アントネッロ・ダ・メッシーナ展(Antonella da Messina):ルネサンス期シチリアを代表する傑作「受胎告知のマリア」がミラノに
0. はじめに
2019年2月21日から6月2日にかけて、ミラノのドゥオーモ広場に面する美術館ミラノ王宮にて、アントネッロ・ダ・メッシーナ展(Antonella da Messina)が開催された。
実は筆者が本店を観に行ったのは2019年3月上旬。
ここに書くまでに、実に半年以上の月日が経ってしまった。
ルネサンス期イタリアを専門とする新進気鋭の美術史家、壺屋めりさんが、自身のサイトの中で熱く綴っているように、
本展は、ルネサンス期シチリア出身の有名画家アントネッロ・ダ・メッシーナ(Antonello da Messina; 1430-1479)の代表的作品が展示されるだけではなく、
15世紀のアントネッロ・ダ・メッシーナを研究した19世紀の美術史家ジョヴァンニ・カヴァルカセッレ(Giovanni Battista Cavalcaselle; 1819-1897))の仕事をたどる構成となっている。
つまり、本展の展示の主役は15世紀の画家アントネッロ・ダ・メッシーナと19世紀の美術史家ジョヴァンニ・カヴァルカセッレと2人いるのである。
そのために、アントネッロの作品とともに、カヴァルカッセのスケッチが展示され、キャプションには、カヴァルカッセの調査内容や友人との手紙のやり取りなどが綴られている。
美術史家である壺屋めりさんは、次のように語る。
「実際、美術史家の仕事とはまさしくこういうことだ。
作品を観て、同時代の史料と関連付け、そして歴史上の、あるいは美術史上の位置づけを探る。
そうした美術史の比較的地味な営みのなかに、ある作品を特定の作家に帰属するためのスリリングなプロセスを見出し、その面白さ、重要性をまざまざと見せつけるのが今回のアントネッロ展なのだ。」
(壺屋めり「美術史のプロセスを展示する:アントネッロ・ダ・メッシーナ展」『壺屋の店先』(2019年2月27日付記事))
その他、サイト本文には、美術史家の仕事や作品へのアプローチ方法など、美術史家めりさん独自ので着眼点で本展についてのレポートが書かれており、参照されたい。
ここでは、壺屋めりさんのレポートや本展のキャプションを参考に、筆者が撮影した写真を中心にアントネッロ・ダ・メッシーナ展について書いていきたい。
1. アントネッロ・ダ・メッシーナという神話
アントネッロ・ダ・メッシーナは、1430年頃、シチリア州メッシーナにて誕生。
一時期、ナポリやヴェネツィアで活動していたものの、メッシーナで工房を構え、油彩の技法を取り入れたその宗教画や肖像画は、後の世代に大きな影響を与えた。
アントネッロの年表。
アントネッロの死後、アントネッロは、神話的・伝説的な人物として取り上げられるようになる。
彼についての確かな証拠も残っていなかった。
16世紀の画家ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari; 1511-1574)は、その著書『美術家列伝』(Le vite de' piu eccelenti pittori, scultori e architettori)において、アントネッロのことを、初期フランドル派の画家ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck; c. 1395-1441)から直接油絵の技法を学んだ人物として書いている。
その後、アントネッロは、この技法をフランドルから地中海に持ち帰り、自身の作風を発展させたという。
ロベルト・ヴェントゥーリ『アントネッロをうかがいつつ、油彩の技法を学ぶジョヴァンニ・ベッリーニ』(Roberto Venturi, Giovanni Bellini apprende i segreti della pittura a olio spiando Antonello; 1870)。
こちらの作品は、イタリアルネサンス期の画家ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini; 1430-1516)が、アントネッロ・ダ・メッシーナの技法を学び取っている様子を描いたもの。
このルネサンス期の芸術家の邂逅のシーンは、19世紀に広まったイメージであり、それはますますアントネッロの神秘性を高めるものとなった。
19世紀の美術家ジョヴァンニ・バッティスタ・カヴァルカッセレは、このように伝説や神話というヴェールに覆われたアントネッロの真実を明らかにし、アントネッロを、イタリアの美術史において評価し、位置付けようとしたのであった。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『書斎の聖ヒエロニムス』(Antonello da Messina, San Girolamo nello studio, c. 1475)。
こちらは、ロンドン・ナショナルギャラリー(the National Gallery of London)に所蔵されるアントネッロの代表作。
光と影の対比がはっきりしており、書斎の静寂が見事に再現された本作。
カヴァルカセッレ『『書斎の聖ヒエロニムス』のスケッチ』(Cavalcaselle, sul San Girolamo di Antonello de Messina)。
