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『怪談 蛇女』(1968)夏の納涼祭り①

蛇消えし田の一枚がざわめけり   鎌田亮


中川信夫監督は、怪談映画の巨匠と言われている。生涯撮った百本近くの作品中、怪談ものは僅か9本だけなのだから、その実力は容易に推察できるだろう。

日本の場合、振り返ったらそこに幽霊がいた。といった静かなものが多い中、今作では「驚き」の感情の多い恐怖であった。これはわざとなのか。この辺りは他の中川作品と比較してみる必要があるかもしれない。(詳細は後日)

あと、幽霊を追って、部屋から部屋へ行く場面。突然カメラは俯瞰になるのだが、セオリーとしてありえない。
実際の家の構造で考えてみてほしい。本来なら天井、壁で仕切られているはずなのに、これは「神の目」の領域。
そして、須弥壇(しゅみだん)が、後方に遠ざかって闇に消え、追って行った人物が、別の部屋にたどり着くという異様な光景。(詳細は別作品にて)

多くの時間を人間の情の部分に使ってからのこれ。異様な映像が異世界へ誘う。

この題名であるが、観ていて「だれが蛇女? 主役だれ?」と、合致していないが、観ていて、蛇と怪奇現象の因果関係はないように思う。なにか悪事を働いたときに、たまたま蛇が居合わせただけで、後ろめたいものだから、勝手に蛇が取り憑いていると思っただけ。としたら、この題名は合点がいく。

今作の舞台は明治初期の地方の村。この時代、地主と小作人の力関係は歴然としており、言わば「主人と奴隷の関係」に見える。
これまで、この時代の作品はいくつも見てきた。アメリカにあった奴隷制度。他国の出来事だと思っていたが、日本にもあったのだ。

人道にもとる行為をした者には、制裁を加えなければならない。
だが、人が人にというのは難しく、特にこの封建制度の時代では、正義の人が不幸になるのは目に見えている。であれば、悪人が後ろめたさからくる幻覚に陥り、狂ってもらった方が皆のためにもなる。

中川監督は、この辺りを主題とし、怪談物というジャンルに、その役を荷ってもらったのではないだろうか。

蛇消えし田の一枚がざわめけり   鎌田亮

蛇の姿は見えないのだが、ざわざわと稲が波打っているのが見える。風もなく、他の田の稲は揺れていなのに。姿が見えないだけに不気味である。

『怪談 蛇女』(1968)
監督:中川信夫
脚本:神波史男/中川信夫
出演:桑原幸子/月丘千秋/西村晃/河津清三郎/山城新伍/村井國夫

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