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『女吸血鬼』(1959)

両手で顔被う朧月去りぬ   金子兜太


和製吸血鬼の先駆け作品なのだが、和製吸血鬼といえば、「岸田森一」択だと思ていたが、ここにもいた、天地茂という吸血鬼が!

伊都子(池内)の誕生パーティーの最中、20年前に行方不明になっていた伊都子の母、美和子(三原)が、突然戻ってきた。しかも失踪したときと変わらぬ若さで。

不老不死、美女、もう吸血鬼臭ぷんぷんなのだが、注意したいのが題名である。『女吸血鬼』とあるのだが、実際、この美和子は吸血鬼ではない。ただの被害者。広義の意味で言えば吸血鬼と言えなくもないのだが、今作の吸血鬼は、あくまでも天地茂である。

その天地茂が演じるのは、竹中信敬。竹中は、島原の乱で有名な天草四郎の家臣で、四郎の娘、勝姫に恋焦がれていたのだが、島原の乱にて、勝姫自害。愛するあまり、勝姫の生き血を吸った結果、不死の吸血鬼として何百年も生きながらえてきたのだ。

美和子は、勝姫の血を継ぐ者であったため、竹中は襲ったのだった。

今作の吸血鬼、いわゆる吸血鬼のイメージとは色々違う。
まず、月の光を恐れている。(しかも、日中、陽の光は問題ない)月の光を浴びると苦しみだして、牙と爪が伸び、吸血鬼の姿に変身する。これって、狼男ですよね。と、まず突っ込む。

そして、十字架を恐れていない。えっそうなの? となるのだが、天草四郎、島原の乱、ああ、キリシタンね! と、納得。

今作、あの新東宝作品、あの大蔵貢製作、あの中川信夫監督なので、グロイ系なのかと思いきや、ところがどっこいそんなものはない。
一応、怪談、ホラーのジャンルになるのだが、というより、事件もの、もしくは悲恋ものといった感じ。

とは言え、怪奇的な要素がないわけではない。
例えば、竹中の手下らしき人物を、『一寸法師』(1955)の一寸法師役の和久井勉が演じている。(現代ではアウトだとは思うが)
そして、同じ中川信夫監督作品『亡霊怪猫屋敷』(1958)に出ていた老婆を、同じく五月藤江が演じていた。怪猫に関しては、また後日詳しく。

物語として、少々破綻している部分もあるように思うが、とにかく天地吸血鬼がかっこいい!

新東宝、中川信夫関連の書籍を読んでみても、今作はすっ飛ばされているが、もっと光を当ててもいいと思う。

とはいえ、このあと『東海道四谷怪談』が製作されるのだが、これが素晴らしすぎたので、致し方ないか。これもまた、別の機会に詳しく。


両手で顔被う朧月去りぬ   金子兜太

この句、切る部分が二通り考えられるのだが、「朧」で切ってみる。実際に顔を被う手の感覚が感じられ、生きているのだという感覚を抱いていたのだが、いつの間にか月は去ってしまった。実際に抱いていたこの感覚は朧だったのかもしれない。

『女吸血鬼』(1959)
監督:中川信夫
脚本:中沢信/仲津勝義
原作:橘外男
出演:天地茂/和田桂之助/池内淳子/三原葉子

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