そしてこちらは、聖ヒエロニムスのみならず、背景の建物や動物、小物まで細かく美術史家カヴァルカッセレがアントネッロの作品をスケッチしたもの。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『聖母子と聖フランチェスコ』(Antonello da Messina, Cristo in pietà (recto), Madonna col bambino e Santo Francescano in adorazione (verso); c. 1463)。
2. 肖像画と祭壇画
アントネッロは、肖像画も残している。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『男の肖像』(Antonello da Messina, Ritratto d'uomo; c. 1468-1470)。
カヴァルカセッレのスケッチ。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『男の肖像(無名の水夫の肖像)』(Antonello da Messina, Ritratto d'uomo (Ritratto di ignoto marinaio); c. 1470)。
最小限の装飾しか施されていないこの水夫の肖像。
水夫の視線や表情に、自然と見る者の目は、惹きつけられていく。
カヴァルカセッレのスケッチ。
このスケッチの中には、「1474年製作?」「40歳くらい?」と肖像に描かれる水夫のことをあれこれ類推するカヴァルカッセのメモが残されている。
こちらは、祭壇画に使われたもの。
アントネッロ・ダ・メシーナ『聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムス、聖グレゴリウス』(Antonello da Messina, Sant'Agostino, San Girolamo, San Gregorio Magno; 1472-73)。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『教会博士の祭壇画: 福音記者ヨハネ/ 聖母子と天使/ 聖ベネディクトゥス』(Polittico dei Dottori della Chiesa, San Giovanni Evangelista/ madonna col Bambino e due angeli reggicorona/ San Benedetto; c. 1471-72)。
この祭壇画は、プロバンスやカタロニアの木工技術の装飾を参考にしているという。
また、それぞれの人物の影が、三枚組のパネルに描かれているのも特徴的である。
これらは、アントネッロの故郷メッシーナの聖マリア女子修道院の別館、聖グレゴリウス修道院のために、1471年から72年にかけて、作られたものである。
一時期カラブリアにこれらの作品は移されたものの、1901年、聖グレゴリウス修道院が、ペロリターノ市立美術館(Museo Civico Peloritano)として利用されることになったことから、もとの修道院に戻された。
ところが1908年12月28日の大地震によって建物は崩壊してしまった。
カヴァルカセッレのスケッチ。
大地震後の修復の過程で、これらの祭壇画の調査が行われたのであった。
そしてこちらは書簡。
展示品の中で異質なものに見えるかもしれないが、15世紀におけるアントネッロの作品の評価を知る上で重要な一次史料である。
本展で初めて公開されるこの書簡は、ミラノ国立文書館(Archivio di Stato di Milano)に所蔵されもの。
これらの書簡を書いたのは、ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(Galeazzo Maria Sforza; 1444-1476)の秘書チッコ・シモネッタ(Cicco Simonetta; 1410-1480)とヴェネツィアに滞在していたレオナルド・ボッタ(Leonardo Botta; 1431-1513)。
チッコ・シモネッタは、ヴェネツィアに住む「シチリアの画家」(Pictore ceciliano)を雇うために、1476年3月9日、レオナルド・ボッタに手紙を書いたのである。
書簡の中では、ミラノ公に賞賛されたシチリアの画家、つまりアントネッロ・ダ・メッシーナが、イタリアいや世界の中でも素晴らしい作品の一つの仕上げを行っているということ、
また、何としてもこの才能ある画家をミラノに連れてきてほしいこと、ミラノまで来るのに必要な旅費は全て払うということ、などが綴られている。
ミラノ公ガレアッツォ・マリア・スフォルツァは、1476年末に亡くなったために、アントネッロが画家としてミラノの宮廷に実際に入ることはなかった。
これらの書簡からは、アントネッロの名声は、北イタリアの大都市ミラノにも届いており、権力者がその才能を欲しがっていたことが分かる。
余談だが、書簡を読むということはまさに著者の仕事であり、このような500年以上前に書かれた文書を読むためにイタリアに留学している。
これらの書簡の展示で感動したのは、まず、みみずのような手稿史料が文字おこしされ記されており、それが現代のイタリア語、さらに英語に訳されたパネル上に展示されていた。
