだと直観的に理解していても、あたりを見回して、タイガはため息をついた。
 形を留めるエネルギーさえ奪われ、あらゆる物が崩れて元の形を失っている。
 そこかしこには崩れている最中の塊があり、しかし元の姿はわからない。人工物だとは思うのだが、森でしたと言われても納得するだろう。
 上を向くと、雲のない灰色の空らしきものが広がっていて、太陽も月も何も見えない。
 ならば周りが見えるぼんやりとした明るさはどこから発せられているのかと、タイガの内に疑問が浮かんだ。
 この世界にあった光の残滓だと植えつけられた知識を思い出せば、浮かんだ疑問は霧散する。
 靴底に感じる地面も、見える塊も、あとどれほどかすれば消えるはずだ。
タイガの右腕にからまるヨーヨーの糸の先を持つこの男、ヒイロのせいで。
「懐かしい感じ、ある?」
 そのヒイロがタイガに問いかけた。
「なんの名残もないのに、懐かしいなんて思うわけがないでしょう」
 光すらかすかになった世界に、懐かしさを想起させるものなど存在しない。
 ただ、自分はこの世界で生まれたのだという事実を、タイガに思い出させただけだ。
「生まれた世界で死なせてやろうという慈悲ですか?」
 その問いかけにヒイロは首を横に振り、こう答えた。
「邪魔が入らずに話ができる場所だと判断した」
「話?」
 思わずオウム返しをして、タイガは眉間に皺を寄せた。
「そう」
「何を?」
 何を話すというのだろう、両腕の自由を奪っておきながら。タイガは不信感も露わにヒイロを睨みつける。
「たとえば、あなたが反逆者でいる理由」
 答えたのはレイだった。
 タイガは鋭くレイを振り向き、相手が初対面ではないと気づいた。人形のように見える姿の中で、相手を見下すような瞳に見覚えがある。
「会うのは二度目ですね。前は『去れ』と言われましたが」
 帰宅拒否の高校生を越境させた時に対峙したのだと、タイガは思い出した。
「あの時は一人でしたから、越境者の確保と送還を優先しました」
「今は二対一で、越境者は三人目が確保済、と」
 言いながら、タイガは諦念が自身の内に染み出してきたことを感じた。
「俺は、はじめまして、だよな。俺はヒイロ。こっちはレイ。あんたは?」
 どこかのんびりとした口調で、ヒイロがタイガに歩み寄った。
「タイガ、と名乗っています」
「タイガ。かっこいいな。……俺が一番かっこいいけどな、見た目も」
 ヒイロはそう言いながら、タイガの腕に絡まったヨーヨーをほどいて回収して離れた。それから、レイに向かって言った。
「レイも放しなよ。話しにくいだろ」
「でも」
「脅すつもりはないけど、今の俺は逃がさないから。だから、放していいよ」
「逃げる素振りがあれば即刻殺されるってことですね」
 そうタイガが口をはさむと、ヒイロは眉間に皺を寄せて口を開いたが、何も言わずにため息をこぼした。
「ヒイロがそんなに怖いですか?」
 というレイの問いかけに、タイガの片方の眉がピクリと跳ねあがった。
「それなのに、反逆者でいる理由はなんですか?」
 するりとタイガの腕を解放して、レイが冷たい声で重ねて問うた。
「ヒイロではなくとも、越境者の保護や移送の邪魔をされれば戦う守護者はいます。そもそも守護者としての使命を放棄するだけではなく、わざわざ越境させるのはなぜですか? 守護者に見つかって送還されるとわかっていながら越境させているんですよね?」
 表情の無いレイが、かすかに首をかしげてタイガを見つめている。そんなレイを見るヒイロの表情には驚きが閃いた。
 ゆっくりとまばたきをして、タイガは改めて周囲を見回した。来た時よりも光が薄らいでいるように感じるのは気のせいだろうか。
 この世界に残された時間はあとどれほどだろうかと疑問も浮かんだが、タイガは頭を小さく振った。
 レイに目を向け、タイガは正直に答えた。
「命令されるのがイヤなんです。やりたいことをやりたい、それだけです」
 言葉として明確な命令が出されるわけではない。ただ、やらねばならない、行かねばならない、そんな思いが守護者たちの内に浮かぶのだ。