筆者の専門である歴史学の研究のためには、書簡の文字をおこす→おこした文字を訳すという作業が必要であり、膨大な時間がかかる。
ところが正しく読むことができれば、面白い発見ができるのである。
少し話は逸れたが展示品の紹介に戻る。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『男の肖像(トリヴゥルツィオの肖像)』(Ritratto d'uomo(anche detto Ritratto Trivulzio); 1476)。
カヴァルカセッレのスケッチ。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『男の肖像(ミケーレ・ヴィアネッロ?)』(Ritratto d'uomo(MIchele Vianello?); c. 1473)。
カヴァルカセッレのスケッチ。
この2つの肖像画において、髪、帽子、背景は、実に見事に黒という一つの色で表現されている。
3. アントネッロが描くキリストとマリア
アントネッロ・ダ・メッシーナの代表作と言えば、受胎告知やキリストの磔刑を描いた宗教画があげられる。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『聖母子』(Madonna col Bambino(Madonna Benson); c. 1475)。
こちらはワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵の作品。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『受胎告知のマリア』(Annunziata; c. 1476)。
受胎告知といえば、マリアのもとに大天使ガブリエルが降りたち、マリアに受胎を告げているという構図が一般的である。
ところが、このアントネッロの受胎告知は、青い布をまとい正面を向くマリアだけ。
マリアと鑑賞者は向き合う形になるため、鑑賞者自身が大天使ガブリエルであるかのように、マリアの顔を見ることになるという不思議な構図である。
そっと手を掲げるマリアは、じっと大天使の言葉を待っているかのようである。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『この人を見よ』(Ecco Homo (Cristo alla colonna); 1475)。
何枚にもわたるカヴァルカセッレのスケッチ。
1863年から1865年にかけてなされたスケッチであるが、ペンから鉛筆へ、その道具が変わったことによって、カヴァルカセッレのスケッチも変わっていることは興味深い。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『死せるキリストと3人の天使』(Cristo morto sorretto da tre angeli; 1476-77)。
顔がないのが不気味な1枚。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『若い男の肖像』(Ritratto di giovane; 1478)。
カヴァルカセッレのスケッチ。
カヴァルカセッレは、グラスゴーでこの肖像画を発見し、素早くスケッチした。
現在はベルリンの絵画館(Gemäldegalerie)に所蔵される本作は、肖像画でありながらも、15世紀の肖像画のスタイルとは少し異なっている。
アントネッロは、背景に空や大地といった自然を描いたのであった。
アントネッロ・ダ・メッシーナ『聖母子』(Madonna col Bambino; 1480)。
丸い赤児の顔に優しげな聖母の表情。
細い柱越しに見える背景には、自然が広がっており、奥行きを感じさせる。
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本展の開催にあたり、シチリアやトリノなどのイタリア各地の美術館だけではなく、ドイツやアメリカからもアントネッロの作品が集められた。
15世紀の美術作品だけではなく、その約400年後にある美術史研究者が行った研究をたどるという面白い試みの本展。
普段美術館や博物館で展示されるものは、どのようにして作者、制作年代、制作の意図などが調べられているのかということも、本展を通して見ることができたのではないであろうか。
おまけ:
ブックショップでは、数多くのアントネッロ・ダ・メッシーナのグッズが揃っていた。
中でも『受胎告知のマリア』は、メガネケースに鞄にクリアファイルに...と大人気なモチーフという印象を受けた。
参考:
・壺屋めり「美術史のプロセスを展示する:アントネッロ・ダ・メッシーナ展」『壺屋の店先』(2019年2月27日付記事)
アントネッロ・ダ・メッシーナ(Antonello da Messina)展
会期:2019年2月21日から2019年6月2日まで
住所:
入場料:14ユーロ(一般)、12ユーロ(割引)
開館時間:14:30-19:30(月曜)、9:30-19:30(火曜、水曜、金曜)、
9:30 – 22:30(木曜、土曜)、9:30-19:30(日曜)
公式ホームページ:mostraantonello.it