 その思いに抗うことは、容易くはなくとも、不可能ではない。だから反逆者と呼ばれる者がいなくなることはない。
「俺が越境させた彼ら彼女らも、別の世界ならばやりたいことができる可能性があった。だから連れて行ってあげた。やりたいことができると喜ぶ姿が俺の喜びになるんです。わかりませんか?」
「ボクにはわかりません」
 レイが即答し、さらに言葉を続けた。
「それに、なりたくてなったわけではありませんが、やりたくないことではないので」
 それを聴いたタイガは短く笑った。唾棄にも似た笑い方だった。
「それは、命令されたことをやっていれば、自分で考えなくてすむから、でしょう? 思考停止していれば楽ですよね」
 急に強く鋭くなったタイガの声音に、ヒイロが眉間に皺を寄せた。そして、探るような目をタイガに向けたが、タイガはヒイロの視線に気づいていない。
「思考停止って悪いことですか? ルールを守りたくて守っていることは悪いことですか?」
「なりたくてなったわけでもないのに、ルールを押しつけられて。それでもルールを守らないほうが悪いと?」
 冷たさを増したレイの言いように、タイガはつい声を荒げた。すると、ヒイロが二人の間に体でも割って入った。
「良い悪いってくくるのは、やめようよ。レイも、さ。わかるけど、善悪の基準なんて簡単に変わるんだから、さ」
 わざと軽い調子で言うヒイロに、レイはふいとそっぽを向いた。
「優等生の物言いですね、ヒイロ」
 タイガは、何様ですか、と言いかけた言葉を飲み込んだ。ヒイロの特殊性は熟知している。
「褒めてくれてありがと」
 褒めてはいないが、ヒイロにおどけた笑みを返された。続く言葉は、笑みを消した真剣な眼差しで言われたけれど。
「単純に、ずっと苦痛に悩まされるのはイヤじゃないかなって疑問に思う。痛いのが嬉しいなら、どうぞ、って言うけど」
 内に浮かぶ義務感に逆らう代償は、死なない程度の苦痛。
 タイガの場合は、日により痛む部位が変わる。頭だったり腹だったり関節だったりが、時には動きたくないほど痛む。
 それでも。唯一の治す方法を知っていても。
「これは俺だけの痛みです。渡った先で幸せになれる彼らには関係ない痛みなんですよ」
 今のタイガは右目の奥に痛みがある。だがこれが、辞める理由にはならない。
「かっこいいこと言うね。でも、ほら、寝床屋にも行きづらいだろうから、休める場所を確保するのも大変そうだよね」
「どうせ、守護者であろうといつかは死ぬんです。やりたいことをやってその果てで死ぬなら本望ですよ」
 言って、タイガは足元を確かめるように目線を落とし、近くの塊に手をついた。元の姿はわからぬそれは、まだ固く、表面は細かな破片でザラザラしている。
「生まれた世界で死ぬことは俺らには難しいことです。だから、ここへ連れてきたんですね、ここで死ねと」
 顔を上げるとレイと目が合って、タイガはガラスのように思えたレイの瞳に揺らぐ何かを見た気がした。
「殺すとは言ってない。ただ、邪魔され続けるのはイヤだ、迷惑だ。やめてほしいと思っている。だから、話をしたいと思った」
 答えたヒイロに目を向けると、彼は近くの塊に腰をおろしたところだった。
「あなたは今さら一人殺したところで、何も感じないのでしょうね。この世界の全部を殺して、今までもたくさんの世界を殺してきたんだから」
 ほろりとこぼれた言葉だった。話せと言われたからだ、そうタイガは自分を納得させる。
 そのタイガの言葉に動揺を見せたのはレイのほうだった。レイの体を緊張が縛ったかのように、大きく震えた。
 一方、ヒイロはリラックスしているように感じた。まもなく消滅する世界の破片に座っているのに、長閑な公園のベンチにでも座っているかのように。
 そして、穏やかな口調と声音でこう言った。
「そうだな、なにも感じないかもな」


後編に続く

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